まちの安全管理センター

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南海トラフ減災に向け、名古屋で産官学民が連携

2014-10-08 06:14:40 | 日記
 南海トラフ巨大地震が起きた場合、市内で最悪6700人が死亡、6万6千棟の建物全壊・焼失。名古屋市が2014年3月に公表した独自の被害想定が話題となっています。しかし、災害に対して手をこまねいているわけではありません。名古屋一帯は、以前から産官学民の連携に基づいた減災の取り組みが進んでいる地域でもあります。
 2014年3月、名古屋市中心部の東、山の手に位地する名古屋大学のキャンパスの一角に、減災社会の実現に向けた新しいタイプの施設がオープンしました(減災館)。同大学減災連携研究センターが開設した、研究機能を備えた展示・学習施設である。災害発生時は、大学や地域の対応拠点としても機能します。
 災害ボランティアの全国組織として名古屋を拠点に活動を展開する特定非営利活動法人レスキューストックヤード(RSY)の代表理事は、その存在をこう評価しています。「例えば自治組織の会長や地域防災のリーダーなど、市民が災害に備えるために学べる場がない。本来は大学ではなく公共で開設するのが理想だが、そうした場の必要性を考えると、減災館の存在は非常に価値がある」
 名古屋大学減災連携研究センターが減災館を開設した大きな狙いの1つに、地域住民の啓発があります。開設に向け奔走した同センター長・教授の福和伸夫氏はその狙いを語っています。 「耐震化、家具の固定、備蓄といった『自助』の実行を促す場が必要だ。人は、1:知識を得て、2:納得し、3:我がことと思うことで、4:決断し、5:実践するようになる。この減災行動のための5つのステップをすべて、減災館を通じてサポートしていく」
 「地域の自主防災会や婦人会など、団体での来館者も多い。少なくとも1日に十数人、時には100人規模の人が訪れる」と説明しています。地域住民からの評判も上々のようです。
 減災館は、名古屋地区における減災のための人づくりの活動とも連携します。
 名古屋の地域連携の1つの象徴と言えそうな取り組みに、「防災・減災カレッジ」があります。行政、事業者団体、地域団体、自主防災組織、ボランティア団体の代表者で立ち上げたあいち防災協働社会推進協議会が、2012年6月、関係者間で交わした人材育成に関する協定に基づき取り組みを試行的に開始し、翌13年度から本格実施に踏み切りました。14年度からは減災館も受講会場として活用されています。
 あいち防災協働社会推進協議会による「防災・現在カレッジ」について、主催者団体の事務局を務める愛知県防災局防災危機管理課の職員で、名古屋大学減災連携研究センターの研究員は、「地震と地域のことを知り、自分で考えて、行動できることが、『自助』には欠かせない。そうした防災人材を育てる、総力を結集した取り組みだ」と位置付けています。 また、研究員は2013年度、「歴史地震記録に学ぶ防災・減災ガイド」の作成や、ガイドに基づく街歩きのイベントを県防災局の委託事業として実施しました。
 このガイドは、古文書や行政史など歴史資料をもとに過去の災害やそれを伝える史跡を掘り起こし、災害の歴史を伝えるものです。調査の進み具合とその成果を記録するデータベースも併せて整備しました。それだけにとどまらず、昨年度は県内の半田市で地域住民を対象にまち歩きを開催し、歴史地震記録に学ぶ機会も設けました。
 愛知県の第3次の地震対策アクションプランを年内をめどにまとめる作業も、研究員が今年度に担当する業務の1つです。アクションプラン検討の一環として組織する庁内ワーキンググループ(WG)の1つは、30代を中心とする若手職員20~25人で構成し、アドバイザーとして同氏を招き、人材育成の場としても機能させようとしている。
 「役所勤めの間に南海トラフ巨大地震を経験することが考えられる世代だけに、そのとき、県土はどうなるのか、庁内はどうなるのかを具体的にイメージしてもらいながら、議論してもらっている。福和氏とのやり取りを通じ、巨大地震に対する切迫感を伝えることも意識している」
 地域連携で人材育成や意識啓発に取り組む県に対して、産業界の1つである建設業界でも、これまでの垣根を取り払った取り組みが見られます。
 名古屋建設業協会は、地元の建設会社を中心に169社(2014年8月現在)で組織する業界団体です。現在会長を務める山田組代表取締役が協会活動に参画するようになったのは、2002年1月。その3カ月後には、「社会貢献活動方針」を掲げています。
 建設業団体として、災害とは縁が深い。地元名古屋市との間で協定を交わし、災害発生時の救援・復旧活動への協力を約束します。ところが、協会の取り組みはそれだけにとどまっていません。その象徴が、協会2階にある事務所スペースだ。協会ではそこを2009年10月以来5年間にわたって、冒頭で紹介した災害ボランティアのNPO法人、レスキューストックヤードに賃貸しています。
 同氏の減災を通じた地域貢献の姿勢が浸透してきたのか、名古屋建設業協会の会員企業からも地域貢献への提案が持ち込まれるようにもなってきました。その1つが、津波被害を受ける恐れのある地域での海抜表示シールの張り付け作業であります。
 ある会員企業から提案により、協会では2013年夏、市から要請を受ける形でこの作業に携わりました。まず約2600カ所の測量調査を、有志86社で無償のボランティアとして実施。その後のシール張り付け作業は少額随意契約で協会として受託し、会員企業の手を借りた。
 「社会貢献活動に取り組むために協会の活動に参画した」と言い切る同氏の問題意識は、本業と決して無縁ではありません。減災貢献を通じ、身近な社会から信頼を得ることが、ビジネスにも結び付くという発想です。
 「建設業界は談合などマイナスイメージが強く、社会の信頼は決して高いとは言えない。だからこそ、協会や地元建設会社が減災貢献の取り組みを続けていくことで信頼を積み上げ、それが市民を守る地元建設会社への発注につながる、という望ましい状況を自ら創出していきたい」
 企業の地域への防災貢献を重視する姿勢は、自治体にも広がってきています。名古屋市緑政土木局の総合評価の評価分野の1つに「地域貢献・地域精通度」というカテゴリーがあり、防災については、災害協定に基づく実働や、防災訓練への参加、災害ボランティア資機材の保管などの実績に対して加点されるようになっています。
 一方で、今の評価基準では各社の差別化を図りにくくなってきています。そこで同氏は「独自の貢献活動の内容が評価され、加点される仕組みを、行政に提案していきたいと思っている」と、次の一手を構想しています。
 名古屋における産官学民の地域連携を通じた減災への取り組みは、1人ひとりの自助の意識を啓発し行動を促すものが中心です。自助なしに共助が成り立たないことを考えれば、とりわけ自助の重要性が浮かび上がります。
 前出のRSYも、自助・共助を意識しつつ人材育成に取り組みます。2002年度からは、名古屋市と協働で災害ボランティアコーディネーター養成講座を毎年開催しているそうです。「この12年間で延べ1000人を超える受講生を送り出し、名古屋市内16区すべてに、8年掛けて災害ボランティアコーディネーターの組織を立ち上げた。こうした広がりのある組織は全国でも珍しい」都市の減災における民間の役割を、
 「私たちは被災地という現場の経験に基づき、そこから得たことを市民目線で伝えることができる。地域との関わりが深く、行政にできないことができる。例えば、公平平等の原則から、行政は被災した家の中の片付けができない。災害発生前から産官学民がお互いの特性を生かしながら連携して活動することが重要だ」
 同氏は、今の名古屋の強さをこう指摘する。「いざというときにだれかに言われなくても本気で動くネットワークがあります。旗振り役もいる。助け合う仕組みができている」。
 この7月、長野県の南木曽町が豪雨災害に見舞われました。その被災地にRSYは支援人材のほかボランティア活動用資機材を送り出しました。「夕方、トラックへの積み込み作業をするという情報を各種のメーリングリストに流す。すると、仕事帰りのサラリーマンなど20、30人が、『現地には行けないけれども』とごく当たり前に集まってきて、手伝ってくれる」
 2002年4月、中央防災会議に設置された東海地震に関する専門調査会が想定震源域を見直したのを踏まえ、名古屋市を含む愛知県下の多くの市町村が大規模地震対策特別措置法に基づく地震防災対策強化地域に新たに指定されました。そして今、南海トラフ巨大地震のリスクが現前化してきました。
 人ごとではない――その危機意識が、産官学民の連携による名古屋の様々な取り組みの背景にあります。
 道半ばながら、名古屋には自助の意識と共助のネットワークがこの十数年で整備されつつあります。阪神淡路・東日本大震災、中越・新潟地震など様々な災害を経験してきました。東海地方は、関東と関西をつなぐ大動脈であるだけでなく日本第三の都市です。十分に警戒しましょう。南海トラフ地震・東海地震だけではなくまだ見つかっていない断層による地震などにも警戒しましょう。