友人が誕生日だということでFacebookで「おめでとう!」とコメントを投稿。驚いたのはその友人へのBirthday Message の半数以上が海外からだったこと。そういえば知り合う以前からよく海外に旅行していたとは聞いていたけど。
先日、これまで「6次の隔たり」と呼ばれていたスモールワールドの世界がFacebookによってさらに小さくなったという記事があった。
Facebookで「狭くなった」世界を実証 ? WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム
「任意の2人を隔てるのは4.74人」--Facebookとミラノ大、「6次の隔たり」を調査 - CNET Japan
この「6次の隔たり」というのは、自分の知り合いを6人介すれば世界中の誰とでも知り合いになれる、という現象。例えば僕がオバマ大統領にどうしても伝えたいメッセージがあったとして、もちろん僕はオバマの連絡先など知るはずもない。しかしそれを知っていそうな友人(とその友人)を順番に介していけば、6人目にはそのメッセージがオバマに届くことになる。
数学的にもその通りで、僕が44人の友人を持っており、その友人も互いに重ならない友人を44人持っていたとする。これを6度繰り返すと、つまり44を6乗すると「72.56億」と世界の人口70億人を超えることになる。またこうした「スモールワールド現象」を証明するための実験も行われており、スタンレー・ミルグラムの実験では5.2人(6ホップ)で辿りつけることが示されている。
この「6次の隔たり」がソーシャルネットワークの時代、Facebookの時代においてどう変化したかを検証したのが今回の記事。この記事によると、「世界にいる任意の2人を隔てる人の数は実際には平均で4.74人」だという。
つまり5ホップ、「6次の隔たり」ではなく「5次の隔たり」ということになる。
さらには「単一の国に限定した場合、その平均値は3まで下がる」という。
このことはどう読み取ればいいのだろう。
1つは単純にFacebookに参加する人が増えたことで「繋がる」確率が増えたということだろう。もう1つにはFacebookの「繋がり」を実現するためのアルゴリズム、ソーシャルグラフを可視化するための仕組みの精度の高さがあげられるのではないか。
あの恐ろしいくらいの「友人」らしき人をレコメンドしてくる仕組はmixiなどでは到底及びない。実名主義、学校や会社名といったプロファイルが蓄積されていること、さらにはスマホ利用者の場合、アドレス帳などの情報も利用されているのかもしれない。
そうだとしてそのことは決してマイナスの効果だけではない。僕らはこれまでであれば決して連絡を取らなかったであろう遠く離れた友人たちが日々何をしているか、何を考えているかを知ることができる。僕らは改めて「個人情報」と「利便性」を天稟にかけて後者を選ぶ時代に生きているのだと実感するのだ。
Facebookのこの「つながり」を創りだすシステムは、確率的・数学的な意味での「スモールワールド」を超えた「つながり」を作り出しているといえる。数学的に意味では、44^6(44の6乗)で世界の人口を網羅できる。FBが実現したものはそれだけではなく、「つながり」の強度や誰がどういう「関係性」を持ち得るかといった予測など「質」と「網羅性」を高めている。その結果、2人の人間がつながるための最短パスを効率よく作り出すことができるのだろう。
こうしたことが直接的にユーザーにどのようなメリットをもたらすかと問われると、明示できるものはないかもしれない。しかし実際には、それまでであれば疎遠になっていた関係が距離を超えて親密になったり、リアルな世界だけでは結びつきにくかったコミュニティが生み出されたりしている。「つながり」の質が高まることで、新しい何かを生み出す契機となっているのだ。
そしてこれがソーシャルネットのプラットフォームとしてのKFSなのだろう。
そうした時、日本のSNS・mixiは対抗できるのだろうか。
今回の調査結果でも、「友人の大半は自分の周辺に局所的に集中していて、すべての関係の84%が、同じ国に住んでいるユーザー間」のものだったという結果がでている。特に日本の場合、「日本語」という壁、日本独特の文化や国民性もあり、そう考えれば、国内に特化した形のSNSという選択肢ももちろんある。、
しかし残り16%の魅力、普段は会えることのない海外の友人とつながることのできるという魅力は捨てがたい。
まして例え84%の関係性が国内に閉じていたとしても、ソーシャルネットというプラットフォームを利用した上位サービスやアプリケーション側からみれば、より多くの利用者がいる(=より大きな市場)方が様々な開発を進めやすい。そして結果的には、そのソーシャルネット自体の魅力が高まっていくことになる。
日本のWEBサービスに共通していることかもしれないが、その閉鎖性と国内市場の中途半端な大きさのために、「世界」を視野に入れたサービスを作り出せていない/作り出す気がないのだ。そしてそのことがGoogleやappleや、FB、SFDCなど海外勢に国内市場を取られていることに繋がっているのだろう。
mixiもNetratingの集計方法の適正化に対して抗議をしているよりも、より大きな可能性―世界を視野に入れた展開を検討してほしいものだ。
P.S 行方も定かでない高校時代に友人に連絡を取りたいと思ったるんだけど、FBで聞けば誰か探しだしてくれるんだろうか。。。
ソーシャルネットワークの時代と社会化・組織化される自己 - ビールを飲みながら考えてみた…
バトンを回す-スモールワールドへの挑戦 - ビールを飲みながら考えてみた…
先日、これまで「6次の隔たり」と呼ばれていたスモールワールドの世界がFacebookによってさらに小さくなったという記事があった。
Facebookで「狭くなった」世界を実証 ? WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム
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この「6次の隔たり」というのは、自分の知り合いを6人介すれば世界中の誰とでも知り合いになれる、という現象。例えば僕がオバマ大統領にどうしても伝えたいメッセージがあったとして、もちろん僕はオバマの連絡先など知るはずもない。しかしそれを知っていそうな友人(とその友人)を順番に介していけば、6人目にはそのメッセージがオバマに届くことになる。
数学的にもその通りで、僕が44人の友人を持っており、その友人も互いに重ならない友人を44人持っていたとする。これを6度繰り返すと、つまり44を6乗すると「72.56億」と世界の人口70億人を超えることになる。またこうした「スモールワールド現象」を証明するための実験も行われており、スタンレー・ミルグラムの実験では5.2人(6ホップ)で辿りつけることが示されている。
この「6次の隔たり」がソーシャルネットワークの時代、Facebookの時代においてどう変化したかを検証したのが今回の記事。この記事によると、「世界にいる任意の2人を隔てる人の数は実際には平均で4.74人」だという。
つまり5ホップ、「6次の隔たり」ではなく「5次の隔たり」ということになる。
さらには「単一の国に限定した場合、その平均値は3まで下がる」という。
このことはどう読み取ればいいのだろう。
1つは単純にFacebookに参加する人が増えたことで「繋がる」確率が増えたということだろう。もう1つにはFacebookの「繋がり」を実現するためのアルゴリズム、ソーシャルグラフを可視化するための仕組みの精度の高さがあげられるのではないか。
あの恐ろしいくらいの「友人」らしき人をレコメンドしてくる仕組はmixiなどでは到底及びない。実名主義、学校や会社名といったプロファイルが蓄積されていること、さらにはスマホ利用者の場合、アドレス帳などの情報も利用されているのかもしれない。
そうだとしてそのことは決してマイナスの効果だけではない。僕らはこれまでであれば決して連絡を取らなかったであろう遠く離れた友人たちが日々何をしているか、何を考えているかを知ることができる。僕らは改めて「個人情報」と「利便性」を天稟にかけて後者を選ぶ時代に生きているのだと実感するのだ。
Facebookのこの「つながり」を創りだすシステムは、確率的・数学的な意味での「スモールワールド」を超えた「つながり」を作り出しているといえる。数学的に意味では、44^6(44の6乗)で世界の人口を網羅できる。FBが実現したものはそれだけではなく、「つながり」の強度や誰がどういう「関係性」を持ち得るかといった予測など「質」と「網羅性」を高めている。その結果、2人の人間がつながるための最短パスを効率よく作り出すことができるのだろう。
こうしたことが直接的にユーザーにどのようなメリットをもたらすかと問われると、明示できるものはないかもしれない。しかし実際には、それまでであれば疎遠になっていた関係が距離を超えて親密になったり、リアルな世界だけでは結びつきにくかったコミュニティが生み出されたりしている。「つながり」の質が高まることで、新しい何かを生み出す契機となっているのだ。
そしてこれがソーシャルネットのプラットフォームとしてのKFSなのだろう。
そうした時、日本のSNS・mixiは対抗できるのだろうか。
今回の調査結果でも、「友人の大半は自分の周辺に局所的に集中していて、すべての関係の84%が、同じ国に住んでいるユーザー間」のものだったという結果がでている。特に日本の場合、「日本語」という壁、日本独特の文化や国民性もあり、そう考えれば、国内に特化した形のSNSという選択肢ももちろんある。、
しかし残り16%の魅力、普段は会えることのない海外の友人とつながることのできるという魅力は捨てがたい。
まして例え84%の関係性が国内に閉じていたとしても、ソーシャルネットというプラットフォームを利用した上位サービスやアプリケーション側からみれば、より多くの利用者がいる(=より大きな市場)方が様々な開発を進めやすい。そして結果的には、そのソーシャルネット自体の魅力が高まっていくことになる。
日本のWEBサービスに共通していることかもしれないが、その閉鎖性と国内市場の中途半端な大きさのために、「世界」を視野に入れたサービスを作り出せていない/作り出す気がないのだ。そしてそのことがGoogleやappleや、FB、SFDCなど海外勢に国内市場を取られていることに繋がっているのだろう。
mixiもNetratingの集計方法の適正化に対して抗議をしているよりも、より大きな可能性―世界を視野に入れた展開を検討してほしいものだ。
P.S 行方も定かでない高校時代に友人に連絡を取りたいと思ったるんだけど、FBで聞けば誰か探しだしてくれるんだろうか。。。
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ところで、私の昔からの友人はmixi、PBしてない人がほとんどなんだけど、そこに参加する性格パターンって分析してる?ものすごくわかりやすい傾向があると思うんだけど。してたら読みたいな~
FBやmixiで情報を発信することの意味は今ひとつわからないんだよね。まぁ、自分のことを知ってほしいとか中心にいたいって人が多いんだろうけど。