「 なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
ルカ 14章 11節
これは、聖書全体の中に、書かれている原則です。自分を高めれば低くされ、低くする者は高められます。
本当の謙虚さとは、人ではなくキリストを見つめることにあります。
ギリシャの無敵の英雄アキレスにも、弱点がありました。彼は敵のパリスにかかとを射られて死にました。
信仰生活の致命的アキレス腱は、自分を高くすると言うことです。ここを狙われると信仰は崩れます。何故でしょうか。
まず第一に、神にゆだねることができなくなります。人生には、自分の思いどおりに恵まれる時があり、
恵みも喜びも感じられないときもあります。信仰とはこのようなときにも神に自分の身をゆだねますが、
高ぶる者はこれが出来ません。次に悔い改めが出来なくなります。
自分を高くしている時は、確かに悪いのは他人、正しいのは自分という態度を取っています。
ではこの高ぶりから解放されて謙遜になる方法とは。
・ 事実を認めることによって謙遜を与えられます。
それには新約聖書のローマ人への手紙 7章を読み、そこに自分を見つけるということが
自分の本当の姿であることを知るようになります。
・ 完全なものとの比較によって謙遜を与えられます。
このことも、ローマ7章を体験して初めて知ることができる恵みの箇所、
そうローマ 8章 で神の賜物によって高ぶりからの解放を体験できるのです。
もし私たちがあらゆる善き生を備えられた主の生涯に、自分の人生を並べてみるなら、
おごりは消え失せ、自己満足は干からびてしまうことでしょう。
箴言 25:6~7
「王の前で横柄にふるまってはならない。身分の高い人のいる所に立ってはならない。
高貴な人の前で下に下げられるよりは、「ここに上って来なさい」と言われるほうがよいからだ。」
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