昨日から、このグリーンたちが新しく部屋の住人として仲間入りした。
今は、観葉植物の時期じゃないので、花屋さんの外の隅のほうに、見切りの値段をつけられていた。
だから、私にとってはお買い得。
でも2種類しかなかったので、ちょっと残念。
身きりなので、下に置くお皿もいれて2つで700円だった。
一つは幸福の木、もう一つは名前を忘れた。
日当たりのよすぎる部屋で無事に育つだろうか。
でも、テレビを見ていると、目の端にこの子たちが入ってくる。
なんだかうれしい。
もう少し部屋を片付けて、もっとちゃんとした場所においてあげよう。
花木は話しかけると、答えてくれるそうだ。
私もひとりで話し相手がいなかったからちょうどいい話し相手。
今まで無機質な部屋が、なんとなく、普通の人の住む部屋らしくなってきた。
人生に乾杯
人生には何回もの乾杯があり
何人もの人と乾杯をし
でも乾杯の味は
いつも違った
そして今、
新しく始まる日を迎える人と
杯に溢れる思い出を飲み干す人と共に
乾杯しよう
2005年春にパズル雑誌特集場面で「人生に乾杯」という特集を組んだ。
その時の題字そばに書いた言葉。
これが私の人生そのものになればいいと思い書いた文章だけど、懐かしさがこみあげる。
そして人生でのいろいろな乾杯をするような時の、パズルを作ってもらい、特集にしたのだ。
(ちょうどコーヒーカラーの「人生に乾杯」が流行っていたころだった。パクリ疑惑発覚?いえいえ参考にしたまでです。)
①しん=進む この言葉を使ったパズル
②門出に送る四字熟語
③祝いの席で歌う歌(黒田節)
④餞のことば(餞になるような四字熟語)
昔、携わっていた時はこのように、いろいろな特集を組んでいた。
今は別の雑誌に移ったので、この楽しみ、苦しみからは逃れたが。
今の担当者も、特集は私のアイデアだから、別に引き継がなくてもいいのに・・・と思う。
しかし、私が立ち上げたままの姿で、引き継がれていくのは、いいことか悪いことか。
新しいも企画を考える力がないのだろうか。
よくわからない。
公園を歩いていたら
どんぐり三兄弟に出会った
枝から折れているから、
きっとどこかのわんぱくっ子が折ったのかな?
それぞれが
茶色のピカピカ、ツルツルの
まるでお出かけ用の服を着て
かわいい帽子をかぶっている
秋の落し物どんぐり三兄弟
なにかいいことありそうな夕間暮れ
昨日は残業して遅くなり、家に着いたのは8時30過ぎ。
まずはテレビをつけ、一人の寂しさを紛らわす。
ちょうど試してガッテンをやっていた。
内容は不眠。これは観なくては。
お腹がすいて、早くシャワーを浴びてご飯を食べたいけれど我慢して・・・。
もう、終わりのほうだった。
簡単な眠る方法の実演を観ることができた。
1.椅子に腰かけ、手をグーに固くにぎりしめ、5つ数えぱっと離す。
2.椅子に腰かけ、グーに握った手を胸にぐっと当て、力を入れて肩を上にあげる。
5つ数えたのち、マリオネットの糸が切れたように、ストンと力を抜く。
こうすると身体がポカポカしてきて、眠気が出てくるらしい。
ということは、シャワーは寝る前に浴びて、身体を温めて、この体操をすればいい。
さっそく実演。
でも、もちろん眠剤も飲む。
グー、ストン。 グー、ストン。
数回繰り返しておやすみなさい。
すぐにぱたんとは眠れず、ラジオを聞いていたが、いつもより早く眠れた。
これは簡単でいい。
でも十分寝たはずなのに、朝はトロトロとしていて、やはりギリギリまで起きられなかった。
朝、目が覚めて気がついた
夢の中に母がいた
声だけだったけれど
母だった
そして父もいた
なにもしゃべらないが
私と父は一緒だった
何をしていたのだろう
そんなことは覚えていない
でもたしかに
父と母が夢の中にいた
生前、足の悪い母は
よく何かを頼むとき私を呼ぶ
だから母は声だけだったの?
父はこまごまといろいろやってくれる
だから一緒にいたの?
私は一人ではない
ふと、横を通り過ぎる母の風を感じるときがある
父の優しさは心がちゃんと覚えている
それでも
会いたい 会いたい 会いたい・・・・・
もう、ひまわりの季節だよ
あたらしく買ってきた花を飾りながら
父と母の写真に語りかける
旅先の喫茶店で撮った1枚
ちょっとびっくりした顔の母と
はにかんだような父
どうして二人ともこんなところにいるの
なぜ私一人をおいていったの
ときどき泣きながら怒る
今は暑いから
お花にも氷をいれてあげる
父と母が寂しくないように
毎週花はかかさない
写真と花の空間が
私の心の落ち着く場所
金曜日、疲れて座った電車の中で、小学生の姉妹(4~5年生と2~3年生)がとてもうるさく騒いでいた。
親は何も注意しない。
最初は立ってぐずっていたが、私の隣の席が空いたら一人が座り、向かい合って遊びだした。
それも声も大きいし、人にもぶつかるし・・・・・。
降りる駅までがまんできなくて、つい、言ってしまった。
「静かにしてくれる?!」
静かになったけれど、親はシカトしている。
怒りもしなければ、私に謝りもしない。
他人のフリをしている。
今、夏休み中なので、子供の乗車率が多い。
そしてはしゃぐ。
夏休みでない、会社員たちには日常生活だから、イライラしてしまう。
私に子供がいないからではない。
公共マナーは親のしつけだと思うが、一緒になって騒ぐ親もいる。
最近の親は叱らなくなった。
学校の先生も、あとが怖いから叱らなくなった。
じゃあ、だれが常識的なことを教えてあげるのだろう。
なんだか世の中変だと思う。
私は時々、頭にきて注意することがある。
注意すれば、ちゃんと子供はいうことを聞くのに。
土曜日の深夜、というか日曜日の1時から、NHKで「あのね、さださん」という番組をやっていた。
これは大船渡での公開録画で、さだまさしさんに、何かを話したい人たちを募ったもので、身近なことから、思っていることなんでもぶつけて、さださんが答えるというもの。
そのなかで、さださんが言っている言葉が心に残っている。
大船渡も地震の被害の多い所だったので、命についての「あのね」もあった。
観客の中にも親しい人を亡くした人、ようやく助かった人などたくさん来ていた。
「命は奇跡の積み重ねなんですよ。普通に生きているけれど、本当は毎日が命の積み重ねの連続だと思います。」
ご主人を津波で亡くした人の「あのね」に対する言葉だった。
私もそう思う。
毎日、奇跡が続いているだけで、その奇跡がいつなくなるかが、命の尽きるときだと思う。
私の母も1月の寒い日、奇跡を続けることができなかった。
葬儀など忙しくしている間は、あまり気がつかなかったけれど、すべて済み、ある夜ひとりでテレビを見ていた。
それは「今夜も生でさだまさし」というさださんが視聴者からのお手紙を読むという生番組だ。
この番組は面白いのでいつも、夜遅くまで起きてみていたので、その日も「ああ、生さだやってるんだ・・・」と思いボーッとみていた。
お手紙とさださんの掛け合い(?)はとても面白く、深夜番組なのに、ついつい最後まで見てしまう。
その日、あるお手紙で本当にちょっとした面白いことが書いてあった。
内容は忘れてしまったけれど、おもわず私は声を出して笑っていた。
そして気がついた。
『今、わたし声を出して笑った!』
それまで忘れていた笑い声を久しぶりに聞いのだ。
そしてこれが自分の意識を取り戻す一つの転機にもなったようだ。
今でもまだ涙はでてくる。
もう少し、母には奇跡を続けてほしかったから。
一人でいると、誰ともしゃべらないから声も出ずらくなる。
ただただ、ひとりでTVをみているだけ。
これから、私は私の奇跡をどこまで積み重ねていけるか。
その1日1日の奇跡をどこまで有意義なものにできるか。
そろそろ考えなくてはいけない時期に来ているのかもしれない。
一人暮らしで働いているから、宅配物はいつも土曜日の午前中に指定する。
父が現役のころはお中元はたくさん届いた。
そして父が現役を辞め、亡くなったら、お中元は親戚同士の間だけとなった。
母が亡くなってからは、もう何もこないだろうし、私もしなくていいのかなと思っていたら、母の姉の高崎の伯母から梅干しと、父の妹の青森の叔母からリンゴジュース詰め合わせが届いた。
どちらも、縁を切りたくないからという。
それに私の注文していた化粧品と、健康青汁も土曜日にまとめて届いた。
土曜日の午前中は、寝坊ができない。
それぞれの伯母たちに電話をする。
まず青森から。
いま青森の叔母は孫娘と暮らしている。もう89歳。
かくしゃくとしているようにみえるが、この頃弱ってきたという。
「もう一度お墓参りにいきたいけどね~。ところでちゃんとご飯食べてる?」
という優しい言葉。今、位牌は弟のところにあるので、なんだか寂しくてしょうがないというと、
「写真を飾っておくだけでもいいんだよ」という。
写真は両親の写っているのを飾り、花は欠かさず供えている。
次に高崎の伯母。
老人ホームといっても老人用介護付き高級マンションに入っている。
高崎に娘がいて面倒をみてくれているらしい。
「お葬式に行けなかったから、〇〇ちゃん(母のこと)が死んだなんて思ってないの。見てないから信じないことにしてるの。それよりちゃんとご飯食べてる?」
どちらのおばも、私が一人でちゃんと食事をしているか心配している。
ちゃんとどころか食べ過ぎて太ってしまったのに。
ひとりだと適当に済ますだろうけれど、口の肥えていた母と二人でいるときに、おかずを買ってくるのにいろいろと考えて買っていたので、その名残があり、つい買いすぎている。
さて、お返しは来週にでもしようかな。
いつもお茶の好きな彼女たちに、ちょっと高めの美味しいお茶を送っている。
一応、働いて一所帯もっているのだから、せめてお中元、お歳暮くらいは、元気でいる証として送りたい。