掻(か)きまわした泥田が落ち着いてきますと上部の水は澄んできますよね。
…と同調を求めてますが、果たして読者のどれくらいの人が、分かって頂けますか^^; 泥田と書きましたが
何のことやら?たぶん田んぼのことだろう…と勘を働かせて、しかし泥田とはえらいものだしてきたなぁ…とため息混じりでもこのブログを読んで頂ける方、私はとても光栄であります。このように多少ぶつぶつ言いながらでも暇潰しがてら覗いてみるか^^;なんて理解のある読者がいらっしゃるので拙(つたな)いブログでも長く続けさせているのでございます。
私は田舎出身でありまして、たぶんこの年代以前の人はほとんどが幼い頃は貧しい生活を過ごした筈です
…なにを証拠にそんな事を断言するんだ?と怒りの御仁 まぁ私のお話にちょっと耳を傾けて下さいませ。
私の生まれた昭和の中頃…つまり太平洋戦争が終わって十数年経った頃、西洋風に云えば1950年代~60年代生まれ。都会は戦争の傷跡がようやく癒えて復興の兆しが見えてきました。
日本中が戦争で焼け野原になりました。 父親に聞いた話ですが、大陸から復員してまず博多から復員列車に乗り関西に帰ってくる途中あちこちの大きな街はどこも焼け野原でした。
中でも広島駅で見た焼けた跡は他とは比べ物にならないほどだったと言います^^;
それから朝鮮戦争が起こり日本はアメリカ軍の軍事拠点として物質や食料品などの補給でたちまち好景気に沸きました。いわゆる軍需景気ですね(^^
戦後復興については色々な意見はありますが、日本がいち早く敗戦から立ち直ったのはこの朝鮮戦争の影響が大きかったのも要因のひとつですね。
それでも今みたいな何でもある生活とは比べ物にならないくらい貧しいというより便利な物が無かった生活は今では想像できません。
ただ 貧しいと表現していますが、これは今の生活と比べての感想で当時は貧しいなんて誰も思っていなかったのです。
当時の生活の基盤はまず食料の確保でした。それはあらゆる動物がその日の食べ物を如何に確保するかが問題で人間だけが唯一それを安定的に確保できるようになり飛躍的に発展していったのですね。
私が物心ついた昭和40年代は、食べることが最優先からちょっと便利な物が出始めた時代でした。
電気、洗濯機、テレビ、バイク、洋服、靴など
今なら当たり前にあるものが無かったのが当時の生活でして、あ、誤解の無いように…戦前はもっと無かったんですから^^;
食べ物なんて私ら農家に住んでますと、何とかなるようでも基本は自給自足でした^^;
主食の米はありますが副食のお肉がまるで無い、ハンバーグや餃子…なんも無い、魚なども無い、私の住んでいたのは内陸部なのよ^^;…主の副食は季節に採れた野菜それにようやく出始めたチクワやカマボコを一緒に炊いたり煮たりして副食にしていました。じゃあ、たんぱく質はハイ!自宅内でニワトリを飼っていまして卵
これだけは毎朝頂いていました。
お肉は年に数回食べられましたがお正月、祭り、お盆そうそうカレーライスが一般家庭で流行りだした時期でもありました。
ただし肝心のお肉は無くて、鯖の缶詰か鶏肉。牛肉はほんとに高嶺の花でした^^;
そんな食生活でしたからあの時代なんて肥満や生活習慣病も皆無!
栄養失調…これはわりとありましたけど^^;
そんな時代を過ごしてきましたから今の生活から振り返ってみると貧乏な暮らし だったとなるわけで 日々の生活なんて今ほどモラルや規則も厳しくなくて会社なんて競争はなくてもちろんイジメやうつ病なんか無かったしみんな呑気に暮らしていましたね^^;
ですからおなじ年代の人と話しますと 皆さんその時代を懐かしがって戻れるなら戻りたいなぁ(^^)となるのですね。
まぁ私らには私らの良き時代があり、平成の人にはやっぱり良き時代があるのでしょうね。
取り留めのないお話になりました。