まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

バリトン・リサイタル&ボジョレー・ヌーボー

2011-11-18 19:07:23 | 人間文化論
昨日は竹沢嘉明先生のバリトン・リサイタルに行ってまいりました。
竹沢先生の歌は教員親睦会の飲み会でお聴きしたことがありましたが、
ちゃんとコンサートにうかがったのは初めてです。
今回は 「東日本大震災復興祈念チャリティコンサート」 として、
日本の歌曲ばかりを集めたプログラムでした。
日本歌曲といっても私が聴いたことのあるような曲は一曲もありません。
室生犀星の詩にメロディーをつけた 「小景異情」 や、
『きけわだつみのこえ』 に収められた学徒兵の遺書を曲にした 「わだつみの声」 など、
初めて耳にした曲ばかりでしたが、それぞれの世界に一瞬で引き込まれました。
そして、なんといっても御年70歳になろうとしているとは思えぬ豊かな声量と、
それだけの経験を積んできたからこその表現力に圧倒されました。

パンフレットの挨拶文は次のように始められていました。

「千年に一度という東日本大震災、
 中でも私の後半生の活動基盤である福島の地が地震と原発という未曾有の災害下にあります。
 生涯の伏流水でもあった歌うことを、
 私の残り人生に向かって正面から実現したいという思いが湧き上がってきました。」

そして、挨拶文の最後は次のように締め括られています。

「私の第二のふるさと、福島そして東日本が早く三月十日以前に戻りますよう祈るばかりです。」

この言葉を裏打ちするように、アンコールは和合亮一の 「決意」 でした。
「福島に風は吹く 福島に星は瞬く」 で始まり、
「福島をあきらめない 福島を信ずる」 で幕を閉じるこの曲は、
この日の最後を飾るのに最もふさわしい歌だったように思います。
竹沢先生のこの歌声がすべての福島県民に届いてくれることを祈りました。

さて、コンサート後は音楽のS先生や院生幹事の方と勝手に打ち上げを行いました。
この日は奇しくもボジョレー・ヌーボー解禁日。
みんな飲む気満々です。
ところが、福島テルサでの公演だったので、近いから 「アルソーニ」 に行こうと言われ、
「あそこはイタリアンだからボジョレー・ヌーボーは置いてないと思うよ」
と警告したのですが聞いてもらえず、行ってみたら案の定ありませんでした。
お腹が空いていた3人は4号線の果てまで来てしまって、今さら河岸を替えるわけにも行かず、
ボジョレーはあきらめて、イタリアンとイタリアワインを堪能する方向に路線変更しました。
でもここで頼んだキャンティ・クラシコは抜群でしたね。
音楽の専門家のお2人から音楽談義を拝聴しつつ、美味しい料理とワインに舌鼓を打ちました。

二次会はなんとしてもボジョレー・ヌーボーをと思い、
ワインバー 「ルラーシュ」 に行ったのですが、なんと貸し切りで入れませんでした。
「ルラーシュ」 もやっぱり県庁通りよりも東側 (駅から遠いほう) にあって、
店の選択の基本コンセプトは、あんまり歩きたくないというのが見え見えです。
ボジョレーか運動量かと比較してみるとけっきょく運動量の少なくてすむほうが選ばれて、
今日はボジョレーは飲めない運命なんだねとあっさりあきらめ、
「ルラーシュ」 のすぐ隣のショットバー 「LOVE SONG」 に入ることにしました。

ところが入ってみたらなんと黒板に 「ボジョレー・ヌーボー」 の文字があるではありませんか
思わぬ出会いにみんな 「おおっ」 と一瞬言葉を失いました。
というわけで、やっと念願かなって今年の新酒にありつくことができたのです。
福島ではあんなことがありましたが、それでも世界中では新たな果実が実っているのですね。
そして、福島の地にもこうして例年と同じようにボジョレー・ヌーボーが届けられるのです。
私たちも声高らかに歌おうではありませんか。
「福島をあきらめない ボジョレー・ヌーボーをあきらめない