何も全ての登場人物が不幸になる物語が悪いとも思わないし、絶望に満ちた物語が嫌いなわけでもない。原作はベストセラーとのことだから、それなりにちゃんとしているのだろうけれど、結局は、演出が悪いのか、脚本が悪いのか、テレビのようにシーン毎に伝えたいことがきっちりしすぎて全体の繋がりが悪い。どうもチグハグ感がぬぐえない。2004年アカデミー賞で3部門にノミネートされた作品。
夫と別れ気力を失っていたキャシー(ジェニファー・コネリー)は、税金の未払いのために、父の遺産である海辺の家を差し押さえられてしまう。それが行政の手違いとわかった時には、家はすでに売り出され、アラブ出身のベラーニ元大佐(ベン・キングスレー)に買われていた。ベラーニーは母国の政変のためアメリカに亡命し、「大佐」としての誇りを守りつつも、肉体労働やコンビニの店員として日々の生活を糧をえていた。キャシーはキャシーに好意を寄せる郡警察のレスター(ロン・エルダード)の力を借り、家を取り戻そうとするが、家族と再出発を望むベラーニは応じようとしない。それぞれの「家」への想いが分かるにつれ、キャシーとベラーニー一家双方にも心の変化が現れるのだが…
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例えばアメリカという国の抱える様々な問題を提起しつつ、「家(HOUSE)」ではなく「家庭(HOME)」を求める人々の様を描いているのだろうが、なんといってもチグハグさが気になって仕方がない。キャシーが抱えた孤独も十分に描かれたとは思えないし、レスターの行動の性急さもよくわからない。ベラーニ一家も(アラブだとあれが普通なのかもしれないけれど)もう1つ家族の愛情もそれにもかかわらず抱えている闇が描かれていたとはいえない。ただ「こうなんです」といった状況説明が延々続くといった感じだろうか。
例えばこれが「チョコレート」であれば、新の愛情かどうかも見えないまま結びついていく2人の姿がきちんと描かれているし、「アメリカン・ビューティー」であればそうした関係のいびつさをきちんと描き出している。あるいは「ドックヴィル」であれば実験的な位置付けとしてそうした説明的な要素をそれとして描いている。結局、この映画は「物語」を「物語」として描くことができなかったのだろう。
話の自体は興味深いところもある。単に「家」の正当な持ち主を巡る物語ではないし、アラブ人のアメリカにおける立ち位置の難しさや、それぞれの「家」の向こう側に見ている「家庭」への想い、孤独、絆、そして衝撃的な展開!など。まぁ、これだけの材料がありながらきちんと調理できなかったのだ。
役者陣も個々のシーンでは非常に魅力的だっただけに非常に残念な気がする。
【評価】
総合:★★☆☆☆
役者:★★★★☆
もっと面白くできるだろう!:★★★★☆
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砂と霧の家 特別版
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チョコレート:アメリカの抱えた葛藤とそれを乗り越えるための希求
「アメリカン・ビューティー」-「アメリカ」という病の行く末
ドッグヴィル - 「不快」な気分なのに見てしまう魅力
夫と別れ気力を失っていたキャシー(ジェニファー・コネリー)は、税金の未払いのために、父の遺産である海辺の家を差し押さえられてしまう。それが行政の手違いとわかった時には、家はすでに売り出され、アラブ出身のベラーニ元大佐(ベン・キングスレー)に買われていた。ベラーニーは母国の政変のためアメリカに亡命し、「大佐」としての誇りを守りつつも、肉体労働やコンビニの店員として日々の生活を糧をえていた。キャシーはキャシーに好意を寄せる郡警察のレスター(ロン・エルダード)の力を借り、家を取り戻そうとするが、家族と再出発を望むベラーニは応じようとしない。それぞれの「家」への想いが分かるにつれ、キャシーとベラーニー一家双方にも心の変化が現れるのだが…
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例えばアメリカという国の抱える様々な問題を提起しつつ、「家(HOUSE)」ではなく「家庭(HOME)」を求める人々の様を描いているのだろうが、なんといってもチグハグさが気になって仕方がない。キャシーが抱えた孤独も十分に描かれたとは思えないし、レスターの行動の性急さもよくわからない。ベラーニ一家も(アラブだとあれが普通なのかもしれないけれど)もう1つ家族の愛情もそれにもかかわらず抱えている闇が描かれていたとはいえない。ただ「こうなんです」といった状況説明が延々続くといった感じだろうか。
例えばこれが「チョコレート」であれば、新の愛情かどうかも見えないまま結びついていく2人の姿がきちんと描かれているし、「アメリカン・ビューティー」であればそうした関係のいびつさをきちんと描き出している。あるいは「ドックヴィル」であれば実験的な位置付けとしてそうした説明的な要素をそれとして描いている。結局、この映画は「物語」を「物語」として描くことができなかったのだろう。
話の自体は興味深いところもある。単に「家」の正当な持ち主を巡る物語ではないし、アラブ人のアメリカにおける立ち位置の難しさや、それぞれの「家」の向こう側に見ている「家庭」への想い、孤独、絆、そして衝撃的な展開!など。まぁ、これだけの材料がありながらきちんと調理できなかったのだ。
役者陣も個々のシーンでは非常に魅力的だっただけに非常に残念な気がする。
【評価】
総合:★★☆☆☆
役者:★★★★☆
もっと面白くできるだろう!:★★★★☆
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砂と霧の家 特別版
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