『股旅 三人やくざ』(1965年)は、三部構成からなるオムニバス映画。監督は沢島忠。第一話の脚本は笹原和夫、主演は仲代達矢。第二話の脚本は中島貞夫、主演は松方弘樹。第三話の脚本は野上龍雄、主演は中村錦之介。
《第一話 秋の章
川岸をやくざ者の千太郎(仲代達矢)が急ぎ足で行く。若い片目のやくざ者と行き会うと、土地のやくざ者に対する尋常な挨拶を入れて、通り過ぎた。竹林を急いでいると、先刻の片目のやくざ者が追いかけてきた。これを切り捨てる千太郎。片目の男の懐には、千太郎の人相書きと、女物の櫛が入っていた。
千太郎は土地の親分の世話になる間、騒ぎを起こした遊女のおいね(桜町ひろこ)の見張りをすることになる。最初は荒んだ態度だったおいねも、うちとけていくにつれて身の上話をするようになった。おいねは子供の頃に遊郭に売られてきた。そして、一晩の遊びで彼女を買った男の「女房にする」という約束を信じていた。男のことは顔も体も思い出せない。それでも男の約束が生きる支えだった。
その男・猪之助を探すことにした千太郎。猪之助の知人の言葉から、猪之助が本気でおいねを見受けするつもりで費用を稼ぎに旅に出たこと、彼が片目であることを聞かされる。猪之助は、千太郎が竹林で切った男だったのだ。おいねを救いたい千太郎が取った選択とは…。
第二話 冬の章
吹雪の舞う寒い日。いかさま博打で追われている老やくざの文造(志村喬)を若いやくざ者の源太(松方弘樹)が助けた。二人は無人の茶店に上がりこむと火に当たりながら話し込んだ。
源太が十三歳の頃、父が博打で借金を作り、田畑をかたに取られてしまった。首を吊った父の葬式の後、源太は庄屋から十八歳になったら畑を貸してやるという約束を取り付け、以来、その日を心待ちにして一人で生きてきた。孤児に世間は冷たい。生きていくためには悪いこともした。
十八歳になった時、源太は約束を果たしてもらおうと庄屋を尋ねた。しかし、庄屋や村人たちは、源太の犯した悪事をあげつらい、「お前には親父の血が流れている」と罵ると、源太を袋叩きにして村から追いだしてしまった。
すっかり心が荒み、やくざ者として生きていくことに決めた源太を文造が諌める。そこに、茶店の娘みよ(富司純子)が帰ってきた。怯えるみよに文造は父親の知り合いだと名乗り、母親の近況を尋ねた。「母は無くなった」と答えるみよに、文造は金を渡そうとする。それを見て「その金はいかさまで稼いだ金だろ。さては恩を売って居座る気だな」と大笑いする源太。二人は殴り合いになるが、若い源太が勝った。床に倒れた文造を介抱しようとするみよだったが、文造の腕に掘られた母の名を見て激高する。文造は、みよの父親だったのだ。みよから「出て行って」と罵られ、文造は雪の中を去って行こうとする。源太は、あとを追いかけ、文造に語りかける。
「なぜ居座ってやらない?子供ってのは口では悪態をついても、心では親を慕っているものなんだ」
その時、追っ手の集団が二人を見つけた。源太は文造を茶店に押し込むと、叫んだ。
「畳で死ねよ、とっつあん。娘さんと仲良く暮らせ」
そのまま、追っ手を自分に引き付けると、激しい切り合いとなった…。
第三話 春の章
菜の花畑を風の久太郎(中村錦之助)が行く。名前も装束もいっぱしの渡世人であるが、実は腕はからっきしなのだ。すきっ腹を抱えて寝転がっているところを百姓たちに囲まれて、訳のわからぬまま村長の家に連れ込まれる。
腹いっぱい食わせて貰って満足の久太郎であるが、村人たちの願いを聞いて狼狽えた。村を苦しめる悪代官・鬼の官半兵衛(加藤武)を切って欲しいというのだ。逃げようとする久太郎であったが、村人たちから「一宿一飯の恩を返せ」と詰め寄られ、引き受けざるを得なくなった。一人になったところでこっそり逃げようとしたが、旅装束を置いた部屋に村娘・おふみ(入江若葉)がいる。「オラは子供時分に二親を亡くし、以来、村の厄介になっている。オラの体を好きにして下せえ。その代りにどうか村のために半兵衛を切って下せえ」と訴えるおふみに心苦しい思いをしつつも外に逃れる久太郎。そこで村長の幼い息子に見つかってしまう。「どこに行くんだ」と問われ「狸の罠を仕掛けに行く」と出まかせを言ったら、「一緒にやる」と言うので、仕方なく二人で罠を仕掛け、終わったところで逃げようとした。しかし、間の悪いことに狸が罠にかかってしまい、逃げそびれてしまうのだった。
翌日、馬上の半兵衛に果し合いを申し込む。隙を見て逃げようとキョロキョロするが、あちこちで村人たちが見張っているので、どうにもならない。挙句、半兵衛が飛んでいる蝶を居合で真っ二つにするのを見て怖気づいてしまった。そんな久太郎に村人たちは大ブーイングだったが、強そうなやくざ者・木枯らしの仙三(江原真二郎)が通りかかるのを見つけると、久太郎を放り出して、そっちに行ってしまった。
「旅の恥はかき捨てだ。オイラ年中旅しているから、年中恥かいて良いんだ」
自分にそう言い聞かせ、村を去ろうとする久太郎におふみがオムスビの包みを押し付けて走り去った。呆然とする久太郎に村長の息子が縋りつき、「オラ、おじちゃんが好きだ。おじちゃんに半兵衛を切って欲しいんだ」と訴える。
久太郎を馬鹿にした仙三は、半兵衛に果し合いを申し込むが、五両の小判であっさり寝返ってしまった。一揆を企てた咎で村長はしょっ引かれ、村は五十両を請求される。仙三から小判を取り上げ、村人に渡そうとする久太郎を村人たちが取り囲み、「お前らやくざ者は、食うだけ食って何もしてくれない」と罵った。腹を立てた久太郎は啖呵を切った。
「お前ら、自分じゃ何もしないじゃないか!オイラが殺されたって、何とも思わずに別のやくざを雇うだけじゃないか!オイラ、お前らみたいに汚い人間じゃないんだ!オイラ、あの娘にだって指一本触れちゃいないんだぜ!」
自分たちに累が及ばないように、流れ者を使って代官を亡き者にし、その報酬に身寄りのない娘の体を差し出そうという村人たちの浅ましさに心底嫌気がさしたのだ。
それでも、おふみの懺悔と彼女のささやかな夢に心を動かされた久太郎は、半兵衛一行を追いかけ、村長を逃がし、半兵衛と対峙することとなる…。》
秋の章は、おいねの存在感が光っていた。彼女は、〈陰で涙しつつも黙って不遇に耐える遊女〉などと言う男にとって都合の良い女の像からは大いにはみ出し、激しく自己主張する。猪之助が自分のために命を落としても、それはそれとして、猪之助を殺した千太郎に想いを伝える。彼女はきっと、千太郎の死を知っても後を追ったりはしないだろう。彼女の逞しさの前では、ふらっと現れ、あっさり死んでしまう男二人はあまりにも儚い。
冬の章は、早くに親を亡くした若者と家族を捨てた老人との、束の間だけど濃密な心の交流が、ベタではあるがグッと来た。若者には腕力で負け、娘には罵られる老いぼれやくざの侘しさを志村喬が味わい深く演じ、「不良青年が知り合ったばかりの他人のために命を捨てる」という少々無理のある設定を観る者に素直に受け入れさせてくれる。
春の章は、3話の中で抜群の面白さだった。若い旅鴉が、不遇な村娘に淡い恋心を抱き、娘も彼に惹かれていく。喜劇色の強い物語の中で、若い男女の心の機微が意外なほど繊細に描かれていた。長脇差も、カッパも、三度笠もパッパッと投げ捨てて、堅気で生きて行くことに決めた久太郎を菜の花畑の明るい黄色が祝福している。冬の章で文造が源太に言った「お前はまだ、本当のやくざの汚さも、旅の惨めさも知らない。まだ若いのだからやり直せる」という言葉を思い出して、源太にもそんな幸せがあったなら…としみじみもした。幸せになれる性格、なれない性格ってあるのだろう。
オムニバスって、主演俳優の力量の差が浮き彫りになる残酷な手法だなと思った。中村錦之助が別格なのだ。錦之介が10点満点なら、仲代が7点、松方が5点というところか。マヌケでヘッポコだが心根の真っ直ぐな若いやくざ者を愛嬌たっぷりに演じるので、観る者は久太郎の幸せを願わずにはいられなくなる。表情やしぐさの一つ一つに魅了され、花も実もある稀代の名優であると感嘆した。
《第一話 秋の章
川岸をやくざ者の千太郎(仲代達矢)が急ぎ足で行く。若い片目のやくざ者と行き会うと、土地のやくざ者に対する尋常な挨拶を入れて、通り過ぎた。竹林を急いでいると、先刻の片目のやくざ者が追いかけてきた。これを切り捨てる千太郎。片目の男の懐には、千太郎の人相書きと、女物の櫛が入っていた。
千太郎は土地の親分の世話になる間、騒ぎを起こした遊女のおいね(桜町ひろこ)の見張りをすることになる。最初は荒んだ態度だったおいねも、うちとけていくにつれて身の上話をするようになった。おいねは子供の頃に遊郭に売られてきた。そして、一晩の遊びで彼女を買った男の「女房にする」という約束を信じていた。男のことは顔も体も思い出せない。それでも男の約束が生きる支えだった。
その男・猪之助を探すことにした千太郎。猪之助の知人の言葉から、猪之助が本気でおいねを見受けするつもりで費用を稼ぎに旅に出たこと、彼が片目であることを聞かされる。猪之助は、千太郎が竹林で切った男だったのだ。おいねを救いたい千太郎が取った選択とは…。
第二話 冬の章
吹雪の舞う寒い日。いかさま博打で追われている老やくざの文造(志村喬)を若いやくざ者の源太(松方弘樹)が助けた。二人は無人の茶店に上がりこむと火に当たりながら話し込んだ。
源太が十三歳の頃、父が博打で借金を作り、田畑をかたに取られてしまった。首を吊った父の葬式の後、源太は庄屋から十八歳になったら畑を貸してやるという約束を取り付け、以来、その日を心待ちにして一人で生きてきた。孤児に世間は冷たい。生きていくためには悪いこともした。
十八歳になった時、源太は約束を果たしてもらおうと庄屋を尋ねた。しかし、庄屋や村人たちは、源太の犯した悪事をあげつらい、「お前には親父の血が流れている」と罵ると、源太を袋叩きにして村から追いだしてしまった。
すっかり心が荒み、やくざ者として生きていくことに決めた源太を文造が諌める。そこに、茶店の娘みよ(富司純子)が帰ってきた。怯えるみよに文造は父親の知り合いだと名乗り、母親の近況を尋ねた。「母は無くなった」と答えるみよに、文造は金を渡そうとする。それを見て「その金はいかさまで稼いだ金だろ。さては恩を売って居座る気だな」と大笑いする源太。二人は殴り合いになるが、若い源太が勝った。床に倒れた文造を介抱しようとするみよだったが、文造の腕に掘られた母の名を見て激高する。文造は、みよの父親だったのだ。みよから「出て行って」と罵られ、文造は雪の中を去って行こうとする。源太は、あとを追いかけ、文造に語りかける。
「なぜ居座ってやらない?子供ってのは口では悪態をついても、心では親を慕っているものなんだ」
その時、追っ手の集団が二人を見つけた。源太は文造を茶店に押し込むと、叫んだ。
「畳で死ねよ、とっつあん。娘さんと仲良く暮らせ」
そのまま、追っ手を自分に引き付けると、激しい切り合いとなった…。
第三話 春の章
菜の花畑を風の久太郎(中村錦之助)が行く。名前も装束もいっぱしの渡世人であるが、実は腕はからっきしなのだ。すきっ腹を抱えて寝転がっているところを百姓たちに囲まれて、訳のわからぬまま村長の家に連れ込まれる。
腹いっぱい食わせて貰って満足の久太郎であるが、村人たちの願いを聞いて狼狽えた。村を苦しめる悪代官・鬼の官半兵衛(加藤武)を切って欲しいというのだ。逃げようとする久太郎であったが、村人たちから「一宿一飯の恩を返せ」と詰め寄られ、引き受けざるを得なくなった。一人になったところでこっそり逃げようとしたが、旅装束を置いた部屋に村娘・おふみ(入江若葉)がいる。「オラは子供時分に二親を亡くし、以来、村の厄介になっている。オラの体を好きにして下せえ。その代りにどうか村のために半兵衛を切って下せえ」と訴えるおふみに心苦しい思いをしつつも外に逃れる久太郎。そこで村長の幼い息子に見つかってしまう。「どこに行くんだ」と問われ「狸の罠を仕掛けに行く」と出まかせを言ったら、「一緒にやる」と言うので、仕方なく二人で罠を仕掛け、終わったところで逃げようとした。しかし、間の悪いことに狸が罠にかかってしまい、逃げそびれてしまうのだった。
翌日、馬上の半兵衛に果し合いを申し込む。隙を見て逃げようとキョロキョロするが、あちこちで村人たちが見張っているので、どうにもならない。挙句、半兵衛が飛んでいる蝶を居合で真っ二つにするのを見て怖気づいてしまった。そんな久太郎に村人たちは大ブーイングだったが、強そうなやくざ者・木枯らしの仙三(江原真二郎)が通りかかるのを見つけると、久太郎を放り出して、そっちに行ってしまった。
「旅の恥はかき捨てだ。オイラ年中旅しているから、年中恥かいて良いんだ」
自分にそう言い聞かせ、村を去ろうとする久太郎におふみがオムスビの包みを押し付けて走り去った。呆然とする久太郎に村長の息子が縋りつき、「オラ、おじちゃんが好きだ。おじちゃんに半兵衛を切って欲しいんだ」と訴える。
久太郎を馬鹿にした仙三は、半兵衛に果し合いを申し込むが、五両の小判であっさり寝返ってしまった。一揆を企てた咎で村長はしょっ引かれ、村は五十両を請求される。仙三から小判を取り上げ、村人に渡そうとする久太郎を村人たちが取り囲み、「お前らやくざ者は、食うだけ食って何もしてくれない」と罵った。腹を立てた久太郎は啖呵を切った。
「お前ら、自分じゃ何もしないじゃないか!オイラが殺されたって、何とも思わずに別のやくざを雇うだけじゃないか!オイラ、お前らみたいに汚い人間じゃないんだ!オイラ、あの娘にだって指一本触れちゃいないんだぜ!」
自分たちに累が及ばないように、流れ者を使って代官を亡き者にし、その報酬に身寄りのない娘の体を差し出そうという村人たちの浅ましさに心底嫌気がさしたのだ。
それでも、おふみの懺悔と彼女のささやかな夢に心を動かされた久太郎は、半兵衛一行を追いかけ、村長を逃がし、半兵衛と対峙することとなる…。》
秋の章は、おいねの存在感が光っていた。彼女は、〈陰で涙しつつも黙って不遇に耐える遊女〉などと言う男にとって都合の良い女の像からは大いにはみ出し、激しく自己主張する。猪之助が自分のために命を落としても、それはそれとして、猪之助を殺した千太郎に想いを伝える。彼女はきっと、千太郎の死を知っても後を追ったりはしないだろう。彼女の逞しさの前では、ふらっと現れ、あっさり死んでしまう男二人はあまりにも儚い。
冬の章は、早くに親を亡くした若者と家族を捨てた老人との、束の間だけど濃密な心の交流が、ベタではあるがグッと来た。若者には腕力で負け、娘には罵られる老いぼれやくざの侘しさを志村喬が味わい深く演じ、「不良青年が知り合ったばかりの他人のために命を捨てる」という少々無理のある設定を観る者に素直に受け入れさせてくれる。
春の章は、3話の中で抜群の面白さだった。若い旅鴉が、不遇な村娘に淡い恋心を抱き、娘も彼に惹かれていく。喜劇色の強い物語の中で、若い男女の心の機微が意外なほど繊細に描かれていた。長脇差も、カッパも、三度笠もパッパッと投げ捨てて、堅気で生きて行くことに決めた久太郎を菜の花畑の明るい黄色が祝福している。冬の章で文造が源太に言った「お前はまだ、本当のやくざの汚さも、旅の惨めさも知らない。まだ若いのだからやり直せる」という言葉を思い出して、源太にもそんな幸せがあったなら…としみじみもした。幸せになれる性格、なれない性格ってあるのだろう。
オムニバスって、主演俳優の力量の差が浮き彫りになる残酷な手法だなと思った。中村錦之助が別格なのだ。錦之介が10点満点なら、仲代が7点、松方が5点というところか。マヌケでヘッポコだが心根の真っ直ぐな若いやくざ者を愛嬌たっぷりに演じるので、観る者は久太郎の幸せを願わずにはいられなくなる。表情やしぐさの一つ一つに魅了され、花も実もある稀代の名優であると感嘆した。