あの頃は春の陽さえつらすぎて
心も身体も暗闇の中
喉元すぎれば・・・というけれど、ときどき一年前の日々を思い出すことがある。
今でも完全に元気というわけではない。
でも今は自分の意志で毎日を過ごすことができる。
一年前は、主治医の治療方針にのっとって(自分も了承したのだが)入退院を繰り返して治療に専念していた。
というよりも動かされていたような気がする。
治療を終え、毎週検査をし、結果次第で次の治療に入る。
本人の体力と薬との勝負のようなところもあった。
発熱したり白血球が下がると、強制的に数値をあげて、また化学療法を続ける。
治療を中止する勇気はなかった。
そして入退院の間には普通に仕事を続けていた。
きちんとした仕事はできなかったと思うけれど、なんとかやり遂げていたと自分では思う。
でもそれもすべて、ベルトコンベアーの上での出来事のような気がする。
「人生」という決められたベルトコンベアーの上を流されていたようだ。
自分の足で歩くこともできず。
後悔はしていない。
でも忘れることもできない。
今はただ、再びそのような日がくることがないようにと願うだけ。
心も身体も暗闇の中
喉元すぎれば・・・というけれど、ときどき一年前の日々を思い出すことがある。
今でも完全に元気というわけではない。
でも今は自分の意志で毎日を過ごすことができる。
一年前は、主治医の治療方針にのっとって(自分も了承したのだが)入退院を繰り返して治療に専念していた。
というよりも動かされていたような気がする。
治療を終え、毎週検査をし、結果次第で次の治療に入る。
本人の体力と薬との勝負のようなところもあった。
発熱したり白血球が下がると、強制的に数値をあげて、また化学療法を続ける。
治療を中止する勇気はなかった。
そして入退院の間には普通に仕事を続けていた。
きちんとした仕事はできなかったと思うけれど、なんとかやり遂げていたと自分では思う。
でもそれもすべて、ベルトコンベアーの上での出来事のような気がする。
「人生」という決められたベルトコンベアーの上を流されていたようだ。
自分の足で歩くこともできず。
後悔はしていない。
でも忘れることもできない。
今はただ、再びそのような日がくることがないようにと願うだけ。