まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

継之助の読み方

2014-10-14 23:34:58 | 人間文化論
昨日書き忘れたことがありました。



この方、河井継之助なんですが、この名前なんと読むでしょうか。

長岡にも 「河井継之助記念館」 があるそうなんですが、

そちらは 「かわいつぎのすけ」 記念館なんだそうです。

Wikipedia でも 「かわいつぎのすけ」 と書かれています。

ところが今回訪れた只見町の 「河井継之助記念館」。

ここですね。



ここは 「かわいつぐのすけ」 記念館なんです。

ボランティアの方がなぜ 「つぐのすけ」 なのかについても説明してくださいました。

河井継之助には子どもがおらず直接の子孫は残っていないのですが、

姉と妹がいて他家に嫁いでその子孫の方々がいらっしゃるそうです。

その子孫の方が覚えていたことによると、

河井継之助は家族のなかで 「つぐさ、つぐさ」 と呼ばれていたそうなのです。

というわけで只見の記念館は 「かわいつぐのすけ」 記念館なのだそうです。

ボランティアの方の話によれば、司馬遼太郎の 『峠』 によって

「つぎのすけ」 の読みが広まってしまったのではないかとのことでした。

真偽のほどは歴史学者ではない私にはよくわかりませんが、

長岡と只見に読み方の違う2つの 「河井継之助記念館」 があるというだけで、

私には十分面白かったです。

奥会津金山町巡検

2014-10-13 09:18:29 | 人間文化論
去る10月11日に奥会津の金山町で開催された 「エチカ福島第4回」 は、
20名近くの参加者を得て、成功裡に終了することができました。







林裕文氏の、過疎の進む中山間地域における学校再生への提言は、
魅力ある学校作りと魅力ある町作りを同時並行的に進めなければならないという、
至極もっともな、しかしそれゆえに非常に実現の難しい課題の提示によって締めくくられました。
会場となった金山町は、日本のなかでも最も過疎化・少子高齢化の進んだ地域のうちの一つで、
林氏の発表のなかでは、人口のなかに占める20代~30代女性数 (若年女性人口) の割合が、
3.7%という驚異的な数字が示されました。
次世代の子どもたちを産む可能性のある人たちが総人口2500人中100人もいないのです。
2035年には50人余りになってしまうだろうとの試算でした。
これでは 「故郷は消滅してしまうのか?」 の問いにYesとしか答えようがありません。
まさにそれを象徴するかのように、今回の 「エチカ福島」 の参加者も全員が男性でした。

討議では、町の外部から新しく金山町に移り住んでくれる人をいかに増やすかという話になりました。
闇雲に増やしてしまうと外から来た人々が地元の人たちに馴染むことができないまま溝が生じ、
地域の文化やネットワークが分断されてしまうということになりかねません。
実際、町としては外から人を呼ぶ取り組みをいろいろと行っているようですが、
せっかく来てもらっても住民との関わりが薄く、地域を思いやる力や文化を伝える力など、
住む人の質が問われるのだという話が出ました。
それに関しては、私が昨年関わった川内村のケースが頭をよぎりました。
川内村には原発事故後、関西からある若い女性が 「川内村で農業をしたい」 と単身移り住んできて、
この方を中心に若者 (特に女性たち) の新しいネットワークが形成され、
サークル活動や村おこしのイベント等が活発に行われるようになっているのです。
外から来た人に地元にどう馴染んでもらうかという発想よりも、
むしろ外からの風とともに新しく魅力的な町を積極的に作り出していこうという、
発想の転換が必要なのかもしれないと思いました。

さて、討議後は10名がすぐ近くの民宿に宿泊し、
地元の2名も加えて過半数の12名で大宴会を繰り広げました。
写真を撮るのを忘れてしまったのが悔やまれますが、
赤カボチャの煮物や鮎の塩焼き、舞茸ご飯など地ものの食材に舌鼓を打ちました。
翌朝はみなスッキリ目覚め、金山町の巡検に出かけました。
「巡検」 というのは社会科の教員たちのあいだに伝わる文化だと思いますが、
研修などでどこかに出張したときは、地元の教員の案内にしたがって、
現地近辺の史跡や有名なスポットを回るという、趣味と実益を兼ねた活動です。
まずは、林氏の発表の舞台となった福島県立川口高校に立ち寄りました。
20年近く前から廃校の危機と向き合ってきている学校です。



現在、耐震工事中だそうです。
さすがは雪国、入口が2階にあり、1階部分には部室や物置しかないそうです。
高校のすぐ下には遠距離通学の生徒たちのための寄宿舎があり、
川口駅の近くには町によって今年建てられたばかりの寮がありました。
町外からの入学生を確保するための施策です。
続いて、30年ほど前に消滅した集落、三条の跡地を見に行きました。
本名ダムのところで国道252号から分かれて、未舗装の道路を10分以上走ったところにあります。
あります、というか、あるはずで、
かつて30年前、川口高校に勤めていたときに集落が消滅したと聞いて訪れたことがある、
という方の案内で向かったのですが、危うく通り過ぎてしまうところでした。
消滅した集落跡地ということで廃屋などが建ち並ぶ様子を想像していたのですが、
それらしいものはほとんど見当たりませんでした。
30年の歳月と毎年の豪雪がすべてを押しつぶしてしまったようです。
これなんかが唯一のそれらしい家屋跡でしょうか。



これは生活用水の確保のために設けられた階段かもしれません。



見落としそうになりましたが墓地も発見しました。



たまたま30年前までこの地区に住んでいたという人と出会い、お話をうかがうことができました。
このあたりにはもともと12軒くらいの家族が暮らしており、小学校もあったんだそうですが、
しだいにみんな町中に移って、ここに暮らす家族が減っていき、
最後4軒くらいになったあと全家族がここを棄てることになったそうです。
その方は自分の家を自ら重機で撤去したそうですが、
ほとんどの人は家屋はそのまま残していったそうです。
が、長い年月の間にいずれも倒壊し草に覆われていったとのことでした。
この方は自分の庭に栗の木を植えてそれが今やものすごく大きく育っているので、
季節になるとここで栗の実を拾うのだそうですが、熊も栗が好物で早い者勝ちだそうです。
これは熊が作った獣道だと教えてくださいました。



こちらの木は子熊が爪を研ぐのに使っているそうです。



いやあ、人が住まなくなるとたった20~30年で人の生活の痕跡はみごとに失われるのですね。
「故郷が消滅する」 ということを本当に実感させていただきました。
三条のあと、参加メンバーのひとりのお父様の御実家を訪れました。
そこは町中にあるのですが、もう長年誰も暮らしておらず、処分に困って放置しているそうです。



ちょっとこの写真では傷み具合がうまく伝わらないかもしれませんが、
毎年の豪雪がもたらすダメージは尋常ではなく、
1年以上ぶりに訪れたという御本人も相当にショックを受けておられました。
裏には会津らしいリッパな蔵がありました。



が、これも入口部分の木造の庇が倒壊するなど激しい荒れようです。
家のすぐ裏手には只見線の線路が通っているのですが、



これも2011年夏の水害以来、川口駅―只見駅間が不通となっており、
たった3年半で見る影もなくなっていました。
只見線の復旧についても 「エチカ福島」 で大きな問題として取り上げられましたが、
復旧のメドはまったく立っていないそうです。
こちらは本名ダムの写真ですが、右上のほうに黄色いっぽい高架橋が見えるでしょうか?



それが只見線なんですが、鉄橋が流されてしまったためにぷっつり途絶えてしまっています。
川のなかには鉄橋の残骸のようなものが見えました。



こちらはまた別の鉄橋ですが、



やはり右のほうが繋がっていません。
全線運行していた頃も年間500万円の売り上げに対して3億5000万円の出費で、
ただでさえ赤字路線だったそうですが、これらの復旧に800億円以上かかるということで、
故郷再生への手がかりはまったくつかめないままでした。
さてここまで、前日のエチカのテーマにちなんだスポットを回ってきましたが、
ここからはメンバーが減って馴染みの仲間だけになり、
自由にあちこち巡ってみることにしました。
まずは、金山町の観光スポットのひとつ、大塩炭酸場です。



天然の炭酸水が湧いている井戸です。



今はちょっと水位が下がっていて、鉄っぽい味がしました。
続いて、ちょっと只見町まで足を伸ばして河井継之助記念館を訪れました。
私は初体験でしたが、来たことある人によるとものすごくキレイにリッパに変わっているそうです。



ボランティアの方の説明によるとぎりぎりバブルの時代に間に合って立派に建て替えられたそうです。
入ってすぐのところで河井継之助の銅像に出迎えられます。



この像は等身大ではなく、本人は159cm、当時の平均身長くらいだったそうです。
このボランティアの方のお話は面白くて、
河井継之助の性格を説明するのにフリップボードまで用意して楽しく解説してくれました。



河井継之助といえばガトリングガン。



ただしこちらはレプリカなので試射はできませんでした。
河井継之助が長岡からこの只見の地まで敗走してきて、
最期に療養し息を引き取ったという矢沢宗益宅の療養の間がこちらに移設されていました。



畳などは張り替えられていますが、襖などは当時のままだそうです。
そのとき継之助が使っていた枕や毛布なども実物が展示されていました。



以上で巡検を終えちょうどいい時間になったので、
帰り道、三島町に寄って蕎麦を食べていくことになりました。
林さんの奥会津蕎麦屋セレクションのなかでもイチ押しのお店 「みやした蕎麦と豆腐の会」 です。
こちらはふだんはカフェ&三島の物産店的な 「からんころん」 というお店なんですが、
第2と第4の週末にかぎり 「そば処味矢舌」 となるのだそうです。



手打ちそばを特盛でいただきました。
お通しに二代目万五郎豆腐も付いてきます。
さすがはイチ押しなだけあって、たいへん美味しいお蕎麦でした。
台風も迫ってきているというのにたいへん爽やかな快晴のなか、
テーマと突き付けられた課題は重かったですが、楽しい議論と旅を満喫することができました。
発表者の林さんと、開催の準備を一手に引き受けてくださった金山町の皆さん、
地元や遠くから駆けつけてくださった皆さん、
そして、詰めは甘いけれど企画の魅力だけで突っ走る世話人の皆さんに心から感謝申し上げます。

Q.どうしたら素直にありがとうと言えるようになりますか?

2014-10-11 13:54:35 | 幸せの倫理学
これは 「ありがたい話」 をした2回目の授業のときに頂いた質問です。
正確には次のように書かれていました。

「Q.ありがとうということが素直に言いたいのですが、シャイなのでハズカシイです。
   どうしたらいいでしょうか?」

今どきの若者とは思えないほどシャイな方ですね。
この質問に対しては2つの側面からお答えしてみることにしましょう。
ひとつは精神面です。
まずは人が自分にしてくれることを心底 「有り難い」 と思えるかどうかということです。
たとえほんのちょっとしたことであろうとも、人が自分のために何かしてくれるというのは、
自分にとっても相手にとってもまったく当たり前のことではないということ、
してくれないなんてことはいくらでもありうることだし、
相手は本当はそれをしたくないのかもしれない、
でもそこをムリしてがんばってやってくれたのかもしれない、
そんなふうに考えてみたことはあるでしょうか?
人間の社会のなかではほとんどたいていのことが文化として当たり前のことと定着していますが、
一度その当たり前という感覚を取っ払ってみましょう。
人は誰しも本能で何かの行動をするように定められているわけではありません。
特に人のために行うことは自然な行動ではありません。
なので、誰かがあなたのために何かしてくれたら、それは本当に有ることが難しいことなのです。
挨拶してくれるとか微笑んでくれるとか、そんなことですら当たり前のことではありません。
ましてや手伝ってくれたり助けてくれたり、一緒に何かをしてくれたら、
それは本当に有り難いことなのです。
そういう感謝の気持ちを心からもつことができたなら、
その行為に対して素直にありがとうと言えるようになるのではないでしょうか。

もうひとつは習慣的な問題です。
先ほどは心底感謝して心からありがとうと言いましょうという話でしたが、
今度はそんなに重たくしないで、軽い気持ちでどんどん使おうという話です。
特に友だちでも家族でもいいので、気軽に話しやすい人を選んで、
その人相手にどんな些細なことでもいいから何かにつけてありがとうと言うようにする作戦です。
「ども」 とか 「サンキュ」 とか 「おっ、ありがと」 みたいな軽いノリで、
ちょっとしたことに対して返すようにしてみましょう。
そうやって気安い人相手に軽~く感謝の言葉を口にする習慣を付けたところで、
ありがとうというのがハズカシイ相手にも言ってみるようにしましょう。
そもそもありがとうと言うのは恥ずかしいことではありませんし、
ありがとうと言われた人もそう言われて戸惑ったり照れたりすることはありませんから、
こちらが軽く口にしたらすんなり受け入れてくれるでしょう。
こんな感じでお互いの習慣にしてしまえば、気楽に言えるようになるのではないでしょうか。

どちらの方法がやりやすそうでしょうか。
好きなほうを選んで (あるいは両方をいっぺんに) 試してみてください。
この方法でダメならまた教えてください。
何か新しい手を考えてみることにいたします。

BMWのリコール

2014-10-09 23:29:45 | お仕事のオキテ
このニュース、まったく気づいていませんでした。

「BMWリコール18車種9万台 タカタ製エアバック」 (2014/9/5 21:52)

もしも気づいて読んでいたら、少しはオッ?となっていたかもしれません。

しかし、まったく気づかぬまま悠長に日々を過ごしていたら、こんな郵便が届きました。



個人情報保護のため住所氏名は抜いてありますが、

私の住所に私個人に宛てて届けられた封書です。

赤字で 「重要 リコール/改善対策 (無償修理) のお知らせ」 と書かれているではありませんか。

中を開けるとこんな内容でした。



新聞記事では 「高温多湿な環境で長期間使用するとエアバッグが破裂・出火する可能性がある」

と書いてありましたが、この書面には次のように書かれていました。

「長期間にわたり著しく高温多湿な環境下にさらされると、

 当該インフレーター (膨張装置) に水分が浸入する可能性が否めないことがわかりました。

 結果として、事故の際などに助手席エアバッグが展開した場合、

 展開時にインフレーター内圧が上昇し、インフレーター容器が破損して飛び散り、

 乗員が負傷するおそれがございます。」

おお、ヤバイじゃないですか (このヤバイはマズイという意味)。

たまに助手席に人乗せて走ってましたよ。

事故らなくてよかったあ。

まあ、福島は高温多湿ではないので大丈夫とは思いますが、

万一事故ったときに助手席に乗ってた人が大怪我負ったりしたらシャレになりません。

それにしてもBMWも大変ですね。

あるいは日本の部品メーカー 「タカタ」 がすべての損失をひっかぶらされるのでしょうか?

とにかく中古車として人から直接譲り受けた私のところにまで、

ちゃんとリコールのお知らせが届くということは、

全国津々浦々すべて該当するクルマの所有者を調べまくったのでしょう。

本当にご苦労様なことです。

しかし、今日から 「科学技術と環境の倫理学」において、

プロフェッショナルの倫理について語り始めてしまいましたが、

現在でもプロフェッショナルの倫理に背いているプロフェッショナルは数えきれません。

そうではなく、何か間違いを犯してしまったときにはちゃんとそれを認めてそれを公表し、

事後的にせよ間違いを正すようにする、それこそがプロフェッショナルの倫理なわけです。

今回は私も生まれて初めて、自分の持ち物がリコールの対象となりましたが、

(福島第一原発の賠償の問題は別として)

プロフェッショナルというのは自分が作ったものには最後まで責任をもつ、

そこにこそプロフェッショナルの美学があると思うのでした。

Q.男の人の気持ちを理解するにはどうしたらよいですか?

2014-10-08 15:25:29 | 性愛の倫理学
倫理学とは何の関係もない質問ですね。
とはいえこういう質問はキライではないです。
倫理学を離れてざっくり答えるならば、コミュニケーション能力と観察力と共感能力を磨きましょう、
ということに尽きるだろうと思います。
ただまあ、一般的に言って男性よりははるかに
コミュニケーション能力も観察力も共感能力も高いはずの女性から、
男の人の気持ちを理解するにはどうしたらよいかという質問が出てくるというのは、
それらの能力がどんなに高くても男の気持ちがわからないということがよくあるからでしょう。
今日はそのへんの原因を考えてみることによってお答えに代えさせていただきましょう。

A.男と女は根本的に感じ方も考え方も違う生き物です。
  そこをわかった上で男性を理解してあげるようにしましょう。

男と女は全然違う生き物であるということを知らないまま、
女性が得意の共感能力を発揮させてしまうと、
むしろ男女のあいだに大きな溝が生じてしまうことになります。
きっとこうだろうと思ってしてあげたことがことごとくハズレてしまったりするからです。
男のことは同じ生き物とは思わず、
別種の生物に対するぐらいの気持ちで接したほうがいいと思います。

このブログでは 「性愛の倫理学」 のカテゴリーのなかで、
これまで何度も男と女の違いについて取り上げてきました。
ごく真面目な話題もあれば面白おかしく書かれたものもありますが、
いずれも重要な問題を提起していると思います。
これぐらい違うということを意識した上で男のことを理解してあげてください。

  「男と女のブラックジョーク」

  「「男性脳」 とメール返信」

  「女の常識・男の非常識 (その5) ・裏の意図」

  「女の常識・男の非常識 (その6) ・女と男の本音」

  「男の愛、女の愛」

  「男と女のマジックワード」

特にジョーク系の記事をご覧いただければわかるかと思いますが、 
女性に比べて男はホント単純だと思います。
口に出して言うことにもメールの文言にもほとんど裏表がありません。
あったとしても本当に単純な欲望にもとづくものだったりします。
ひとことで言って男というのはガキです。
そういう愛すべき存在者だということをぜひわかっていただければと思います。
それともうひとつ大きなポイントは、男にとっては自尊心がこの上なく重要だということです。
男のプライドって女性からは本当に疎まれてるみたいで、その気持ちはわからなくはないですが、
男にとってはそれがとても大事なのだということを理解できると、
今まで以上に男性のことがよくわかるようになると思いますよ。

マタニティマーク問題

2014-10-07 22:05:22 | グローバル・エシックス
最近、よくネット上でこの問題を見かけるんです。

「マタニティマーク」 ネットで論争 妊婦が権利振りかざしている?

ムカムカします。

マタニティマークを着けている人のことを、権利をふりかざしていると非難するなんて。

こういう人たちが現政権を支えているのでしょう。

もっと以前にはこんな記事もありました。

「マタニティマーク」は危険?

マタニティマークを着けているとわざとお腹を蹴られたり押されたりするというんです。

どんな国なんでしょう、日本は。

なんて美しくない国なんだろう。

なんだか暗澹たる気持ちになってしまうのでした。

こういう他者とも共存していかなければならないのでしょうか。

そうです。

こういう他者と共存し、言論で相手を説得していかなければならないのです。

気が遠くなります。

でもそれが民主主義です。

カネの力で多数派工作したり、報道を統制したり、言論やデモ活動を弾圧したりするのではなく、

それぞれの意見を主張し合い理性に基づいてより多くの人を納得させるのが本来の民主主義です。

心ない人たちをどうやって説得するのか。

本当に難しい問題です。



P.S.

以下、記事の保存のためにここに貼り付けておきます。

「マタニティマーク」ネットで論争 妊婦が権利振りかざしている?
(産経新聞 10月7日(火)8時5分配信)

 外見では赤ちゃんがいると分かりづらい妊娠初期の妊婦らが交通機関を利用する際に身に着ける「マタニティマーク」。席を譲るべき妊婦だと、ひと目で分かって便利そうだが、インターネット上では「権利を振りかざしている」と反発が強く、是非をめぐり、たびたび論争が起きている。最近も内閣府の調査発表を契機に議論が活発化した。

 内閣府は9月13日、母子保健に関する世論調査結果を発表した。マタニティマークを「知っている」と答えたのは女性が63.8%、男性は41.4%にとどまり、制定から9年目に入りながら、あまり浸透していない実態が浮き彫りになった。

 ネットの掲示板でも、「え、もっと浸透してるのかと思った」「女ですら6割しか知らないんだから、男が知ってるわけないな」と、意外な“不人気”ぶりを驚く声があちこちで上がった。そして、これをきっかけに、是非の論議がまた始まった。

 ◆特別視に反感を募らせる

 やはり目立つのは、「座りたい方が頼めばいい。譲る方があれこれいろいろと考えなきゃならないのは理不尽」「すみませんが席を譲っていただけませんか、と素直にお願いできないのか」などの声。

 「望んで妊娠したくせに、なんでマークを着けただけで特別扱いされると思ってんの?」「ドヤ顔の無言で、席譲れやマーク誇示されても、絶対に譲らない」と、特別視に反感を募らせる人も目立った。また、「マークを目にした不妊女性が傷つく」という意見も散見された。

 マークへの反発はネット上でかなりヒートアップしており、これを背景に、現実の世界でもマーク着用者が暴言にさらされるなどの被害が出ているという。

 あるネットユーザーは「知り合いがマーク着けて電車に乗ってたら、サラリーマンから『俺らはお前より疲れてんだからふざけんな、立ってろ。本当、ずうずうしい』って言われたらしい」と報告していた。

 このような論争は数年前からネット上で断続的に勃発している。今年3月にもタレントの優木まおみさん(34)が自身のブログで、「(知り合いの妊婦が)優先席で舌打ちされたり、おじさんに『電車に乗んなきゃいいのに』とか逆ギレされたとか聞いた」などと、マーク着用者への嫌がらせに言及した際にもネット民は白熱した。

 「変なマーク着けて主張するからたたかれる」「子連れや妊婦の中には、勘違いして特別な待遇を受ける権利があるって自分本位の行動を取る人がいる」と、今回と同様の応酬が行われた。

 ◆小さくない擁護派の声

 もちろん、反発している人ばかりではない。「妊娠してみたら妊婦さんの大変さが分かるのでは?」「つわりで常に気持ち悪く、貧血気味にもなる。おなかも重くなって、いろいろ大変なんだから、そんな冷たいこと言わないで!」と、擁護派の声も決して小さくない。

 だが、実害が報告されている以上、「マークを着けるのは怖くて躊躇(ちゅうちょ)してしまう」という妊婦が出てくるのも仕方がないところ。せっかくのマークだが、活用は意外に難しい。

 結局、「そもそも、妊婦だろーがそうじゃなかろーが、女性をいたわれば問題ない」「妊婦がいたら、当たり前に配慮できる道徳を学ばせろよ」などと良識論に落ち着くのが毎度の展開だ。(れ)

【用語解説】マタニティマーク

 厚生労働省が平成18年に制定したマークで、ピンク色のハートの中に、赤ちゃんと女性が寄り添っている姿をデザインしている。妊婦が交通機関を利用する際に身に着け、周囲が妊産婦への配慮を示しやすくする目的で定められた。特に、妊婦やおなかの赤ちゃんの健康維持に重要な時期だが外見からは分かりにくい妊娠初期の妊婦への配慮が期待されている。



「マタニティマーク」は危険?
(webR25)2014.02.28

妊婦に対する社会の気遣いや配慮を目的に、2006年に作られた「マタニティマーク」。妊娠初期は、外見からは妊娠していることが分かりにくいことから、外出先などにおける周囲からの理解や協力を求めるという役目も果たすのが、このマークだ。しかし、2月21日にツイッターに投稿された1件のツイートをきっかけに、その“副作用”ともいえることに言及する女性の声が多数ネット上に書き込まれている。

一般ユーザーが投稿したそのツイートは、以下のようなものだ。

「『妊婦ですキーホルダーをしてると故意に蹴られたり腹を押されたりする事もあるので、キーホルダーを見せるのはシルバーシートの前だけにしましょう!と産婦人科で注意された』と妹が言ってたな。いつから電車はそんな恐ろしい乗り物になったんだ…」(原文ママ)

“妊婦ですキーホルダー”とはすなわちマタニティマークのこと。妊娠しているとアピールすることが、時に危険を呼び込む可能性があることを示唆したこのツイートは、9000回以上リツイートされ、投稿したユーザー宛に、

「一度電車の中で肘打ちされたことがありました。…(中略)…無事に出産することが出来ましたが、今でもトラウマです」
「『妊婦が電車なんかのんなよ!タクレばいい』スーツ着てるサラリーマンがドア横の手すりにつかまっていたときに吐いたセリフです」

といった経験を語るツイートが寄せられた。

そして、このツイートはネット上でさらに拡散し、女性限定掲示板「GIRL’S TALK」にも、同ツイートを受けて立てられたトピックが登場。ここでは、

「故意に足をかけられて転けました。
30ぐらいの女性が足かけたのですが『でき婚のくせに!』って言われました」
「ホームで電車待ってたら見たこともない年上の女性に、『若いくせに!この変態!』とか怒鳴られて、突き落とされた事あります」

などという実際に危害を加えられたという投稿も見られる。そして、

「妊婦ですが、もしもの時の為にマークは付けてますが基本は隠してます!お腹も。お腹が大きいだけで、かなり弱い立場になる気がしています」
「マークを見て暴力を振るう人がいると聞いていたので、子どもを守るためにも私も妊娠中は一度もつけませんでした」
「マタニティマークはよく思われていないと耳にしたのでつけてません」

など、マタニティマークの危険性を認識したうえで、付けないと決めている人の声も複数ある。もちろん、マタニティマークを付けていて、席を譲ってもらったという声や、危険な体験は一度もなかったとする人の声も多く見られるが、付けることによる危険性はゼロといえないのが実情なのかもしれない。

エチカ福島第4回 「故郷は消滅するのか?」

2014-10-06 10:43:44 | 哲学・倫理学ファック
今度の週末、「エチカ福島第4回」 が開催されます。

奥会津の金山町というところで開催されますので、ちょっと交通の便が悪いのですが、

人の集まりやすいところばかりでなく、時にはこういうところでやることに意義があるでしょう。

しかもテーマは 「故郷は消滅するのか?」 です。

昨年、私も川内村の 「若者ふるさと再生検討会」 に加えていただき何度か同村を訪れましたが、

いろいろ話をうかがってみると、原発事故の影響も深刻だけれど、

多くの問題は原発事故が起こるずっと前から続いていたということがわかりました。

私はもともと 「故郷」 とか持たない人間ですし、

自然もキライですから 「田舎」 への憧れはまったくありません。

生粋のシティボーイとして生を全うできればいいと考えています。

しかしながら、みんながみんな私のように考えてすべての地方が衰退し、

東京、大阪など大都市だけに人が集中してしまうのは問題だと考えています。

日本はこんなに狭い国なのに、他国に比べて大都市への一極集中が進みすぎているような気がします。

同質性を重んじる横並び主義がこんなところにも現れてくるのでしょうか?

そもそも今回のテーマの 「故郷」 という言葉自体が、

もともと住んでいたところを離れて今は別のところに暮らしているという意味を含み持っています。

そう考えると、故郷が消滅するのは必然とも言えるのかもしれません。

ノスタルジーを感じつつもお金を稼いで生きていくためにはそこを離れざるをえない、

という経済・社会構造が根底に存しているのだとしたら、

都市化と過疎化は止めようがなく進展していかざるをえないでしょう。

そうした流れに対してエチカ (=倫理学) は何を言えるのか?

今週末の議論を楽しみにしたいと思います。


Q.好きなものは最初、最後どちらですか?

2014-10-05 07:25:02 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
A.基本的には最後です。

私は長男なので、好きなものは最後でした。

この問題って長子かどうかによってある程度決まってくると聞いたことがあるんですが、

その説ってどれくらい信憑性があるのでしょうか?

長子の場合は食べ物をめぐる熾烈な競争の心配をしなくていいので、好きなものは最後となり、

(最初のうちは一人っ子だし、下が生まれても競争に負けることはなく、むしろ奪う側)

第二子以降は奪われる前に食べようとして最初になるというのは、

わたし的にはけっこう納得しているのですが…。

私も御多分に洩れず横暴な長男でしたので、奪うことはあっても奪われる心配はなく、

好きなものは最後に頂いていました。

自分のものはキープしておき、奪った分はその場で食べるという黄金戦略です。

基本的にはこの方針で生きてきました。

ただこの歳まで長生きし、老いを少しずつ感じるようになると、

だんだんその方針がうまく機能しない場面が出てくるようになりました。

せっかく取っておいたメインイベントに行き着く前にお腹いっぱいになる事態が生じてきたのです。

昔だったらいくら食べても飲んでも満腹になるということはほとんどなかったんですが、

最近ではビールを無限に飲み続けたり、寿司や餃子を無限に食べ続けることができなりました。

餃子の場合はずーっと同じものだから好きも嫌いもありませんが、

寿司の場合、一番好きな寿司ネタはできるだけ最後のほうに取っておきたいのですが、

そこに行き着く前に力尽きてしまうのです。

というわけで、自分の主義や方針に反して、最近では好きなものを、

最初にとは言いませんが、わりと早めに食べるなんていうことも増えてきました。

たいへん残念なことです。

寄る年波には勝てないということでしょうか。

ですのでお答えに 「基本的には」 と付け加えさせていただきました。

基本的には好きなものは最後ですが、最近ではそうも言っていられないことも増えてきました、

というのが今回の質問へのお答えになります。

Q.自分ではペ・ヨンジュンと福山雅治に似てると思いますか?

2014-10-04 08:35:02 | 幸せの倫理学
A.どちらにもまったく似てるとは思いません。

この手の問題はブログ炎上の火種になりやすいので最初に断言しておくことにします。

この質問をした人はこんなふうに書いてくれていました。

「私は先生をペ・ヨンジュンと福山まさはるに似てると思いますが、ご自身は似てると思いますか?」

ペ・ヨンジュン問題については2度ほど書いたことがあります。

「Q.誰かに似ていると言われますか?」

「Q.先生はペ・ヨンジュンかリリー・フランキーに似てると言われたことがありますか?」

いずれも 「似ていると言われるか」 という質問でしたので、ありのままを答えておきました。

しかし、2つめの記事のコメント欄をご覧いただければおわかりのようにもう集中砲火です。

そして、その攻撃に対してお答えしておいたように、自分ではまったく似てるとは思いません。

たぶんペ・ヨンジュンが登場するまではメガネをかけた芸能人って、

脇役俳優かお笑い芸人くらいしかいなかったので、

メガネをかけているというだけで似ているかのような誤解が広がったのでしょう。

そして福山雅治ですが、こちらに関しては似ているなんて言われたのも今回が初めてです。

こんな質問は受けたことがあります。

「Q.福山雅治好きですか?」

私、カラオケの十八番が福山ですので、彼の曲はけっこう好きなのですが、

エロい歌い方が似てると言われたことはあっても、

外見に関して言及されたことはありませんでした。

福山に似てると言われると正直なところちょっと (どころでなく) 嬉しいですが、

いくらなんでもそれはムリがあるのではないでしょうか?

おそらくペ・ヨンジュン・ファンの騒ぎどころでなく、全国の福山ファンから苦情が殺到することでしょう。

ブログ炎上間違いなしだな。

繰り返し断言しておきますが、私は福山雅治にはまったく似てないと思います。

だってこのあいだはリリー・フランキーに似てるって言われたんですよ。

これで福山にも似てたら私一人で父になれちゃうじゃないですか (『そして父になる』)。

どれだけ否定しても、こういう質問を取り上げこういう記事を書いたというだけで、

たぶんまた炎上しちゃうんだろうなあとちょっとブルーになりますが、

似てると言ってもらえたことは嬉しかったです。

どうもありがとうございました

Q.安楽死について先生はどう思いますか?

2014-10-03 17:42:26 | 生老病死の倫理学
今日、看護学校では 「死なせてあげるべきか?」 というテーマで安楽死について考えてもらいました。
特に郡山ではあまりじっくり私の考えを話す時間がなかったので以下のような質問を頂戴しました。

「Q.安楽死は医療行為によって死をもたらすものと考えたらなんだかジレンマを感じました。
   医療を行う人は、人を助けなくてはいけないのに、殺してもいいのかと思ってしまったからです。
   先生はどう考えますか、教えてください。」

たいへん難しい問題です。
私自身まだ答えを出せていません。
医療者が安易に人を死なせていいはずがありません。
そういう意味では消極的安楽死 (=尊厳死) も積極的安楽死も推奨される事柄ではないでしょう。
しかしながら、高度医療が発達してしまった現代において、
昔のように簡単に死ねなくなっているということも事実ですので、
そういう状況のなかで一律に禁止してしまえばいいというものでもないような気がします。
本当に難しい問題だと思います。
当面は1995年の東海大学安楽死事件の判決に見られるように、
厳しい条件をクリアした場合にのみ違法性を阻却する (法的に認める) というあたりが、
妥当な線なのではないかと思っています。

みんなには2つの安楽死と自殺との関係を考えて図に表すというワークをしてもらいました。
そのときにちらっと私の意見を言いましたが、
私は安楽死と自殺はそれぞれ別個のカテゴリーとして分けて考えるべきだと思っています。
安楽死というのは、重篤な病気にかかって死を免れず死期も迫っている人が、
現代の医療によって生や苦痛を引き延ばされるのを拒み、
医療者によって自然な死や安楽な死をもたらしてもらうことを選ぶ、
「死に方の選択」 の問題であると考えています。
それに対して自殺というのは、まだ生きることのできる人が自らの手で死を選んでしまう、
「死の選択」 であり、安楽死とはまったく意味が違ってくるだろうと思うのです。

もちろん以上はあくまでも私の考えにすぎず、
倫理学者・哲学者のなかにも私とは異なる考え方をする人もいます。
自殺というのは 「死ぬ権利」 の行使であり、消極的安楽死も積極的安楽死も同様に、
「死ぬ権利」 の行使としての自殺の一種であって、
自らの手によって自殺できない状況にある者が医療者の手を借りて自殺を行う自殺幇助である、
と考える人たちがいるのです (ウィキペディアでも自殺幇助であると説明されています)。
私としてもそういう考え方もありうるなあとは思いますが、
しかし、そもそも 「死ぬ権利」 というものを認めたくないと私は思うのです。
人間には 「死ぬ権利」 があるのではなく、自殺というのは 「生きる権利」 の放棄だと思うのです。
消極的安楽死や積極的安楽死は 「死ぬ権利」 の行使や 「生きる権利」 の放棄ではなく、
死を免れえない者がどうやって死ぬかを選び取る 「死に方の選択」 にすぎないと思うのです。
そう解釈する場合にのみ医療者が安楽死に関与することが許されるのではないかと思うのです。

ただし、このような私の考え方はもう古いのかもしれません。
世界の安楽死先進国はもうずっと先に行ってしまっています。
私は死なせるための処置 (致死量の薬物投与) をする積極的安楽死に関しては、
ペインコントロールによっても除去しえない肉体的苦痛が現にある場合にのみ認められるべきだと思っていますが、
スイスやベルギーなどは肉体的苦痛がなくとも精神的苦痛による積極的安楽死を認めています。
最近ではこんなニュースが飛び込んできました。

「受刑者の安楽死認める ベルギー、強姦致死などで収監」 (朝日新聞デジタル 2014.9.22 → 保存用

強姦致死罪などで終身刑に服している受刑者が耐えがたい精神的苦痛による安楽死を求め、
これが控訴審で認められ、近いうちに病院に移送されて安楽死を受けることになったというのです。
うーん。
こんなことでいいのでしょうか?
これはもう完全に自殺幇助ですよね。
医療者がこんなことに手を染めていいのでしょうか?
彼はたぶん病院に入院すらしていませんでした (病気ではないので)。
そんな人をわざわざ病院に移送して医療者が手を下すのですか?
医療ってそういうことでいいのでしょうか?
この人は元気なんだろうから、そこまで望むのなら自分で自殺すればいいのに…。
いや、自殺もいけないんですが、
こんなことのために他人を (しかもお医者さんを) 巻き込まなくてもいいのにと思ってしまいます。
こんな記事もありました。

「自殺ツーリズム 安楽死を求めてスイスへ渡航する人が急増」

こちらは最近のニュースというよりも研究論文の紹介で、
2008年から2012年のあいだに、
安楽死を求めてスイスへ渡航した人が600人以上いたという話題です。
研究論文のタイトルが 「自殺ツーリズム」 ですから、
完全に安楽死は自殺の一種ということになってしまっています。
まだまだ世界的に見ると積極的安楽死が大っぴらに認められている国は少数派ですが、
今後増えていきそうな気配は感じられます。
はたしてこの問題、今後どうなっていくのか注意深くウォッチしておきたいと思います。
それとともに自分としても、最期は安楽に死にたいという願望は理解できるものの、
そのために医療者を巻き込んでしまっていいのかについてさらに考え続けていきたいと思います。
というわけで今回は解答は保留ということにさせていただきます。

iPhone4Sの問題点 (その2)

2014-10-02 13:32:06 | お仕事のオキテ
昨日、話が途中で終わってしまったので、続きを書きます。
iPhoneでもうひとつ困っていたことは、
画像をパソコンに取り込んだときになぜか上下が逆転してしまうということでした。
メールで送信しても、USB接続で直接取り込んでも上下が逆さまになってしまうのです。
ですのでこの2年間というもの、ブログにアップした写真はほぼすべて、
「Windows Live フォトギャラリー」 などのWindows付属ソフトを使って180°回転させてから、
ブログに上げるという二度手間をかけていたのでした。
iPhoneから直接Facebookやブログに写真を上げるときは何も問題ありません。
ですのでこれはApple製品とMicrosoft製品の相性が悪いのだろうと思っていました。

メンドーではありましたが、上記の方法で何とかなっていましたので、
特にそれ以上原因を究明しようとか対策を講じようという気にもならず、2年間過ごしてきました。
ところがこのたびiPhoneのメモリ容量が限界に達してしまったのです。
写真ならまだ撮れるのですが、動画を撮ることができなくなってしまいました。
これはイカンと思い、iPhoneで撮った写真や動画をパソコンに移動させました。
そうしたらなんと動画も上下逆転してしまっていたのです。
写真ならすぐに回転させることができましたが、動画の場合どうしたらいいかわかりません。
もしも直せないとしたら、iPhoneの中の動画ファイルを消してしまってはいけないじゃないですか。
(iPhoneの中でなら正しい向きで見ることができますので)
しかし、そうなると容量不足の問題を解消することができず、これ以上動画を撮ることができません。
困った挙げ句、Facebookにこんな泣き言を投稿しました。

「iPhoneからWindowsパソコンに画像ファイルとかを取り込むと、
 画像が上下逆さまになってしまうのはどうしてなんでしょう。
 写真ファイルだったら取り込んだあと修正できるからいいけど、
 動画ファイルが上下逆さまになってしまうとどうやって直したらいいのかわからない(T_T)。」

すると、逆立ちして見ろとかパソコンを逆さまにすればいいといった心ないアドバイスに混じって、
こちらの参考リンクをご覧くださいという心優しいコメントをくださった方がいらっしゃいました。
こちら↓です。

「iPhoneで撮影した動画の向きを変えるには?」

この記事ではもちろん動画の向きの変え方も教えてくれているのですが、
それよりも何よりも 「はじめに」 の部分でなぜ逆さまになってしまうのかを説明してくれていて、
本当に目から鱗が落ちるような思いがいたしました。
なんと私は今までずっとiPhoneを逆さに持って撮影していたのです。
ホント、びっくりです
記事にはこんな注意書きがありました。

注意
 iOS5からの機能で、CMでもやっているが
 本体のボリュームボタン (+) をカメラのシャッターとして使えるのだが、
 シャッターが右上にくるように持つと、必然的にカメラの向きが上下逆になってしまうのだ。
 だから微妙に使えない。」

そうなんですよ。
マニュアルのないiPhoneですが、どこかで (+) ボタンがシャッターになると読んだんですよ。
当然シャッターボタンのあるほうが上だと思うじゃないですか。
シャッターボタンが下についてるカメラなんてこの世に存在しますか
なのでシャッターボタンを使わずに画面にタッチしてシャッターを切るときも、
(+) ボタンのほうを上にして写真を撮っていたのです。
動画を撮るときも当然同じです。
私どこか間違ってますか?
シャッターボタンを下にするなんてフツー思いつきますか?
マニュアルも作らずに直感的操作性を誇るiPhoneのくせに、
ずいぶんと直感に反することをしてくれるじゃないですか。
こんな大事なこと早く教えといてくれよ。

というわけでiPhone4Sの問題点 (その2) は、
パソコンに取り込んだときに画像が上下逆転してしまう、ではなくて、
(それは私が上下逆さに撮影していたからでした)
撮影のときに上下逆さに使ってしまいたくなるようなデザインである、でした。
はたしてiPhone6ではこの問題点は解決されているのでしょうか?
どなたかiPhone6買った人、どうだったか教えてください。


P.S.
Facebookで逆立ちしろとかパソコン逆さまにしろという心ないアドバイスをくれた人が、
大学生協食堂で直接お会いしたときに、
Windowsに付属の Windows Live ムービーメーカーというソフトで、
動画の向きを回転させることができるよと教えてくださいました。
実際にやってみたところみごとに天地を正常に戻すことができました。
たぶんあの記事に書いてあったやり方よりも簡単なのではないでしょうか。
「心ない」 なんて言ってしまって申しわけありませんでした。
どうもありがとうございました

iPhone4Sの問題点 (その1)

2014-10-01 10:54:10 | お仕事のオキテ
iPhone6&iPhone6Plusが発売されて世の中は浮き立っているようですが、
発売されたばかりのデバイスを買えるほど勇気もないし経済的余裕もありません。
私はあいかわらず2年以上前に買ったiPhone4Sを使い続けています。
ガラケーからスマホに替えてひじょうに便利になったなあと思うんですが、
特にこのiPhoneに関しては大きな不満が2点ありました。
日本語変換のダメさ加減と、画像取り込み時の上下逆転現象です。

iPhoneの日本語入力がてんで使い物にならないことはけっこう有名だったようです。
日本語のことまったくわかってないやつが作ってるんでしょうね。
出てくる変換候補がまったくトンチンカンでものすごくイライラさせられるのです。
特に連文節で打ち込んでしまうと笑えるほどおバカをさらけ出します。
あと予測変換で、例えばカギカッコ(「 ) を使ったら、
当然すぐにカッコトジ ( 」) が必要になるってわかりそうなものじゃないですか。
そういう先を読む力がないんですよね。

しかも学習能力、記憶力がまったくありません。
日本語入力システム (IME) って最初のうち多少おバカでも、
こちらのクセというかよく使うワードをだんだん覚えていき、
そういう単語が変換候補の先頭に来てくれるようになって、
そのうち使えるように成長していってくれるものじゃないですか。
そういう努力をまったくしてくれないんだよなあ。
ほんの一瞬覚えているんですが、すぐに忘れてしまって初期状態に戻ってしまいます。
バカです、アホです。
作ったやつが。

そして何よりiPhoneの日本語入力システムで一番頭に来ていたのは、
iPhoneに最初から装備されているIME以外のIMEアプリを
インストールして使ったりすることができないということでした。
あのクソのようなIMEがOSレベルで固定されてしまっていて、
ATOKとかに切り替えることができなかったのです。
ホント困ったもんです。
Appleは自分の得意なことにだけ集中して、
日本語変換とかは日本の会社 (ジャストシステムとか) に任せてくれればよかったのに…。

と、ずっと思っていたところiPhone6からはIMEが交換可能になりました。
遅きに失したとは思いますが、Appleもやっと分業という概念に思い至ったようです。
というかiPhone6に限らず、旧機種でもOSをiOS8に更新すれば、
Apple IMEの軛 (くびき) から解放されるようです。
そして先週、ジャストシステムの 「ATOK for iOS」 が発売されました。
ネットの記事を読む限り、特にフルアクセス許可を求められるという点に疑義が残りますが、
しばらく様子を見てから導入してみたいと思います。

いっぺんに書いてしまおうと思っていましたが、
たんなる導入のつもりだった日本語変換の話だけで十分長くなってしまったので、
本題 (オチ) はまた明日