「柏」のとあるバーでマスターや建築事務所を営んでいる常連の方とこの街についての話をする機会があって、何となくそこで語られた言葉がこの街の「都市論」を言い当てているような気がするのでまとめておこうと思う。
そもそもマスターも常連の方も柏とは縁もゆかりもない人たち。常連さんにいたっては阪神大震災の時に三宮にいたということなので、意外と近くで一緒だったのかもしれない。2人とも必然的な理由はないまま、柏で拠点を築くことになったとのこと。
「柏」という街は常磐線沿線の40万人ほどの街。大都市ということはないが、ひと通り何でも揃っているような街。近隣には「松戸」もあるし、電車で30分強走れば上野や大手町にもたどりつける。そのため東京の衛星都市としてサラリーマンが多く居住している。
しかし単なる衛星都市というだけではなく「柏」自体をを盛り上げようという動きも盛んだ。毎年、夏に行われる「柏まつり」は街全体を巻き込んだ大きなイベントで約70万人で賑わうし、近隣の街と共同で実施している「手賀沼花火大会」は40万以上の人で賑わっている。また商店街の活性化イベントも多く、参加店の料理を安価に体験できる「ユルベルト」や街の人に街の自然やアート作品を体験してもらおうという「アートラインかしわ」などなど
それは僕らのように外様で、定住しないかもしれない人にとっても心地よい。気軽に参加できるようなイベントが多いし、世代的にも老若男女問わず楽しめるものが多い。
しかしそれは同時にこの街の「歴史性」なさとの表裏でもある。
先の「柏まちり」にしても70万人という人を集めるだけのパワーはあるものの、実際にそこで行われているものは、「ねぶた」にしろ「神輿」「よさこい」「柏おどりパレード」にしろ古くから柏に由来するといった類のものではない。地元の人たちが様々な出店を開いたり、ダンスや演奏などの発表会があったりして「現在」の人々が楽しめる内容ではあるけれど、柏の歴史を感じるものはなく、どこかで底の浅さが出てしまうのだ。
「参加のしやすさ」「今風」の楽しさがある反面、「歴史性」や街の「原点」を感じることはない。
そしてそのことはこの街で商売をする人にとっても同じなのだという。
外から流れてきた人がこの街で新たに商売を始めようとした時、それを阻害するような風潮はこの街にはないのだという。新たに始めようとすれば快く受け入れてくれる。そういう意味でこの街は排他的ではなく、間口が広い。新しいものを取り入れていく柔軟性もある。
その一方で商売を続けていくためには、「自分」で頑張り続けるしかないのだという。商店街やそうした街の集まりがあったとしても、それが守ってくれるわけではない。間口が広い分、他人からのサポートもなく、入れ替わりが激しい。街としての新陳代謝が激しいのだ。
この街では様々なイベントが企画され、それを引っ張っていっている人も若い人が多いのだろう。そういった新規性や今風の内容になっている。そして例えば「ユルベルト」のように多くのお店が参加し、一緒に街を盛り上げようという雰囲気がある。しかし同時にそれはそうした「新しさ」で話題を作り続けなければならないからでもある。歴史性のなさは安定した観光資源を供給できないこととイコールだし、自ら企画を生み出し続けなければ東京のベットタウンとして、街に「お金」が落ちなくなるのだ。
活気のある街。しかしどこかで底が浅く、残念な街。しかし同時に僕らのような外様にも「心地良い街」でもあるのだ。
柏から考える|コンパクトな街としての可能性 - ビールを飲みながら考えてみた…
市民文学賞に求められる独自の狙いと戦略 - ビールを飲みながら考えてみた…
ネコと花火 - ビールを飲みながら考えてみた…
そもそもマスターも常連の方も柏とは縁もゆかりもない人たち。常連さんにいたっては阪神大震災の時に三宮にいたということなので、意外と近くで一緒だったのかもしれない。2人とも必然的な理由はないまま、柏で拠点を築くことになったとのこと。
「柏」という街は常磐線沿線の40万人ほどの街。大都市ということはないが、ひと通り何でも揃っているような街。近隣には「松戸」もあるし、電車で30分強走れば上野や大手町にもたどりつける。そのため東京の衛星都市としてサラリーマンが多く居住している。
しかし単なる衛星都市というだけではなく「柏」自体をを盛り上げようという動きも盛んだ。毎年、夏に行われる「柏まつり」は街全体を巻き込んだ大きなイベントで約70万人で賑わうし、近隣の街と共同で実施している「手賀沼花火大会」は40万以上の人で賑わっている。また商店街の活性化イベントも多く、参加店の料理を安価に体験できる「ユルベルト」や街の人に街の自然やアート作品を体験してもらおうという「アートラインかしわ」などなど
それは僕らのように外様で、定住しないかもしれない人にとっても心地よい。気軽に参加できるようなイベントが多いし、世代的にも老若男女問わず楽しめるものが多い。
しかしそれは同時にこの街の「歴史性」なさとの表裏でもある。
先の「柏まちり」にしても70万人という人を集めるだけのパワーはあるものの、実際にそこで行われているものは、「ねぶた」にしろ「神輿」「よさこい」「柏おどりパレード」にしろ古くから柏に由来するといった類のものではない。地元の人たちが様々な出店を開いたり、ダンスや演奏などの発表会があったりして「現在」の人々が楽しめる内容ではあるけれど、柏の歴史を感じるものはなく、どこかで底の浅さが出てしまうのだ。
「参加のしやすさ」「今風」の楽しさがある反面、「歴史性」や街の「原点」を感じることはない。
そしてそのことはこの街で商売をする人にとっても同じなのだという。
外から流れてきた人がこの街で新たに商売を始めようとした時、それを阻害するような風潮はこの街にはないのだという。新たに始めようとすれば快く受け入れてくれる。そういう意味でこの街は排他的ではなく、間口が広い。新しいものを取り入れていく柔軟性もある。
その一方で商売を続けていくためには、「自分」で頑張り続けるしかないのだという。商店街やそうした街の集まりがあったとしても、それが守ってくれるわけではない。間口が広い分、他人からのサポートもなく、入れ替わりが激しい。街としての新陳代謝が激しいのだ。
この街では様々なイベントが企画され、それを引っ張っていっている人も若い人が多いのだろう。そういった新規性や今風の内容になっている。そして例えば「ユルベルト」のように多くのお店が参加し、一緒に街を盛り上げようという雰囲気がある。しかし同時にそれはそうした「新しさ」で話題を作り続けなければならないからでもある。歴史性のなさは安定した観光資源を供給できないこととイコールだし、自ら企画を生み出し続けなければ東京のベットタウンとして、街に「お金」が落ちなくなるのだ。
活気のある街。しかしどこかで底が浅く、残念な街。しかし同時に僕らのような外様にも「心地良い街」でもあるのだ。
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僕自身、千葉県に住む身として、「歴史性のない街」がどのように発展(もしくは衰退)していくのか、見ていきたいと思います。