まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

教育者の怒り

2014-10-21 07:30:00 | 教育のエチカ
私は日頃から親や教員など教育者は、叱ってもいいけど怒ってはいけないと思ってきました。

叱るというのは、相手のためを思って相手のこれからのために苦言を呈することです。

怒るというのは、自分の感情にまかせて自分の怒りを相手にぶちまけることです。

教育者というのは常に冷静に、たとえ相手からは怒っているように見えたとしても、

実際にはまったく怒りの感情に囚われることなく、

ただ叱るのに効果をもたせるために怒っているふうを装うだけであって、

頭のなかでは相手にとってどういう変化をもたらすことができるかを細かく計算しつつ、

何をどのように言うかをすべてコントロールできていなくてはならないと思っていたのです。

ほんのつい最近までは…。

ところが、このところ立て続けにこの温厚な私が怒りを禁じ得ない案件が発生してしまいました。

そもそも私は学生時代、自分自身が怠惰なダメ学生でしたから、

彼らがやらかすことに共感を覚えることはあっても、

それに怒りを感じるなんていうことはほとんどありませんでした。

そんな私がなぜ頭に来たかというと、ついちょっと前にも似たような問題が生じており、

それに対しては私なりに厳正に対処したつもりでいたのですが、

まったく懲りることなく同じような問題が再発してしまったからです。

こちらとしては一度許したという感覚があるものですから、

それを裏切られたと感じてしまってどうしても倍旧の怒りを感ぜざるをえないのです。

このような怒りってやはり教育学的には間違っているのですよね?

それとも最初のときに怒りを抑圧することなくもう少し直接的にぶちまけていれば、

再発事件など起こらずにすんでいたのでしょうか?

私がなまじっか理解ある態度で臨んでしまったがために、

彼らに同じ過ちを繰り返させることになってしまったのでしょうか?

つまり、私の教育方針の間違いによって彼らを正しく導くことができなかったのでしょうか?

それとも基本方針は間違ってなくて、ただもう少し怒ってるふうを装うべきだっただけなのでしょうか?

うーん、何とも言えません。

問題は今後、自分の感情をコントロールするのがたいへん難しいだろうなということです。

怒り始めたら爆発してしまうかもしれません。

ふーむ。

とにかくパワハラにだけはならないように気をつけたいと思います。

それにしてもなあ…