青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

猫路地

2015-08-18 09:18:28 | 日記
東雅夫編『猫路地』は、現代日本の怪奇・伝奇小説を代表する書き手たちが、猫と異界をめぐる幻想譚を思う様に紡ぎあげた書き下ろし作品20篇を収録した競作集。路地裏に屯する野良猫たちのように、模様も大きさも様々な猫譚たちである。
『猫路地』というタイトルから、萩原朔太郎の『猫町』を連想する方も多いと思われるが、編者の意図もそこにあるらしい。猫町幻想譚としては、ほかにブラックウッドの『古き魔術』や日影丈吉の『猫の泉』が有名だが、異国人による『古き魔術』や南仏が舞台の『猫の泉』に比べると、朔太郎の『猫町』は日本人の脳に馴染みやすく、夢のようにうっとりとした郷愁と憧憬を誘う。
『猫路地』の収録作は、『猫町』の衣鉢を継ぐが如く、繊細で閑雅な作品ばかりなので、「猫の精霊ばかりの住んでる町が、確かに宇宙の或る何所かに、必らず実在しているにちがいないということ」を「詩人の病的な錯覚であり、愚にもつかない妄想の幻影だと」冷笑しない人ならきっと楽しめるはずである。
以下が、収録作。

『猫花火』……加門七海
『猫ノ湯』……長嶋槇子
『猫眼鏡』……谷山浩子
『猫書店』……秋里光彦
『花喰い猫』……寮美千子
『猫坂』……倉坂鬼一郎
『猫寺物語』……佐藤弓生
『妙猫』……片桐京介
『魔女猫』……井辻朱美
『猫のサーカス』……菊池秀行
『失猫症候群』……片岡まみこ
『猫波』……霧島ケイ
『猫闇』……吉田知子
『猫女房』……天沼春樹
『猫魂』……化野潾
『猫視』……梶尾真治
『四方猫』……森真沙子
『とりかわりねこ』……別役実
『蜜猫』……皆川博子
『猫鏡』……花輪莞爾

タイトルだけでも魅力的な作品群である。「猫」と付くだけで、ありふれた言葉が特別な輝きを放出する。試しに思いつくだけの言葉に「猫」をつけてみられると良い。豆腐でも下駄でも、忽ち魔法の言葉になるのである。

秋里光彦の『猫書店』は、中央線沿いの商店街にある小さな書店の創業者と萩原朔太郎との関わりを描いた物語。
大戦中も空襲にあわなかった商店街の狭い通りに猫書店はあった。わずか10畳ほどの店内の中央には大きなガラスケースが置いてあって、その中には萩原朔太郎の『猫町』の初版本が立ててある。店の棚は、詩歌と幻想文学の品揃えを究めており、創業以来、主がこれと決めた本はその都度複数確保してあるので、絶版ゆえ古書店では数万円の値がつく本が定価で買えたりする。本好きな人には極楽のような店だ。
現在の店主・俊之は三代目。馴染み客の読書傾向を把握しているうえに、馴れ馴れしく無駄話世間話をふらない。愛書家の痒いところに手の届く店主だ。その俊之から、〈私〉は、朔太郎の『猫町』と猫書店との関わりを聞くことになる。
俊之の祖父・新一郎は、23歳の折、詩人を志して上京してきた。自作の詩を携え、私淑する萩原朔太郎を訪ねるが、人柄を褒められつつも、詩才の無いことをはっきりと告げられてしまう。萩原邸を辞した後、投げやりな気持ちで夜道を歩いていた新一郎は、誤字混じりの珍語を話す女と知り合う。言葉つきは妙だが、聡明で詩歌に詳しい女に好感を持った新一郎。話しながら歩いているうちに、いつの間にか猫人の世界に連れ込まれていたのだった――。
新一郎の異界往復譚が、朔太郎の『猫町』につながる。そして、俊之の猫的な性格の理由もわかるのだ。猫と書店はまことに相性が良い。

良かれ悪しかれ猫ほど人間の感情を刺激する動物はいない。殊に猫嫌いの感情は、犬嫌いや爬虫類嫌いとは複雑さが違う。私の実父などは、猫に対して嫌悪感を通り越した恐怖心を抱いているのであるが、その感情の出所は、花輪莞爾の『猫鏡』を読めば何となくわかる。猫は自然そのものなので、制御しがたく、得体が知れないのだ。実父は霊感があるらしいので、その意味でも猫を恐れているようだ。
我が家では、犬と猫の両方を飼っているのだが、「犬は可愛い」「猫は面白い」というのが感想だ。私は俳句を嗜んでいるのだが、猫はその辺に転がっているのを観察しているだけで楽しいので、実に句材に適している。犬だと心情的に距離が近すぎるのだ。
猫を愛し、あるがままに受け入れることのできる人にとって、『猫路地』は至福の一冊だ。そして、飼い猫に邪魔されながらこの感想文を書いている私は、本書の最も幸せな読者の一人なのだろう。
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