野々村竜太郎議員号泣
兵庫県議員の野々村竜太郎議員の政務活動費の不正利用が問題となり
年間195回の出張手当を利用していたことが発覚した。しかしこの出張は
カラ出張で詐欺罪での告発も検討されている。
最近、この手の問題が多すぎる。小保方晴子のSTAP細胞や佐村河内守のゴーストライターなど
同種の人間性が露骨なまでに表面化する場面が度々テレビで報道される。
当の本人は至ってまじめに真摯に答弁しているつもりが実は見ている方からはとんでもない不格好で理不尽な
応対に見えてしまいます。これらの当事者の精神状態は一体どうしたものだろうと不信感を抱くことが多い。
開き直りというか居直るとでも表現しようか、当事者の本心は反省し謝罪する気が無いようなのである。
一応謝罪しているつもりなのだろうが、まったくの検討違いの受け止め方をした後に、脳内変換をして
都合の良い捉え方に歪めている心理に元ずく不自然な言動ばかりが印象に残る。
小保方のSTAP細胞の場合は論文不正事件であるはずが、説明不足で誤解を招いてしまったと小保方本人は
理解しているようだ。そのために理研や本当のSTAP細胞に迷惑が係ったと解釈しているらしい。
佐村河内守はゴーストライターの存在が問題となったが、本人は自分自身でも作曲指導をしていたかのように答弁した。
作曲していたと判断するには不十分な内容ながら、作曲という作業をしていたと本人だけが勝手に納得している
大同小異ならぬ大異小同のような理屈。
でこの野々村竜太郎議員は190回にも及ぶ出張による経費の落とし方を指摘された会見では、大号泣!大絶叫!
言葉が出ないとなるとすぐさますり替えるようにまったく関係の無いコメントを絶叫する。
見ていて頭がおかしいのではないかと多くの視聴者に印象を持たれるのも仕方がない。
これは誰かが突っ込まないといけないのだろうか?あの号泣絶叫精神崩壊寸前の答弁に誰かがツッコミを入れないと
会見が成り立たないのだろうか?自分では問題解決の糸口を持てず、他人へ無理やり状況変化を委託するかのような
傲慢なほどの自己本位の対応だった。もしも炎上商法がらみの売名行為で号泣するのなら有るかもしれない。
相手にお手柄を譲るかのような無責任な配慮で都合の悪い当事者である立場を茶化すかのような態度は
自分の置かれている立場の現実を直視できないのであってそれ故、相手の都合の良い理解待ちに委ねようとする
対応の中で自分にとって都合の悪い事は一方的に隠そうとする。 野々村議員の会見は一生懸命に記者の質問に
耳を傾ける姿と号泣のシーンばかりが目立った。
支離滅裂であってもそれなりに印象の良い単語を並べていれば、内容が繋がらなくても事が成立するかのように
考えているのなら議員を辞職した方が良いのであろう。
こういうのに自己完結型の精神と評される。小保方にしろ佐村河内にしろ野々村にしろ、本人による論の構築は
歪んでいても理不尽であっても本人の意識の中では成り立っていると理性に元ずくものだと錯覚するらしい。
主観的な発想のみが組み合わさり、客観的な部分は大きく省くか選別したのちに都合の良いものだけを選ぶ。
むしろ客観的な論点へのアプローチは受け止められないのがこの自己完結型の特徴でもある。
結果的に本人の頭の中だけでしか成立しえない論なのだ。場合によっては脳内で別の人物像を作り出したり、
言葉の意味をすり替えたりしている場合もある。感情のコントロールが効かなくなった為に現実感の喪失が
自己の表現に表れている離人症ではないかとさえ思われる。
その最たる例が通り魔事件の犯人である竹井聖寿であろう。
犯行後、事件現場の近くの自宅前に多数で押し掛けるマスメディアの前に姿を現してしまうという重大なミスを
犯した為に素性が露わになった。しかもその大失態を自分でも認めることの出来ない程の致命的な行動であるにも
かかわらず、目撃者を装うという自作自演の下手な演技に出て、さも事件をよく知るかのように饒舌にカメラの前で
発言をしていた。
これはピンチの中で機転を利かせているのではない、条件反射的に表れる病的な思考回路によるものだと思われる。
しかし本人の中では誤魔化しが効き、捜査かく乱の罠を仕掛けたつもりで納得しているのである。
これが竹井聖寿の現実感の喪失したためだと考えられる。
しかし警察側の捜査が進み取り調べを受けるにつれて逃げ切ることができないと観念した竹井聖寿は
心が折れて最後には「(警察側の)チェックメイト。」と言い放った。どうやら竹井の精神状態では
このかく乱作戦はチェスのような頭脳戦によるゲーム感覚だったらしく結末は警察側の手立てで完成する
トリックプレーのつもりだったようで、果たして俺の仕組んだ罠は見破れるかな的な警察に対する
挑発行為だったようです。
最悪の性格だな。まるで相手である警察側のヤル気を喚起させるために仕組んだゲーム感覚の挑発だとは・・・
相手側の有利に働くよう故意にヘマや失敗をやらかす事を八百長というが、こちらは相手側の株を挙げさせる為に
箔をつけさせるような行為に置き換えて自己正当化ですよ。これは病気というより治らない性格だな。
勝てない勝負に八百長の言い訳では事足りず、相手に箔をつける的な頭脳派パズル気取りですよ。
ネット炎上したお蔭で警察側のお手柄に色が着く肥やしぐらいにはなったかな的なものです。
それでも有罪である現実には変わりは無いのだが、竹井はまるで自作による罠のゲームの為に
取り調べを受けていたつもりらしい。
現実感覚が喪失してるのが見て受け止められる。
トリックなどの仕掛けた罠の問題ではなく、通り魔事件による殺人は有罪である事には変わりない。
この問題における本質は罠であるかによらず、悪意ある行為である。
きっと誰からもフォローしてもらえないであろうと本人の中では解っていたのでしょう
一人よがりでも自分の中でだけでも正当化したいのだろうな。そんな奴に反省の意など有るわけがない。
流石のグズ野郎だな。
チェックメイトされて喜んでるグズ野郎は一生檻の中で過ごせばよい。
兵庫県議員の野々村竜太郎議員の政務活動費の不正利用が問題となり
年間195回の出張手当を利用していたことが発覚した。しかしこの出張は
カラ出張で詐欺罪での告発も検討されている。
最近、この手の問題が多すぎる。小保方晴子のSTAP細胞や佐村河内守のゴーストライターなど
同種の人間性が露骨なまでに表面化する場面が度々テレビで報道される。
当の本人は至ってまじめに真摯に答弁しているつもりが実は見ている方からはとんでもない不格好で理不尽な
応対に見えてしまいます。これらの当事者の精神状態は一体どうしたものだろうと不信感を抱くことが多い。
開き直りというか居直るとでも表現しようか、当事者の本心は反省し謝罪する気が無いようなのである。
一応謝罪しているつもりなのだろうが、まったくの検討違いの受け止め方をした後に、脳内変換をして
都合の良い捉え方に歪めている心理に元ずく不自然な言動ばかりが印象に残る。
小保方のSTAP細胞の場合は論文不正事件であるはずが、説明不足で誤解を招いてしまったと小保方本人は
理解しているようだ。そのために理研や本当のSTAP細胞に迷惑が係ったと解釈しているらしい。
佐村河内守はゴーストライターの存在が問題となったが、本人は自分自身でも作曲指導をしていたかのように答弁した。
作曲していたと判断するには不十分な内容ながら、作曲という作業をしていたと本人だけが勝手に納得している
大同小異ならぬ大異小同のような理屈。
でこの野々村竜太郎議員は190回にも及ぶ出張による経費の落とし方を指摘された会見では、大号泣!大絶叫!
言葉が出ないとなるとすぐさますり替えるようにまったく関係の無いコメントを絶叫する。
見ていて頭がおかしいのではないかと多くの視聴者に印象を持たれるのも仕方がない。
これは誰かが突っ込まないといけないのだろうか?あの号泣絶叫精神崩壊寸前の答弁に誰かがツッコミを入れないと
会見が成り立たないのだろうか?自分では問題解決の糸口を持てず、他人へ無理やり状況変化を委託するかのような
傲慢なほどの自己本位の対応だった。もしも炎上商法がらみの売名行為で号泣するのなら有るかもしれない。
相手にお手柄を譲るかのような無責任な配慮で都合の悪い当事者である立場を茶化すかのような態度は
自分の置かれている立場の現実を直視できないのであってそれ故、相手の都合の良い理解待ちに委ねようとする
対応の中で自分にとって都合の悪い事は一方的に隠そうとする。 野々村議員の会見は一生懸命に記者の質問に
耳を傾ける姿と号泣のシーンばかりが目立った。
支離滅裂であってもそれなりに印象の良い単語を並べていれば、内容が繋がらなくても事が成立するかのように
考えているのなら議員を辞職した方が良いのであろう。
こういうのに自己完結型の精神と評される。小保方にしろ佐村河内にしろ野々村にしろ、本人による論の構築は
歪んでいても理不尽であっても本人の意識の中では成り立っていると理性に元ずくものだと錯覚するらしい。
主観的な発想のみが組み合わさり、客観的な部分は大きく省くか選別したのちに都合の良いものだけを選ぶ。
むしろ客観的な論点へのアプローチは受け止められないのがこの自己完結型の特徴でもある。
結果的に本人の頭の中だけでしか成立しえない論なのだ。場合によっては脳内で別の人物像を作り出したり、
言葉の意味をすり替えたりしている場合もある。感情のコントロールが効かなくなった為に現実感の喪失が
自己の表現に表れている離人症ではないかとさえ思われる。
その最たる例が通り魔事件の犯人である竹井聖寿であろう。
犯行後、事件現場の近くの自宅前に多数で押し掛けるマスメディアの前に姿を現してしまうという重大なミスを
犯した為に素性が露わになった。しかもその大失態を自分でも認めることの出来ない程の致命的な行動であるにも
かかわらず、目撃者を装うという自作自演の下手な演技に出て、さも事件をよく知るかのように饒舌にカメラの前で
発言をしていた。
これはピンチの中で機転を利かせているのではない、条件反射的に表れる病的な思考回路によるものだと思われる。
しかし本人の中では誤魔化しが効き、捜査かく乱の罠を仕掛けたつもりで納得しているのである。
これが竹井聖寿の現実感の喪失したためだと考えられる。
しかし警察側の捜査が進み取り調べを受けるにつれて逃げ切ることができないと観念した竹井聖寿は
心が折れて最後には「(警察側の)チェックメイト。」と言い放った。どうやら竹井の精神状態では
このかく乱作戦はチェスのような頭脳戦によるゲーム感覚だったらしく結末は警察側の手立てで完成する
トリックプレーのつもりだったようで、果たして俺の仕組んだ罠は見破れるかな的な警察に対する
挑発行為だったようです。
最悪の性格だな。まるで相手である警察側のヤル気を喚起させるために仕組んだゲーム感覚の挑発だとは・・・
相手側の有利に働くよう故意にヘマや失敗をやらかす事を八百長というが、こちらは相手側の株を挙げさせる為に
箔をつけさせるような行為に置き換えて自己正当化ですよ。これは病気というより治らない性格だな。
勝てない勝負に八百長の言い訳では事足りず、相手に箔をつける的な頭脳派パズル気取りですよ。
ネット炎上したお蔭で警察側のお手柄に色が着く肥やしぐらいにはなったかな的なものです。
それでも有罪である現実には変わりは無いのだが、竹井はまるで自作による罠のゲームの為に
取り調べを受けていたつもりらしい。
現実感覚が喪失してるのが見て受け止められる。
トリックなどの仕掛けた罠の問題ではなく、通り魔事件による殺人は有罪である事には変わりない。
この問題における本質は罠であるかによらず、悪意ある行為である。
きっと誰からもフォローしてもらえないであろうと本人の中では解っていたのでしょう
一人よがりでも自分の中でだけでも正当化したいのだろうな。そんな奴に反省の意など有るわけがない。
流石のグズ野郎だな。
チェックメイトされて喜んでるグズ野郎は一生檻の中で過ごせばよい。