車の形をした煙草入れ、ブリキのおもちゃ(玩具)と自動車グッツのコレクション。

シガレットケースと呼ばれる車型のタバコ入れ、ブリキの玩具、貴重、珍品の車グッツを公開

日産のスカイライン2000GTジャパン Mr.&Ms. 綿ジャンバー

2013年01月31日 09時38分04秒 | 車グッツ








日産は、ケンメリ(Ken&Mary)のグッツ販売が好調だったようで、
1977年の後継車スカイラインジャパンでもその姿勢が変わらず、
Mr&Msというブランドで、色々な物を販売しました。
このジャンバーもその一つです。
いまでは、あまり見られなくなった派手な色です。
バリエーションも沢山あって箸置は、現在も食卓で使用しております。
Mr.&Ms.のTシャツは1978年の夏だけで57万着が売れる
大ヒットとなったそうです。
現在も復刻版ですが、日産のオンラインショップで
購入が可能です。
ここで、ケンメリのTシャツも購入しました。
先ほどショップを覗きましたが、
ケンメリのTシャツで人気の黒は、扱っていない模様でした。


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バンダイ製ブリキの日産富士号 富士号の奥山さんが亡くなったそうです。

2013年01月29日 10時10分27秒 | ブリキの車
2007-12-05に載せた記事ですが、
富士号の奥山さんが亡くなったと知り、再掲載致します。

残念なが持っていないのですが、とても貴重そうなので載せます。
以下は、日産・DATSUN の戦士達からの引用です。
http://u14sss22ltd.fc2web.com/combat/combatmain.html
まだ国産車のスピードの壁が「100km/h」だった頃、日産は自社の車が一体、どの位のレヴェルなのか?判りかねていた。
一番そのレヴェルを知る方法として彼らは、大胆にもいきなり国際的なラリーへの参加を考えた。
「どうせ出るなら一番過酷なモノ」・・・と選んだのが、「オーストラリア一周ラリー」であった。
このラリーはオーストラリア大陸を一周16,000kmを19日掛けて走破するというラリーであった。
そのラリーには、サイドヴァルヴからOHVに変わった当時の最新型のダットサン210と、四人の若武者で出場する事になった。
それを実現する為に社内をまとめたのが、当時宣伝課長であったMr.Kこと片山 豊であり、若武者の一人が後のNISMO社長になった難波靖治だったのだ。
 難波が乗った「富士号」は総合24位クラス優勝した。
 鯉のぼりを掲げてのFINISHの写真は、つとに有名。
富士川での水中走行訓練。まだ社内には、こういったテストコースが無かった・・・
ラリーの準備は、ほぼ半年前から始められた。まずは、片山が前年度、出場したトヨタに趣き、ラリーの様子やオーストラリアの事情を調べた。
次ぎにクルマであるが、当時はまだチューニングという概念が無く、部品を強化するという手法が取られた。
実際には、出場車用のダットサンの部品は工場で一番デキの良いモノが集められ、さらに熱処理を一段と加えて通常より強度を増す・・・といった事がなされた。
ドライヴァーの訓練は、吉原工場から太平洋側を周り下関へ出て、そこから日本海周りで吉原工場に戻り、さらにそこから太平洋側を回って、青森へ行き、日本海周りで吉原工場へ戻るといったコースを設定して、ノン・ストップで二周するという、約8,000kmの訓練を数度行い、さらにスピードに慣れる為に北海道の原野で訓練をした。
いよいよ出発の時、難波達は上司から意外な言葉を聞くことになった。
「勝とうと思うな。勝つよりも、壊れたら修理して必ず完走する事。そして何処がどう壊れたか、他のクルマは、どうだったか観察し、できればデータと取るんだ!」
それは、難波達にとって屈辱的な言葉であった。競技に出るのに何故、勝利に拘ってはダメなのか?俺達は会社に期待されていないのか・・・。
そんな難波達であったが、オーストラリアに旅立つ日、羽田空港では、オーナーズクラブ他、大勢の人達が激励会を催してくれ、難波達を多いに元気付けさせてくれたのだった。
オーストラリアに着くなり、彼らにさらに苦しく辛い現実が待っていた。
終戦から13年が経っており、過去の戦争の傷跡はたいしたことは無いだろう・・と予想していたのだが、実際にはそうでなかったのだ。
領事館からは「多少、不愉快な事もあるでしょうが・・」と言われたのだが、食事中にクルマの日の丸が削り取られたり何より、日本がまだ敗戦の痛手から立ち直っていない・
と思われており、何処へ行っても、同じ事を質問された。
「これは全部、日本製のクルマか?」難波達は「もちろん全部、日本製で出来ています!」と答えるのだが、それでも「バッテリーは?ガラスは?タイヤはどこから輸入したのか?」と矢継ぎ早に質問してくるのだ。
それも無理からぬ事であったのだ、「ウソだ日本がクルマを作れるハズは無い!」容赦ない言葉が難波達を襲う。なぜなら当時オーストラリアでは、GMを国産化してホールデンを作っていたのだしかし、難波達を悩ませたのは、そんなナショナリズムだけではなかった。
まずは、こんな小さなクルマに、三人も乗って参加する事に好奇の目が集まった。しかし、サービス隊を持たない日産は、壊れたら自分達で直して走らなくてはいけなかったのだ。ドライヴァー二人は日本人、もう一人はナヴィゲーターとして現地から人を雇ったのだ。
今度は、そのナヴィゲーターから疑問を投げかけられてしまった。「ラリーは軽いクルマが勝つんだ!日産は勝つ気が無いのか?」
難波は言葉の意味が分からなかった。「どうしてだ?」と聞き返すと「日産は競技だけでなく工具も売ろうとしているのか?」「このクルマには、普通の倍の工具を積んでいるではないか?6丁で良いスパナを12丁、ボックスも24駒で良いのではないか?」
もっともである、残念だが当時の日産車は、エンジン周りは「インチ」それ以外は「メートル」のネジが使われていたので、必然的に工具が二倍分必要になってしまっていたのだ。
ラリー開始の前日、監督の片山はメンバーを集めてこう言った「我々は亀である。遅くとも確実に走れば、最後にはチャンスがある!だから無理はするな!」と。
ラリーは始まった。全体としてアヴェレージは早いが、豪雨と洪水で事故が多発したラリーとなってしまった。
ラリーが進むに連れて、道端にクルマの残骸が目立つ様になった。
現地のナヴィゲーターは言った「Mr ここで止まったら、ああなるんだと・・・」切ない言葉であった。
参加台数67台で、19日間の過酷なラリーを完走したのは、何と35台になっていた。
DATSUNは二台共完走し、難波が乗った富士号が、
総合24位でクラス優勝。もう一台が殆ど最下位でスタックした富士号を他のクルマのクルーが助ける。のんびりしている。あったが、クラスでは4位と、トヨタがクラウンで二年連続で出場していながら、完走さえできなかったのに、初出場で結果が残せたのは立派と行って良いだろう。
このラリーで、日産はより多くの事を学んだ。高速走行での振動問題。電気系の水対策・・・ラリーは正に走る実験室だと。

ダットサン210型
全長3860mm 全幅1466mm 全高1535mm
ホイルベース2220mm
車両総重量 925kg
エンジン..  水冷直列4気筒OHV
排気量..   988cc
最高出力.  34ps/4400rpm
最高速度.  95km/h


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日産スカイライン プリンススカイライン ケンメリ グッツ Ken&Maryのステッカー 当時物

2013年01月28日 10時41分48秒 | 車グッツ






懐かしい日産プリンスのケンメリグッツの中からステッカーです。

<<Wikipediaより>>
C110型にモデルチェンジ。ボディバリエーションは基本の4ドアセダン、5ドアステーションワゴンの乗用車「ワゴン」と商用車「バン」、2ドアクーペの「ハードトップ」を有し、先代同様、セダンとクーペ(「ハードトップ」)にはホイールベースを延長し6気筒エンジンを搭載した2000GT系の設定がある。プラットフォームは日産・ローレル(C130型)と基本的に共通。セダンとクーペのホイールベースを同一化。
サーフィンラインのプレスラインは、ごく浅く、プレーンな面構成となっは太いCピラーを特徴とし、「ワゴン/バン」はクオーターウインドウを廃し、スポーティーさを演出した。プレスラインが見えにくい、白いボディカラーの「ハードトップ」にのみ、リアフェンダーにデカール式のピンストライプが設定されている。
搭載するエンジンはG15型をボアアップした直列4気筒OHC1600ccのG16型、タクシーや教習車用のG16LPG仕様(販売は1975年まで)、先代より継続されたOHC1800ccのG18型、およびL20型の4機種。足回りはフロントがマクファーソンストラット、リアは4気筒モデルがリーフリジッド、6気筒モデルがセミトレーリングアームとコイルスプリングの組合せである。
4ドアセダンのGT系、および「ハードトップ」の全グレードのテールランプが丸型4灯式となった。これは、以後スカイラインのアイデンティティの一つとして、10代目のR34まで受け継がれていくことになる。
この代から警察庁へパトロールカー(警らパトカー)として導入された。当時の警察の規定により、エンジンは6気筒(L20S型)、内装は血液汚れなどの手入れの楽なビニールトリムとなった専用モデルとなっている。警らパトカー仕様はR32型まで設定されている。
C110型の輸出車名は「ダットサン・240K」。その名の通りエンジンは2.4リットルのL24型が搭載されている。欧州等一部地域にはショートノーズ4気筒1800cc搭載車を「ダットサン・180K」として輸出された。
通称は、広告キャンペーン「ケンとメリーのスカイライン」から。これは、先代のC10型の時代に展開された「愛のスカイライン」キャンペーンを継承、発展させたもので、「愛のスカイライン」のキャッチコピーも引き続き使用された。内容としては、若い男女のカップルがスカイラインに乗り、日本各地を旅するというシリーズもののCMで、この二人の名がケンとメリーである。性能の高さや、レースでの栄光といった旧来のスカイラインの硬派なイメージとは異なるソフトなイメージのCMシリーズであった。
4ドアセダンはヨンメリと呼ばれる事もあるが、これは、「4(ヨン)枚(ドア)のケンメリ」の略である。




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スカイライン20周年記念春の大感謝祭 SKYLINE ORIGINAL FASHION Ken&Mary

2013年01月22日 18時54分15秒 | 車グッツ

割引券表紙
昭和52年1977年の個事です。


表紙の文言
スカイライン誕生20周年。皆様の日ごろのご愛顧に感謝してお届けする。
今回限りの企画です。
ケンとメリーのオリジナルファッションの中から、
お望みのものを、割引券で、お求めやすく。
さ、有効にご利用下さい。
有効期限 3/5,6
スカイライン誕生20周年記念感謝福引大会
参加賞



割引券中身

ケンメリのトレーナー、ネクタイピン、とかがあり、
スカイライン誕生20周年記念メダルは当時2000円でした。



割引券の裏

うれしいお知らせです。
スカイラインは、4年連続、国産自動車人気投票総合部門1位
(月間自動車誌主催)を受賞致しました。
ご声援ありがとうございます。
.......
誕生20年記念メダルをどうぞ
日展審査員の田中昭氏がスカイラインの一貫した設計と
一徹な思想に共鳴、精魂を傾けて彫り上げた栄光のメダルです。
躍進するスカイラインがまさに芸術品になりました。
直径50ミリ、厚さ6ミリというずっしりとした手応えです。
銅製で頒布価格2000円。

この金色鍍金ものものがゴールドの車体に付けられて
発売されました。



お楽しみ券

この機会に審査をどうぞ
審査をお受けの方に「ケンとメリーのスパイスセット」を差し上げます。
スケールモデル大2弾発売
スカイライン名車3代に続きR380,R383を発売中。



そのR380がこれです。









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日産スカイライン2000GT GC10 直列6気筒エンジン搭載

2013年01月20日 11時01分28秒 | ミニカー








ニッサン販売で昔、売っていた
日産プリンススカイライン2000GT直列6気筒エンジン搭載(GC10型)
アンチモンで出来たミニカーです。
このミニカーはトミカの物とかダイヤペット
大盛屋(チェリカ)、モデルペットの物より
大きく、見ごたえがあります。


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香港マカオ珠海を結ぶ港珠澳大橋の沈埋トンネル部(沈埋函)の工事がスタート

2013年01月18日 10時32分48秒 | その他





港珠澳大橋は香港、珠海、マカオをつなぐ大型海上橋で、
全長が約29.6Kmで世界最長6kmとなる沈埋工法で
作られる海底トンネル部もあります。

日本の東京湾横断道(アクアライン)と比較をすると
約2倍ですが、短期間で作成する模様です。

港珠澳大橋 Wikipedia



新潟みなとトンネルの沈埋函誘導システムで追尾式光波計を使った
日本で最初のシステムを下記会社が構築しました。
これらの実績により、
港珠澳大橋の海底トンネル(沈埋函)接合誘導システムの
構築を行いました。


GPSを使わずに大深度での構造物誘導技術で、海底50mでも
10cm以内の誘導が可能となります。
また、GPSを使った誘導システムにも実績があります。




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ニッサンプリンスが販売したアンチモニー製スカイライン2000GT 54B

2013年01月17日 10時46分27秒 | ミニカー








ニッサン販売で昔、売っていた
プリンススカイライン2000GT(54B)の
アンチモンで出来たミニカーです。
このミニカーはトミカの物とかダイヤペット
大盛屋(チェリカ)、モデルペットの物より
大きく、見ごたえがあります。
テール部の丸目2灯は、この後定番となりました。


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旧マルサンのスロットカーコースセット ブルマァク ビッグレース

2013年01月10日 09時38分54秒 | ミニカー








HOスケールでマルサンのスロットカーコースセットでビッグレースです。
マルサンは、このスロットカー部門に多額の投資をし失敗して、
怪獣物でヒットしたものの倒産に至りブルマァクに受け継がれました。
そのブルマァクも現在は、ありません。
ブルマァクは1969年(昭和44年)から1977年(昭和52年)の
期間存在していた会社なので、このビッグレースは30年以上前の
製品だと思われます。


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嫁の一言で、三菱デリカからカローラフィルダー1.5L AEROTOURER

2013年01月09日 09時35分55秒 | ブリキの車




37万Kmを走った三菱デリカスターワゴン4WDシャモニーから
何年か前に木村拓也が宣伝していたトヨタのカローラフィルダーに
乗り換えました。
「座席が高すぎで乗り降りが出来なくなった」「普通の車に乗りたい」
「中古は駄目」という上の声が聞こえ、急遽買い替えになりました。

私としては、GT-Rならスカイラインの中古でもよいとは
思っていたのですが、「普通の車に乗りたい」で断念。
色はブルーメタリック〈8T7〉になりました。

荷室が広いので、緊急時の車中泊も出来そうです。
カーメイトの「フラットマット・プレミアム」なんか良さそう。

<<乗った感想>>
ドアの内張りとか安っぽい黒のプラスティックで出来ています。
ぱっと見は良いのですが、触った感触とか温かみがありません。
良い事は、ビッツのシャーシーの拡張版のようで
小回りが効きます。
流石カローラという事で燃費は良さそうです。


<<カローラフィルダーのコンセプト>>
いちばんたいせつなのは、挑戦すること。

やめたら、そこで終わりだから。
そんなコレカラの人とともに、
新しいフィールダーは走りはじめます。

スポーティで伸びやかなスタイリング

より広く、より使いやすくなったラゲッジルーム
荷室最大幅 1,510mm
最大長(リヤシート使用時) 970mm
最大長(フラットモード時) 2,025mm
開口部最大幅 1,070mm
最大高 735mm



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