変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




高校野球、夏の甲子園大会の決勝戦を見ていた。

 駒大苫小牧 VS 早稲田実業
 延長15回で勝負付かず、引き分け再試合(明日)

毎度毎度高校野球には感動させられるのだが、今年は特に凄かったと思う。
無意識の内に、両者を称える拍手に同調していた。

学生時代に、甲子園大会の特集番組を編集するアルバイトをしたことがある。
バイトのことなので、単なるお手伝いでしかないのだが、色々な情報に触れる
ことができた。おいらの頃は、長島三奈は未だ司会ではなかった(彼女も未だ
学生の頃だし)が、その番組は今も続いている。ここからも『甲子園』の人気が
伺える。放映されない映像の中からは、朴訥だったり、純粋だったり、カッコ付
けてたり、斜に構えてたり、そんな生身の高校生が映し出されていた。
かわいいし、素敵だし、魅力的な奴等な訳さ。

感動する心がおいらにもあったんだ。
今日の試合を見て、今も未だあることが分かった。

一安心。

そうは言っても、「高校野球」が今のままでいいと思っている人は少数派では
ないか。いや、調べた訳じゃないけど、感覚的にね。
でも、この感動がある限り、変われない、変わらせてもらえない、ということに
陥らないか、心配でもある。
いずれ変わるのは間違いない。恐らく、急激に変化は訪れるだろう。それまで
の蓄積をエネルギーとした変化の奔流は、大切なものまで押し流さないか。
そして、その変化のトリガーを引くのは、得てして何らかの悲劇であったりする
のではないか。

そんな心配をしているおいらは、まるでどこかの評論家のようだね。
単なる評論家は、何の役にもたたない。
むしろ迷惑で邪魔な存在である。
おいらは評論家ではない。批評家でもない。
自分ですべきことを考えよう。そして、少しでも行動を起こそう。

今日は眠いからもう寝るけどね。


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