ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

仲井戸”チャボ”麗市 というスタイル

2005年06月12日 | 音楽
何となく、いつも入ることのないレコード店が妙に気にかかったので、誘われるように店内へ。久しぶりに入った店内は配置もわからないほど。適当に眺めてい ると、あ、これか、ここへ導いたのは。「市場の論理」が行き渡り、旬を過ぎれば廃盤になるのも直ぐだし、名盤だからといっていつまででも棚に残しておいて くれるレコード店もめっきり減ってしまったけど、中古盤として「流通」しつづけることだってある。1989年発売の仲井戸麗市のソロ2作目「絵」。


絵 / 仲井戸麗市

仲井戸麗市を聞いた人にはもちろんこのアルバムは勧めない。POPミュージックと叙情性が上手く組み合わされた3作目の「DADA」や麗蘭の1作目「麗 蘭」を勧めるだろう。でも、きっと仲井戸麗市好きにはこの「絵」が手放せない人も多いだろう。内省的で、決して明るいアルバムではない。どちらかといえば 「敗残者」あるいは敗れると分かってしまった戦いを続けねばならない男の「意志」であり「優しさ」であり「叙情性」に満ちた作品と言ったほうがいいのだろ うか。

「HISAKO」「エピローグ」「ホーボーへ」…一体どれくらい聴いたのだろう。今ではどうやってこのアルバムに出会ったのかも覚えていないけれど、ひど く疲れていた時にこのアルバムを聴きまくっていた。「さぁ、一緒に明日にむかって頑張ろうよ!」なんて彼は歌わない。彼はそこにいて、
 
 ほら ねぇ 来てごらん
 早く ほら 来てごらん
 今夜 空に穴があいたよ
 僕らが通り抜けられそうな
 
「慕情」より

と優しく口ずさんでくれる。

あれから10年以上が経ち、何となく社会にも適合して、否、結局こんなブログを書いているということは、持ち合わせてしまった「過剰さ」を上手く処理でき ていないからなのだろう。

仲井戸麗市のこの愚直なまでのオールドスタイルのロックを好きな人たちは、きっとどこかでこの社会に居心地の悪さを感じている人たちなのではないか。この 「絵」というアルバムを聴いているとそんな気になる。いや、きっとそんなことも僕の過剰な思い込みに過ぎないのだろう。福山雅治がさらりとSIONの 「SORRY,baby」を唄ってしまえるように、今時のJ-POPの間に麗蘭やSIONを挟んで聴くことができる方が普通なのだろう。


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