マリアヨハンナさんのブログ

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高齢になったら・・・思うこと

2019年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 今、実家の母(90歳)の様子を見に来ています。 とても、その年とは思えないくらいに元気で、自立した生活を誰の手も借りずに生きています。

いつも、前向きで永年培ってきた知識を深めて、更に学び、多才な能力を発揮して、経験をフルに活用しています。種を買ってきて植え、育て、収穫して、調理師の才能生かし上手に料理。庭の花を愛で、生けて、文化祭に出品。陶芸をして作品を展示。小物は皆にプレゼント。古い洋服をリフォームして着て。サキ織り、ちぎり絵、レース編み、工作、帽子やバッグやマフラー・・・作っては皆にプレゼント。数年前までは高齢者施設や中学生に生け花やちぎり絵の指導ボランティア。

 ある意味、理想的な高齢者の在り方だと思います。

 体調不良の時も、直ぐに誰かの助けを求めずに、自力でなんとか頑張ろうとします。たまたま、電話をしたら具合が良くなくて寝込んでいるとか、病院に通っていると申し訳無さそうに言い、気にしなくていいから大丈夫だと言うので、子供としては本当に助かる反面、心配になります。 ちょっと遅れて様子を見に帰って来たり、割合近くに住んでいる息子(孫)に、代わりに見に行ってもらったり。

 でも、どうしても他の高齢者の方なら黙って「あら、そうなんですか?」と言ってやり過ごせる。聞き流せることなのに、実母にはより理想的な人であって欲しいという子供の期待からか、どうにも我慢できないことがあります。

 

 一人暮らしを40年以上して来た位気丈な人だからこそなのだと思いますが、積年の嫌がらせを受けた数々のこと、許せない出来事と人への深く根強い恨み・・・。

 最初のうちは、「またか!」と思いふんふんと聞いているのですが、同じ事を繰り返し2回、3回、4回・・・、さすがに「もう4回目だからやめましょう!」と言ってしまいます。それでも、「とにかく聞いてよ!」

 確かに、話に出てくる方々は常識的に考えても変人としか思えない人ばかり。実際に私も面識があり、問題ありそうな人達だと感じています。しかし、だからといって、何十年も前にあったことを今更繰り返しても仕方がないことだと思います。

 人間関係は複雑です。

ただ、大抵考え方に偏りがある方は、誰が見ても“変な人”という印象をもたれるもので、人に(ある意味)危害とも言うべきかは判りませんが、偏った考え方を押し付けたり、嫌がらせをしたりを周りの多くの人にしてるものです。たまたま、ターゲットが一番身近な人になることが多く、大抵は、「嫉妬心」や「競争心」からくるものが多いように感じます。

 それを母に説明し、恨みごとを一言聞いてもらえばスッキリするのであれば、ある程度は聞きますが、更に繰り返して言えば言うほど、心の中には雪だるまのように「恨みの塊」が大きく膨らんで止められなくなります。だから、「もう嫌なことは一度吐き出したら、すっかり忘れた方がいいわよ!」と言ってやめるように促します。相手は、ある意味精神的に病気なのだからと・・・。口では、そうねと納得したようなことも言うのですが、また、暫くして実家に戻ると同じ事の繰り返しなのです。

 

 私的には、もう、嫌な数々のことは心の隅っこに触らないように忘れて、或いは、埃を掃くように外に掃き出して捨ててしまい、新たに、更なる大きな量りを持った自分を模索したいように思います。

 全ての人が全く同じ考え方で生きている訳ではありません。誰もが自分が一番大切な存在だと感じて生きています。だからといって、自分の考え方や生き方を最良だと他人の考え方や生き方を強制するのは、傲慢だと思っています。案外多くの人がそんなことに気づいていないまま、声の大きい人や自意識過剰なわがままな人に流されて生きているように見えます。

 そんな雑多な人間社会の中で、自分を見失わずにしっかりと生きてる母はすごいと思いますが、少しだけ川の流れに身を任せて・・・或いは、多くの経験からふっくら大きな綿飴のように包み込んで・・・これ以上ないくらいの大きな器の上に嫌なことととらず、人生の見えない宝石(反面教師がもたらした)だと思って、違う観点から嫌な人と付き合って貰いたいなと思って祈っています。

 これは、母に限らないことです。

人生の最終章にきて、それまでの経験からちょっと方向転換をしてほしいなと思う高齢の方とお付き合いをしています。皆さん「もう、私は、若いときに散々働きました。真面目に生きて後ろ指指されるようなことはしていません。もう、何時(神様から)お呼びがきてもいいんです。」・・・・・・と。

 私は心の中で言っています。

「まだ、何かやり残していることがあるから生かされているんじゃないですか?」

「和解をしなければいけない家族や親族、友人はいませんか?」「心のどこかに引っかかっている許さなければいけない人はいませんか?」「まだ、与えられた命と僅かでもエネルギーが残っているのに、人生のありようを自分の狭い考え方で捨てて(辞めて)いませんか?」

 祈っています。

私は、命の残されている最後の最後まで、自分自身の在り方を問い続けて、働き続けたいです。諦めないで・・・。はっ!と気づいたら・・・・・・いつの間にか肉体の苦しみから解き放たれていたわ~!・・・な~んて!


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