『超高速! 参勤交代』(2014年)は、時代劇コメディ映画。第37回城戸賞を全審査員満点で受賞した土橋章宏の脚本。監督は本木克英。主演は佐々木蔵之介。
《8代将軍・徳川吉宗の治世、享保20年。磐城国・石高1万5,000石の湯長谷藩藩主・内藤政醇(佐々木蔵之介)は、1年間の江戸での勤めを終えて帰国した。ところが、旅の草鞋を脱いで幾日も経たないうちに江戸家老の瀬川(近藤公園)が、老中・松平信祝(陣内孝則)の命令を携えて戻ってきた。帰国したばかりの政醇に対し、「5日のうちに再び参勤交代せよ」というのである。信祝は湯長谷藩が所有する金山に目をつけ、無理難題をふっかけて藩を取り潰そうと企んでいたのだ。
湯長谷藩は、参勤交代を終えたばかり。4年前の飢饉の影響もあって蓄えがない。しかし、政醇は家臣と領民を守るために信祝の命を受けることに決めた。早速、智恵者と名高い家老・相馬兼嗣(西村雅彦)を中心に、皆で意見を出し合った。相馬は、少人数で山中を走り抜け、役人の目のある宿場のみ中間を雇って大名行列を組むという案を挙げる。その日の夜、政醇のもとに、抜け忍の雲隠段蔵(伊原剛志)が、「十両で山中の道案内に雇ってくれ」と売り込んできた。翌日、政醇以下・湯長谷藩の一行は、段蔵の先導の元、国元を出立した。出来るだけ山中を近道し、人目の無い所はひたすら走る。荷を軽量化するために、重たい刀槍は竹光でごまかす。知恵を絞った超高速参勤交代のスタートである。
一方、政醇の出立を知った信祝は、隠密を私用し、刺客として差し向けてきた。
高萩宿を無事に切り抜けた政醇たちは、中間たちと別れ、段蔵の案内で山中を走った。その夜、政醇の暗殺に公儀隠密の夜叉丸(忍成修吾)らが現れるが、段蔵は彼らに対し、「自分は、明日、礼金を受け取ったら去るので、それまで待ってくれ」と頼んだ。
翌日、政醇は家宝の短刀を段蔵に授け、単身牛久宿に向かう。相馬たちとの待ち合わせ場所の鶴屋に到着した政醇は、そこで折檻を受けていた飯盛り女のお咲(深田恭子)の身を案じ、自分の部屋に呼ぶ。お咲の身の上話に心から同情を寄せる政醇に、お咲も心を開いていく。
湯長谷藩士たちは廃寺で寝ていたが、悪夢にうなされた相馬が井戸に落ちてしまう。そこに夜叉丸らが襲いかかってきた。竹光しか持っていない湯長谷藩士たちは、戦うことが出来ず、谷に落ちてしまう。
そのころ、段蔵は受け取った礼金で痛飲していたが、袋に入っていた十両が大判小判ではなく、政醇が苦しい台所事情の中、必死に掻き集めた古銭ばかりなのを知り、心を揺さぶられる。
翌日、川岸に辿り着いた湯長谷藩士たちは、そこが牛久宿の一つ先の藤代宿だと知り、政醇とは江戸で合流することに決めた。その頃、宿改めの役人に追われた政醇は、お咲を連れて江戸に向かうが、夜叉丸らに見付かり殺されそうになる。すんでのところで段蔵が現れ、二人は命を救われた。
取手宿に到着した湯長谷藩士たちだったが、予定日を過ぎていたため、中間たちに追加料金を請求されてしまう。金を払えない湯長谷藩士たちは、中間たちに帰られてしまった。申し訳の無さに切腹したくても、竹光しか持っていない。萎れる一行の前に内藤本家の磐城平藩・内藤政樹(甲本雅裕)の行列が通りかかった。事情を話すと、政樹から、飢饉の時に援助してもらった恩返しとして、行列を提供してもらえることになった。無事に取手宿を通り抜けた湯長谷藩士たちは、江戸に入り、湯長谷藩江戸屋敷に向かう。
刻限の日。江戸に入った政醇・お咲・段蔵に忍びの集団が襲い掛かる。そこに江戸屋敷の家臣たちを引き連れた相馬たちが現れ、斬り合いとなった。政醇は江戸城に向かい、幕閣と対面する。政醇はその場で、信祝が問題としている湯長谷藩の金山は屑鉱物しか取れず、到底金山などと呼べる代物ではないことを証明した。これを聞いた老中首座・松平輝貞(石橋蓮司)は、無用な騒ぎを起こした廉で、信祝を罷免する。実はこの騒動は、予てより隠密を私用し大名家に対し強請を働いているという噂のあった信祝の尻尾を掴むために、吉宗が輝貞と仕組んだものだったのだ。湯長谷藩は囮に使われていたのである。》
信祝が犯した罪に見合うほどには報いを受けていないので、スカッとしない向きもあろうが、本作は勧善懲悪がテーマではない。貧しい小藩の藩主・政醇と彼の藩士たちが、思い合い、助け合い、知恵と努力で艱難に立ち向かう。窮地に陥るたびに、政醇の人徳に感じ入った人々の助けを借りて切りぬける。笑いあり涙ありの人情物語なのである。
あらぬ言掛りをつけられ、雑巾みたいに知恵を絞って、死ぬほど走らされて、刺客に襲われ、家臣を殺され、その見返りが上様の有難いお言葉のみ。理不尽であるが、そういう時代なのだから仕方が無い。このほろ苦さもまた良し。諸々の思いを込めて、「貧乏はまことに辛いのぅ」と、政醇が朗らかに言い放つラストは爽やかだった。移りゆく世を楽しく生きるのみ、である。
…と、良い感じで終わったと思ったら、テーマ曲が今どきのJポップ。せっかくの余韻が台無しである。いろいろ事情がおありなのだろうが、もう少し作品のイメージに沿った選曲をしていただきたかった。
《8代将軍・徳川吉宗の治世、享保20年。磐城国・石高1万5,000石の湯長谷藩藩主・内藤政醇(佐々木蔵之介)は、1年間の江戸での勤めを終えて帰国した。ところが、旅の草鞋を脱いで幾日も経たないうちに江戸家老の瀬川(近藤公園)が、老中・松平信祝(陣内孝則)の命令を携えて戻ってきた。帰国したばかりの政醇に対し、「5日のうちに再び参勤交代せよ」というのである。信祝は湯長谷藩が所有する金山に目をつけ、無理難題をふっかけて藩を取り潰そうと企んでいたのだ。
湯長谷藩は、参勤交代を終えたばかり。4年前の飢饉の影響もあって蓄えがない。しかし、政醇は家臣と領民を守るために信祝の命を受けることに決めた。早速、智恵者と名高い家老・相馬兼嗣(西村雅彦)を中心に、皆で意見を出し合った。相馬は、少人数で山中を走り抜け、役人の目のある宿場のみ中間を雇って大名行列を組むという案を挙げる。その日の夜、政醇のもとに、抜け忍の雲隠段蔵(伊原剛志)が、「十両で山中の道案内に雇ってくれ」と売り込んできた。翌日、政醇以下・湯長谷藩の一行は、段蔵の先導の元、国元を出立した。出来るだけ山中を近道し、人目の無い所はひたすら走る。荷を軽量化するために、重たい刀槍は竹光でごまかす。知恵を絞った超高速参勤交代のスタートである。
一方、政醇の出立を知った信祝は、隠密を私用し、刺客として差し向けてきた。
高萩宿を無事に切り抜けた政醇たちは、中間たちと別れ、段蔵の案内で山中を走った。その夜、政醇の暗殺に公儀隠密の夜叉丸(忍成修吾)らが現れるが、段蔵は彼らに対し、「自分は、明日、礼金を受け取ったら去るので、それまで待ってくれ」と頼んだ。
翌日、政醇は家宝の短刀を段蔵に授け、単身牛久宿に向かう。相馬たちとの待ち合わせ場所の鶴屋に到着した政醇は、そこで折檻を受けていた飯盛り女のお咲(深田恭子)の身を案じ、自分の部屋に呼ぶ。お咲の身の上話に心から同情を寄せる政醇に、お咲も心を開いていく。
湯長谷藩士たちは廃寺で寝ていたが、悪夢にうなされた相馬が井戸に落ちてしまう。そこに夜叉丸らが襲いかかってきた。竹光しか持っていない湯長谷藩士たちは、戦うことが出来ず、谷に落ちてしまう。
そのころ、段蔵は受け取った礼金で痛飲していたが、袋に入っていた十両が大判小判ではなく、政醇が苦しい台所事情の中、必死に掻き集めた古銭ばかりなのを知り、心を揺さぶられる。
翌日、川岸に辿り着いた湯長谷藩士たちは、そこが牛久宿の一つ先の藤代宿だと知り、政醇とは江戸で合流することに決めた。その頃、宿改めの役人に追われた政醇は、お咲を連れて江戸に向かうが、夜叉丸らに見付かり殺されそうになる。すんでのところで段蔵が現れ、二人は命を救われた。
取手宿に到着した湯長谷藩士たちだったが、予定日を過ぎていたため、中間たちに追加料金を請求されてしまう。金を払えない湯長谷藩士たちは、中間たちに帰られてしまった。申し訳の無さに切腹したくても、竹光しか持っていない。萎れる一行の前に内藤本家の磐城平藩・内藤政樹(甲本雅裕)の行列が通りかかった。事情を話すと、政樹から、飢饉の時に援助してもらった恩返しとして、行列を提供してもらえることになった。無事に取手宿を通り抜けた湯長谷藩士たちは、江戸に入り、湯長谷藩江戸屋敷に向かう。
刻限の日。江戸に入った政醇・お咲・段蔵に忍びの集団が襲い掛かる。そこに江戸屋敷の家臣たちを引き連れた相馬たちが現れ、斬り合いとなった。政醇は江戸城に向かい、幕閣と対面する。政醇はその場で、信祝が問題としている湯長谷藩の金山は屑鉱物しか取れず、到底金山などと呼べる代物ではないことを証明した。これを聞いた老中首座・松平輝貞(石橋蓮司)は、無用な騒ぎを起こした廉で、信祝を罷免する。実はこの騒動は、予てより隠密を私用し大名家に対し強請を働いているという噂のあった信祝の尻尾を掴むために、吉宗が輝貞と仕組んだものだったのだ。湯長谷藩は囮に使われていたのである。》
信祝が犯した罪に見合うほどには報いを受けていないので、スカッとしない向きもあろうが、本作は勧善懲悪がテーマではない。貧しい小藩の藩主・政醇と彼の藩士たちが、思い合い、助け合い、知恵と努力で艱難に立ち向かう。窮地に陥るたびに、政醇の人徳に感じ入った人々の助けを借りて切りぬける。笑いあり涙ありの人情物語なのである。
あらぬ言掛りをつけられ、雑巾みたいに知恵を絞って、死ぬほど走らされて、刺客に襲われ、家臣を殺され、その見返りが上様の有難いお言葉のみ。理不尽であるが、そういう時代なのだから仕方が無い。このほろ苦さもまた良し。諸々の思いを込めて、「貧乏はまことに辛いのぅ」と、政醇が朗らかに言い放つラストは爽やかだった。移りゆく世を楽しく生きるのみ、である。
…と、良い感じで終わったと思ったら、テーマ曲が今どきのJポップ。せっかくの余韻が台無しである。いろいろ事情がおありなのだろうが、もう少し作品のイメージに沿った選曲をしていただきたかった。