岩波文庫の幸田露伴『幻談・観画談 他三点』には、『幻談』『観画談』の他、『骨董』『魔法修行者』『蘆声』が収録されている。5編とも大正14年から昭和13年までの露伴50歳代後半から60歳代にかけての円熟期の作品となる。
私は幸田露伴のことを良く知らない。それどころか、中学か高校か忘れたが現国のテキストに載せられた幸田露伴の解説があまりにも酷かったため、長年敬遠していたくらいなのだ。そのテキストで露伴の代表作として取り上げられていたのは『五重塔』だったのだが、これがいけなかった。抹香臭い教訓話に少年漫画的な根性論をまぶしたような作品として紹介されていて――書き手に露伴を腐す意図はなかったのであろうが――到底手に取る気になれない内容だった。そんな訳で私にとって幸田露伴とは長らくテストに出てくる人という認識でしかなかった。
そんな私が露伴に触れることになったのは、割と最近のことで、全くの偶然出会った。
同じ日に図書館で借りた二冊のアンソロジーの両方に、偶然露伴の短編が載っていたのである。それが、『幻談』と『観画談』であった。『幻談』は宮本輝編『魂がふるえるとき』、『観画談』は澁澤龍彦監修『日本幻想文学大全〈上〉』 に収録されていた(因みにどっちにも泉鏡花が載っていた)。
幻想文学にはデカダンスなイメージが強い。
ポーやホフマンなどは明らかにそちら側の人で、夢想が現実を凌駕し、実生活を破綻させ、悲劇的な最期を迎えたでわけあるが、露伴はあくまでも常識ある市民感覚の保持者で、その生涯に大きな瑕瑾はなかった。露伴にロマン主義的な志向があったことは間違いないが、一方で己の内包する夢幻世界を教養と市民感覚で支えることの出来る現実主義者でもあったのだ。
精神に混乱を来すことなく、また、物知りの閑文学に留まることもなく、相反する二つの志向をバランスよく保持し続けたところに露伴の偉大さがある。
洒脱な語りの中で、自然描写も薀蓄も怪異も並列に並べられている。主人公は日常生活の一コマの中で異常な体験をするが、そのために発狂したり死んだりはしない。異界と俗世との間をスルリと往還し、その過程で破滅とは正反対の健全な精神を得ているようである。
『幻談』は、徳川期もまだひどく末にはならない時分、本所の方に住んでいた旗本が遭遇した怪異譚である。
《小普請入りになって閑になったその人は釣を楽しみにしていた。活計に困らず、傲慢でも偏屈でもなく、誰が目にも良い人。そんな彼であるから、釣の中でも品の良いケイズ釣りを好んだのは至極順当な話であった。
その人が老船頭の吉と共に川に出たが一匹も釣れない日が二日続いた。
いくら趣味でも余り釣れないのでは、遊びの世界が狭くなる。鷹揚なその人は機嫌を損ねたりはしなかったが、吉の方では気が済まない。客が文句を言わない分、逆に気がすくむ。既に夕まづみになり、客の方が「もうよそうよ。」と言い出しても、吉は全敗に終わらせたくない意地から、舟を今日までかかったことの無い場所へ持って行った。
余り晩くまでやっていたから、まずい潮になってきた。
二人はケイズではなく、溺死体に遭遇する。釣りに出る者にとって溺死体自体は嬉しくも珍しくもない‘お客さん’だ。しかしその‘お客さん’が固く掴んでいた釣竿は、野布袋の丸というたいへん上等の竿だった。それを見た旗本は常の彼からは考えられないような暴挙に出た…》
『観画談』はある苦学生が、療養の旅に出た先で体験した一夜の怪異譚。
《困苦勤勉の雛形そのものの如き月日を送る人がいた。
同窓生から‘大器晩成先生’と渾名されたその人は、度の過ぎた勉学のためか神経衰弱を患ってしまう。余分な金など持たない晩成先生は出来るだけ費用のかからない療養先を求めて、旅中で知り合った遊歴者に教えられたある山寺を訪ねた。雨がサーッと降り出した。
蔵海という若僧に中に通された晩成先生は、夜に入り質素な食事を出された。
殆ど雑話の無い座では寺の概略を聞き得たに過ぎなかったが、晩成先生は、ザァッという雨音の度に蔵海と和尚が暗い顔して目を見合わせるのに気がついた。
客室に通された晩成先生は、夜具に入るが深夜、和尚と蔵海に起こされる。
大雨のため渓が俄に膨れて来たので、今のうちに隠居所の草庵に映って欲しいと急かされた晩成先生は、蔵海の案内で不気味な物音のする雨の山道を草庵へ向かった。そこで、痩せ干からびた聾者の老僧とある画を観ることになる…》
明治期にデビューした作家に新鮮味を感じるのはおかしいかも知れないが、頽廃ではない幻想というのが私には衝撃だった。
もう一度『幻談』と『観画談』を読み直したいと思って、手にした本書であったが、読後、一番心に残ったのは、『蘆声』であった。『蘆声』は、『幻談』と同じく釣愛好家の物語である。
《釣好きの〈予〉が、30年ほど前に出会ったある少年との思い出を語る。
釣魚を始めてから1年ほどの頃、〈予〉は毎日のように中川べりの西袋というところで釣を楽しんでいた。
ある日のこと、〈予〉が好んで使っていた場処で、先に釣をしている12、3歳くらいの少年がいた。少年は釣に慣れていないようだった。しかし、遊びでやっている訳ではないという。母親に言いつけられて釣に出ているのだそうだ。
“下らなく遊んでいるより魚でも釣って来いってネ。僕下らなく遊んでいたんじゃない、学校の復習や宿題なんかしていたんだけど。”
合点の言った〈予〉が、
“ほんとのお母さんじゃないネ。”
と問うと、少年は吃驚して目を見張った。
少年は、打ち解けるにつれて、温和な親しみ寄りたいというが如き微笑を幽かに湛えて〈予〉の方を見るようになった。
しかし、日が堤の陰に落ち、〈予〉が帰り支度を始めると、少年は暗い顔になり、
“小父さんもう帰るの?”
と力なく声をかけてきた。
その薄汚い頬被りの手拭、その下から漏れている額のボウボウ生えの髪さき、垢じみた赭い顔…。〈予〉は、それらのすべてが少年の境遇を無残に暴露していることに気がついた。
それでも、
“今のお母さんはお前をいじめるのだナ。”
“今日も鮒を一尾ばかり持って帰ったら叱られやしないかネ。”
と心配する〈予〉に、
“ナーニ、俺が馬鹿なんだ。”
という一語で持って答え、それ以上は言わない少年の心映えの美しさに〈予〉は衝撃を受けた。見た訳でなくても情態は推察できる。しかし…》
善き人たちの、束の間だけど爽やかな交流が美しい。
少年が二度と西袋に現れなかった理由は不明だが、私は、気の毒なほど分別のある少年が、親切な小父さんの厚意に甘えてはいけないと遠慮したからではないかと考えている。
人間関係の質とはどれだけの長さを共に過ごしたかとか、どれだけ腹の中を見せ合ったとかで測れるものではないだろう。二人の関わりは淡いものだった。彼らはお互いのことを殆ど知らないまま(多分、名前も知らない)別れたのだけど、それは彼らの関係の質を少しも損なっていない。
〈予〉が少年を忘れられないように、少年にとっても〈予〉と過ごした一日の思い出は、辛かった少年時代の数少ない美しい情景として、心の支えになってきたことだろう。一つの善き思い出だけで、人間は人の世の善性を信じることが可能なのではないだろうか?
古今の文学に明るい露伴であるが、収録されている五編は、衒学趣味や技巧があからさまではなく、端正かつ平明な文体。読む人を選ばない間口の広さである。露伴に対して敷居の高さを感じていた長い年月が何だったのかと訝しんでしまう。学校教育は子供から逆に良き文学を遠ざけていると思った。
私は幸田露伴のことを良く知らない。それどころか、中学か高校か忘れたが現国のテキストに載せられた幸田露伴の解説があまりにも酷かったため、長年敬遠していたくらいなのだ。そのテキストで露伴の代表作として取り上げられていたのは『五重塔』だったのだが、これがいけなかった。抹香臭い教訓話に少年漫画的な根性論をまぶしたような作品として紹介されていて――書き手に露伴を腐す意図はなかったのであろうが――到底手に取る気になれない内容だった。そんな訳で私にとって幸田露伴とは長らくテストに出てくる人という認識でしかなかった。
そんな私が露伴に触れることになったのは、割と最近のことで、全くの偶然出会った。
同じ日に図書館で借りた二冊のアンソロジーの両方に、偶然露伴の短編が載っていたのである。それが、『幻談』と『観画談』であった。『幻談』は宮本輝編『魂がふるえるとき』、『観画談』は澁澤龍彦監修『日本幻想文学大全〈上〉』 に収録されていた(因みにどっちにも泉鏡花が載っていた)。
幻想文学にはデカダンスなイメージが強い。
ポーやホフマンなどは明らかにそちら側の人で、夢想が現実を凌駕し、実生活を破綻させ、悲劇的な最期を迎えたでわけあるが、露伴はあくまでも常識ある市民感覚の保持者で、その生涯に大きな瑕瑾はなかった。露伴にロマン主義的な志向があったことは間違いないが、一方で己の内包する夢幻世界を教養と市民感覚で支えることの出来る現実主義者でもあったのだ。
精神に混乱を来すことなく、また、物知りの閑文学に留まることもなく、相反する二つの志向をバランスよく保持し続けたところに露伴の偉大さがある。
洒脱な語りの中で、自然描写も薀蓄も怪異も並列に並べられている。主人公は日常生活の一コマの中で異常な体験をするが、そのために発狂したり死んだりはしない。異界と俗世との間をスルリと往還し、その過程で破滅とは正反対の健全な精神を得ているようである。
『幻談』は、徳川期もまだひどく末にはならない時分、本所の方に住んでいた旗本が遭遇した怪異譚である。
《小普請入りになって閑になったその人は釣を楽しみにしていた。活計に困らず、傲慢でも偏屈でもなく、誰が目にも良い人。そんな彼であるから、釣の中でも品の良いケイズ釣りを好んだのは至極順当な話であった。
その人が老船頭の吉と共に川に出たが一匹も釣れない日が二日続いた。
いくら趣味でも余り釣れないのでは、遊びの世界が狭くなる。鷹揚なその人は機嫌を損ねたりはしなかったが、吉の方では気が済まない。客が文句を言わない分、逆に気がすくむ。既に夕まづみになり、客の方が「もうよそうよ。」と言い出しても、吉は全敗に終わらせたくない意地から、舟を今日までかかったことの無い場所へ持って行った。
余り晩くまでやっていたから、まずい潮になってきた。
二人はケイズではなく、溺死体に遭遇する。釣りに出る者にとって溺死体自体は嬉しくも珍しくもない‘お客さん’だ。しかしその‘お客さん’が固く掴んでいた釣竿は、野布袋の丸というたいへん上等の竿だった。それを見た旗本は常の彼からは考えられないような暴挙に出た…》
『観画談』はある苦学生が、療養の旅に出た先で体験した一夜の怪異譚。
《困苦勤勉の雛形そのものの如き月日を送る人がいた。
同窓生から‘大器晩成先生’と渾名されたその人は、度の過ぎた勉学のためか神経衰弱を患ってしまう。余分な金など持たない晩成先生は出来るだけ費用のかからない療養先を求めて、旅中で知り合った遊歴者に教えられたある山寺を訪ねた。雨がサーッと降り出した。
蔵海という若僧に中に通された晩成先生は、夜に入り質素な食事を出された。
殆ど雑話の無い座では寺の概略を聞き得たに過ぎなかったが、晩成先生は、ザァッという雨音の度に蔵海と和尚が暗い顔して目を見合わせるのに気がついた。
客室に通された晩成先生は、夜具に入るが深夜、和尚と蔵海に起こされる。
大雨のため渓が俄に膨れて来たので、今のうちに隠居所の草庵に映って欲しいと急かされた晩成先生は、蔵海の案内で不気味な物音のする雨の山道を草庵へ向かった。そこで、痩せ干からびた聾者の老僧とある画を観ることになる…》
明治期にデビューした作家に新鮮味を感じるのはおかしいかも知れないが、頽廃ではない幻想というのが私には衝撃だった。
もう一度『幻談』と『観画談』を読み直したいと思って、手にした本書であったが、読後、一番心に残ったのは、『蘆声』であった。『蘆声』は、『幻談』と同じく釣愛好家の物語である。
《釣好きの〈予〉が、30年ほど前に出会ったある少年との思い出を語る。
釣魚を始めてから1年ほどの頃、〈予〉は毎日のように中川べりの西袋というところで釣を楽しんでいた。
ある日のこと、〈予〉が好んで使っていた場処で、先に釣をしている12、3歳くらいの少年がいた。少年は釣に慣れていないようだった。しかし、遊びでやっている訳ではないという。母親に言いつけられて釣に出ているのだそうだ。
“下らなく遊んでいるより魚でも釣って来いってネ。僕下らなく遊んでいたんじゃない、学校の復習や宿題なんかしていたんだけど。”
合点の言った〈予〉が、
“ほんとのお母さんじゃないネ。”
と問うと、少年は吃驚して目を見張った。
少年は、打ち解けるにつれて、温和な親しみ寄りたいというが如き微笑を幽かに湛えて〈予〉の方を見るようになった。
しかし、日が堤の陰に落ち、〈予〉が帰り支度を始めると、少年は暗い顔になり、
“小父さんもう帰るの?”
と力なく声をかけてきた。
その薄汚い頬被りの手拭、その下から漏れている額のボウボウ生えの髪さき、垢じみた赭い顔…。〈予〉は、それらのすべてが少年の境遇を無残に暴露していることに気がついた。
それでも、
“今のお母さんはお前をいじめるのだナ。”
“今日も鮒を一尾ばかり持って帰ったら叱られやしないかネ。”
と心配する〈予〉に、
“ナーニ、俺が馬鹿なんだ。”
という一語で持って答え、それ以上は言わない少年の心映えの美しさに〈予〉は衝撃を受けた。見た訳でなくても情態は推察できる。しかし…》
善き人たちの、束の間だけど爽やかな交流が美しい。
少年が二度と西袋に現れなかった理由は不明だが、私は、気の毒なほど分別のある少年が、親切な小父さんの厚意に甘えてはいけないと遠慮したからではないかと考えている。
人間関係の質とはどれだけの長さを共に過ごしたかとか、どれだけ腹の中を見せ合ったとかで測れるものではないだろう。二人の関わりは淡いものだった。彼らはお互いのことを殆ど知らないまま(多分、名前も知らない)別れたのだけど、それは彼らの関係の質を少しも損なっていない。
〈予〉が少年を忘れられないように、少年にとっても〈予〉と過ごした一日の思い出は、辛かった少年時代の数少ない美しい情景として、心の支えになってきたことだろう。一つの善き思い出だけで、人間は人の世の善性を信じることが可能なのではないだろうか?
古今の文学に明るい露伴であるが、収録されている五編は、衒学趣味や技巧があからさまではなく、端正かつ平明な文体。読む人を選ばない間口の広さである。露伴に対して敷居の高さを感じていた長い年月が何だったのかと訝しんでしまう。学校教育は子供から逆に良き文学を遠ざけていると思った。