神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた大量殺人事件
施設に暮らす障害者を19人死亡させ26人が重軽傷を負った衝撃の大事件だ。
犯人はこの施設で働いていた元職員の植松聖(さとし)26歳。
今年2月に衆議院議長公邸に殺害計画を書き記した手紙を渡してあった。
事件発生から僅か数日しか経過していないがネットでは犯人が書いた手紙の内容や発言
そして家族や生い立ちまで調べ上げて流されていた。
この殺人事件で思い出すのは2001年の大阪池田小学校襲撃事件の宅間守だった。
彼は既に2004年に死刑が執行されこの世には居ない。宅間も小学校で職員として
働いていてその職場でもある小学校で事件を起こした。
障害者や子供などの弱い立場の人を狙った同じく卑劣な犯行ですが、宅間守と植松聖の
大きな違いは宅間が自分の人生に嫌気がさしての極めて個人的な理由が大きな動機だったの
に対して、植松の場合は社会に利益的な目的の思想を持っていた。
宅間守と比べた場合も植松聖を取り巻く環境はそれ程悪くは無いかもしれない、勝手気ままに
自由過ぎる程にやりたい放題に人生を謳歌してきたようだ。
人生を捨てるような発想も彼が犯行計画を書いた手紙からは見て受け取れない。
宅間がネガティブな思考で人生に答えを失っていたのに対して植松は社会に対してポジティブ
な発想が能動的に内在していた。あくまでも社会的な利益を得る手段として暴力的な方法を
選び犯行に及んだとされている。
しかし彼が務めていた障害者施設での事実関係からは犯行計画とは別に個人的な障害者への
恨みも抱えていたので、「障害者の安楽死」という口実にだけ犯行動機を絞り込むのは
難しいと思う。当然ながら私怨によるものである可能性もある。
植松聖が残したSNSには彼がどのような人間性でどのような思想を持っていたかを知る部分が
数多く存在しており、ネットばかりでなくTVなどを通じて彼の本性がネトウヨであり、
こうした思想形成でキーワードになり得る情報も犯行を知り得る裏付けになるはずだ。
しかし圧倒的なネトウヨ思想に染まった人物をその通りに受け止めることが出来ずに
拒絶反応を示す社会が、または犯人がネトウヨである不都合な事実を捻じ曲げて強引に
サヨクに結び付けようとする働きかけが公然と行われる情報操作には更なる驚きを隠せない。
犯人の植松がネトウヨであろうが左翼であろうが、犯行動機の媒体となった思想は間違いなく
ネトウヨの特性を踏まえており、直面する現実を不自然な情報の分別により、左翼と植松を
絡ませることができる情報だけを一方的に羅列していくと無理なく完成するのが
脳内アルゴリズムによる整合性を踏まえた「植松聖≒左翼でシールズ。」で左翼に転嫁するだ。
更にこれでもネトウヨに対する世間のプレッシャーから動揺を隠せない場合は
「植松聖はヒトラー信者」で今のネトウヨと呼ばれる右派シンドロームからは具体的には
外れていると細分化し差別化する事で精神の安定と自己肯定を手に入れるのである。
こうした事件の後になっても個々人の思想の持ち方に工作活動の影響が及ぶこと自体が
植松がネトウヨで彼の犯行動機とされるヒットラー思想による社会的な利益を目的とした
思想を持つことを半ば容認している日本の現状なのだ。
原発推進派がデタラメなレートベース方式により原発を肯定化するのと同じことだな。
施設に暮らす障害者を19人死亡させ26人が重軽傷を負った衝撃の大事件だ。
犯人はこの施設で働いていた元職員の植松聖(さとし)26歳。
今年2月に衆議院議長公邸に殺害計画を書き記した手紙を渡してあった。
事件発生から僅か数日しか経過していないがネットでは犯人が書いた手紙の内容や発言
そして家族や生い立ちまで調べ上げて流されていた。
この殺人事件で思い出すのは2001年の大阪池田小学校襲撃事件の宅間守だった。
彼は既に2004年に死刑が執行されこの世には居ない。宅間も小学校で職員として
働いていてその職場でもある小学校で事件を起こした。
障害者や子供などの弱い立場の人を狙った同じく卑劣な犯行ですが、宅間守と植松聖の
大きな違いは宅間が自分の人生に嫌気がさしての極めて個人的な理由が大きな動機だったの
に対して、植松の場合は社会に利益的な目的の思想を持っていた。
宅間守と比べた場合も植松聖を取り巻く環境はそれ程悪くは無いかもしれない、勝手気ままに
自由過ぎる程にやりたい放題に人生を謳歌してきたようだ。
人生を捨てるような発想も彼が犯行計画を書いた手紙からは見て受け取れない。
宅間がネガティブな思考で人生に答えを失っていたのに対して植松は社会に対してポジティブ
な発想が能動的に内在していた。あくまでも社会的な利益を得る手段として暴力的な方法を
選び犯行に及んだとされている。
しかし彼が務めていた障害者施設での事実関係からは犯行計画とは別に個人的な障害者への
恨みも抱えていたので、「障害者の安楽死」という口実にだけ犯行動機を絞り込むのは
難しいと思う。当然ながら私怨によるものである可能性もある。
植松聖が残したSNSには彼がどのような人間性でどのような思想を持っていたかを知る部分が
数多く存在しており、ネットばかりでなくTVなどを通じて彼の本性がネトウヨであり、
こうした思想形成でキーワードになり得る情報も犯行を知り得る裏付けになるはずだ。
しかし圧倒的なネトウヨ思想に染まった人物をその通りに受け止めることが出来ずに
拒絶反応を示す社会が、または犯人がネトウヨである不都合な事実を捻じ曲げて強引に
サヨクに結び付けようとする働きかけが公然と行われる情報操作には更なる驚きを隠せない。
犯人の植松がネトウヨであろうが左翼であろうが、犯行動機の媒体となった思想は間違いなく
ネトウヨの特性を踏まえており、直面する現実を不自然な情報の分別により、左翼と植松を
絡ませることができる情報だけを一方的に羅列していくと無理なく完成するのが
脳内アルゴリズムによる整合性を踏まえた「植松聖≒左翼でシールズ。」で左翼に転嫁するだ。
更にこれでもネトウヨに対する世間のプレッシャーから動揺を隠せない場合は
「植松聖はヒトラー信者」で今のネトウヨと呼ばれる右派シンドロームからは具体的には
外れていると細分化し差別化する事で精神の安定と自己肯定を手に入れるのである。
こうした事件の後になっても個々人の思想の持ち方に工作活動の影響が及ぶこと自体が
植松がネトウヨで彼の犯行動機とされるヒットラー思想による社会的な利益を目的とした
思想を持つことを半ば容認している日本の現状なのだ。
原発推進派がデタラメなレートベース方式により原発を肯定化するのと同じことだな。