勝海舟さんのお父さんである小吉さんは、超ブットンだ方だと知っていましたか?
大金持ちの旗本・男谷家の三男でしたが、お妾さんの子で同じ旗本の勝家に養子に出されました。
と言っても、同じ敷地に住んでいるのです。
勝家では、両親がいないためおばあさんと後に奥さんになる2歳下の孫娘だけでしたが、このおばあさんが超いじわるだったのです。
小吉さんは14歳の時、家出をして関所を嘘を言って通り、お伊勢参りに行ったのです。
途中で、全てをドロボーに取られ乞食をしながら、いろんな所で面倒を見てもらいながら4ヵ月後に江戸にもどって来ました。
この時代は、旗本は、外泊禁止なので後数日遅かったら勝家はお家断絶でした。
21歳の時も、やはり家出をして関西に行きましたが、甥が迎えに来てしぶしぶ帰ってきました。
3年間座敷牢に住んでいましたが、その間に勝海舟が生まれたのです。
このお父さんは、勉強が大嫌いで、自分の名前すら書けず剣術ばかりしていましたが、座敷牢に入っていた時に勉強をしました。
先に出てきた甥は、この時代の剣聖と言われた方です。
当時、3人の剣術の名人がいましたが、それよりも小吉さんは、数段上で、江戸で一番の剣術使いだったと言うことは日本一だったと言われています。
そんな方なので、裏世界の市民の親分のような存在となり、彼のかっこを真似した浪人がたくさんいました。
子分たちが日本中に散っていたので、勝小吉さんの名前は、その世界では日本中にとどろいたいたそうです。
30代で、隠居してから夢酔と名乗り、子供たちに、自分と同じような馬鹿な人生を歩んでほしくないと言うので「夢酔独言」と言う本を書きました。
これがべらんめー調の江戸弁で書かれた自分史です。
勝海舟も、べらんめー調の江戸弁で、弟子の岩本善治が書きとめてそのままの語り口調で本になっています。
このお父さんの子分たちが後に勝海舟が江戸城を無血開城する時、協力してくれたのです。
勝海舟は、反面教師のお父さんがいたので、剣術と勉強の両方をがんばりました。
親子ともども、お酒は飲まないが、女には弱いという点や性格が似ています。
また、お父さんが家出した時、大けがをしましたが、息子も後に同じところを犬にかまれて、7カ月生死をさまよいます。
親子は似る者ですね。ははは・・・。
ここで唐突ですが、私たちクリスチャンは、真の親である神様に似る者になるよう、日々祈ることが大切ですね。
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