『 小田原城の春 』
高橋 裕一さん 撮影
今日は展示会の打ち合わせという最もらしい理由を作って、何ヶ月振りだろうか、
5人で昼食を共にした。
市内では有名な「もきち」という作り酒屋で地ビールもパン作っているというユニーク
な料理店だった。昼という時間帯の所為もあったがかなり混んでいた。
このご時勢に会食などというのは、厳格に考えれば非常識で無知で、しかも社会のルール
やマナー違反でもあり、或いは国賊の一種かも知れない。
絵画仲間のおじさんおばさん方の5人だったが、もちろんマスク会食だ。
楽しい話も2時間以内でお開きにと最低のルールだけは守ったつもりだった。
会話も心なしか皆さん控え目で、何となく気が引けている思いがするのが残念だった。
皆さん美しく年相応に素敵に老成されていた。私が一番元気なく老け込んでしまった様
な気がした。こればかりは生活態度や、持って生まれた遺伝子とかの体質的なもので
仕方がないことなのだろう。
それでも気のおけないお仲間と、食事を共にし、語り合うのは楽しいことだ。
年齢を一時でも忘れることが出来るのも嬉しい。
これであそこの大吟醸か地ビールでも飲めたら最高だろうが、何時も無口な私がアルコール
が入って饒舌にでもなったら周りに申し訳ないと思って、それはじっと我慢するつもりだった。
終息した暁には思いきって…、それまでのお預けだと思っていた。本当にそのつもりだった。
しかし各種チーズのピザ、しらすピザ、ソーセージなど美味しいのだが油っぽいので、
これはビールで流さなきゃという気になってしまった。
逡巡したが地ビールを店で一番小さいグラスで飲んでしまった。
情けないながら、自分の意志の弱いのはいつもなのだがコロナの世でもやはりビールは美味かった。
帰りの歩きがあるのに大丈夫かと不安が心をよぎったが、来る時も休みながらやっと歩いて来た
くせに、でもなぁに平気だろう、何とかなるだろう、大丈夫だ飲んでみようと思う気力がまだ残って
いるのが嬉しかった。
これを書きながら、こういうのを詭弁、弁解ということかなぁと思い、一寸反省、ほろ苦い思いを
しながらしながらキーを叩いていた。