年が明けたら、私の「忘れられない日」が3度目となります。
去年の今頃、病気を受容するために「発症時の記憶」をたどってみました。
そして、自分の中で出した結論は、
やっぱり、病気が大っ嫌い、一生、病気を受け入れることはしない。
・・・でした。
交流のあるhonohonoさんのブログです。
私は可愛らしいhonoちゃんともお目にかかっています。
私は、どうしても、自分の発症日(劇症型の私は発症日を限定できる)を、
お誕生日のように喩える事が出来ません。
その日を記念日のようにも思えません。
また、別のお仲間さんも、「今の私に病気は必要だったこと」とお書きになっていことがあります。
やっぱり、ソノ心情が理解できず、
「どうして、そんなに達観できるのでしょうか?」と不躾な質問をさせていただきました。
温かいご返信を頂戴しましたが、やっぱり、病気に対しての思いは変わりませんでした。
病気に対して、「なぜ、私なの?」とは思いません。
私でなければいいとは思わないからです。
むしろ、ダーリンでなく、娘でなく、私でよかったと思っています。
年が明けたら、3回目の「その日」、
私は主治医先生に感謝を伝えたいと思っています。
泣かずに、「その日」を迎えることは、一生、来ないかもしれません。
毎度、後ろ向き、根暗な愚痴ブログでスマンです。
去年の今頃、病気を受容するために「発症時の記憶」をたどってみました。
そして、自分の中で出した結論は、
やっぱり、病気が大っ嫌い、一生、病気を受け入れることはしない。
・・・でした。
交流のあるhonohonoさんのブログです。
私は可愛らしいhonoちゃんともお目にかかっています。
私は、どうしても、自分の発症日(劇症型の私は発症日を限定できる)を、
お誕生日のように喩える事が出来ません。
その日を記念日のようにも思えません。
また、別のお仲間さんも、「今の私に病気は必要だったこと」とお書きになっていことがあります。
やっぱり、ソノ心情が理解できず、
「どうして、そんなに達観できるのでしょうか?」と不躾な質問をさせていただきました。
温かいご返信を頂戴しましたが、やっぱり、病気に対しての思いは変わりませんでした。
病気に対して、「なぜ、私なの?」とは思いません。
私でなければいいとは思わないからです。
むしろ、ダーリンでなく、娘でなく、私でよかったと思っています。
年が明けたら、3回目の「その日」、
私は主治医先生に感謝を伝えたいと思っています。
泣かずに、「その日」を迎えることは、一生、来ないかもしれません。
毎度、後ろ向き、根暗な愚痴ブログでスマンです。