『 家の裏にノウゼンカズラが咲いていた 』
高橋 嘉子さん 撮影
路地の電信柱に「今年もコロナ防止のため町内の盆踊りは中止します」という
貼り紙が雨に濡れていた。市内の小中学校の運動会も修学旅行も軒並み中止だそうだ。
「私達の運動会がなくなったのに、オリンピックは何故やれるの?」と言う子供達の
質問に、ちゃんと答えられる人は少ないだろう。
全ての人を納得させるオリンピックの大義名分とは一体何だろうか。
情勢は今や開催か中止かではなく、1万人か無観客かと言うところである。
いつの間にか何となく開催は自明の事になってしまっていた。
政府は既定方針として決めて置いて、一応学者や世論を聞いて検討調整と
称して時間を稼ぎ、その上でタイミングを見て最初の既定事項に持っていく
やり方だ。この手法が、専制政治と違うのは決めるのに(実際は決まっているのに)
時間を掛けることだけだろうか。
日本の民主主義的政治手法とは、世論を尊重という美名で時間を掛けて、
世論を誘導、上手く世論を操作して己の方向に向けてしまう、納得させてしまう
と言うやり方のようだ。
有観客しかも1万人と発表され、入国条件も緩和され、政府の思惑通りになって
いよいよ始まるようだ。
こうなったら国民は、開催中に或いは終了後に地獄のような事態が発生しない
ことを願うばかりだ。
まだまだ生き残りたいと思う、か弱くて善良なる国民は家でジッとしてTVだけで
見ていることだ。