徒然なるままに〜旅行記から日々の記録〜

気ままにのんびりと思いのままに。。。

GWは風邪で始まり風邪で終わりそう…

2019-05-03 | 病気と薬
マレーシアから帰国して翌日から普通に仕事
日本も帰って来た時はちょっとムシっと蒸し暑さがあった
マレーシアで外は暑い〜
室内はクーラーで寒い〜
だったのもあり完全に風邪〜
でも世間は10連休のゴールデンウィーク
病院が休みになってしまう!
4/27夜勤明けで滑り込み病院
いつもの耳鼻科でネット予約
予約開始15秒で受付番号51番
30秒したら100番に達して受付終了
みんな長い休みの前に病院行っときたいよね
しかも寒くなりインフルエンザも流行っている
私もインフルエンザの検査してもらおうか思ったがインフル出ても嫌なのでただの診察
そしてただの風邪
1週間分の薬
なによりも診察を11:30くらいにしてもらったがまだ半分の患者さんを診ないといけない耳鼻科の先生にお疲れ様とお伝えしたい
 
私も仕事も行かねばならないので病院から帰り次の日の仕事まで14時間睡眠
鼻水と咳が止まらない
仕事にはボックスティッシュ持参
常に鼻かんでもちろん鼻痛くなる
GWの休みはBBQ予定だったがそれどころじゃない
キャンセルしておうちで休養
家で映画ばっかり見ていた
「ジュラシックワールド炎の王国」
「あゝ、荒野」
「バッド・ティーチャー」
あとはテレビのバラエティ番組
映像見るのもずっとになると疲れる
休養しているつもりだったがかなりお疲れ
 
そして風邪をひいて1週間になるが治っていない
喘息のような咳とややハスキーな声
鼻水はマシになったがまだ
やっと暖かくなったけど
そんなんで10連休の休みのおかげ?で行きたい病院にもいけない
誰が得をしているのか?
決して私ではない
この職業に就いてから正月・GW・お盆なんて休んだことがない
職業柄、文句は言えません
土日祝日に人混みに出かけるのもしんどいので
 
でもこの風邪には参った
早く治って欲しいと願うばかり

人生初!の胃カメラ体験

2019-03-19 | 病気と薬

1月末に体を壊しまして…

それからもう2ヶ月くらいになりますがやっと体調戻りました

1月末のインフルエンザもどきで食思不振

もどきでもなくほぼインフルエンザだったのに行った病院が悪かった…

私の選択ミスだけど

そこから体調戻ったと思って韓国に行きそこで一気に不調

食べたもののせいなのかタイミングなのか分からない

韓国旅行であんなに食事が入らなかったのもないなっていうくらい食べられなかった

そこからずっと不調で消化器内科受診

症状がムカつきのため逆流性食道炎だろうとのこと

でも父親が去年、胃がんで死去

叔母も今年、胃がんで死去

もう1人双子の叔母も胃がんで治療中

遺伝ではないが要素があるので胃カメラを受けたいと希望

とてもよい先生と医療スタッフ

私の予定もあり3月頭に胃カメラを受けた

前日の22時には絶食
前日は叔母の四十九日のため食事があり17時くらいに食事を終えた
そこから絶食
体調もあまりよくないので幸いお腹も空かない
胃カメラ自体も13:15からで30分前に病院に来院
朝から何も飲まず食わずだったが空腹なかったのは良かった
麻酔かけてカメラをしてくれる病院を探し苦痛なく胃カメラを受けられる
口の中の麻酔をして点滴準備
カメラ室に入ったら静脈から麻酔をしてもらい意識失う
全く苦痛なくカメラ終了
終わってから麻酔が冷めるまで20分くらい寝ていた
起きて先生の診察
胃は問題なくほんの小さな小さなよく見ないとわからないいくらいのポリープがあるけどこれはこれで放置でよいそう
やっぱり食道に少し炎症があるので逆流性食道炎でした

食生活の改善が必要と感じで検査終了

保険診療だったので4000円くらい

保険ありがとう

もっともっと高いと思っていたので助かった

このあとしばらくは胃も小さくなっていたのか食事量は少なかったけど最近は仕事んっ忙しさもあってストレスup

そのため食事量が増えている…

注意しないといけない

やっぱり体は少しずつ衰えているんだから


疑インフルエンザで廃人

2019-01-28 | 病気と薬

先週、朝起きたら喉が痛い

その前から右足の筋が痛くて病院に行くか迷っていたのでついでに行ってみた

足の痛みついては見てくれたけど喉は見てもらっていない

薬局で薬をもらう時、特に薬をもらわなかったのでしまった…と思っていたが楽観的

次の日、朝起きたらもっと喉痛い

昨日の採血結果も聞きがてらまた病院

やっぱり足のことは言うけど喉は見てくれないので「先生!」と制止してやっと風邪薬

とりあえず寝ればいいと2日休みだったので寝ていた。

水曜の夜、ふとこのだるさ「インフルエンザ?」と思った

足が痛くてロキソニンやらコカールなどの鎮痛剤飲んでいたのを忘れいた

木曜は仕事

でも病院は午前診が多いので仕事終わってからは病院開いていない

自分の病棟でインフルエンザの検査をしてもらった方がいいかなと思いしてもらうがマイナス

タイミング悪いんだろうなと思っていたがその日の夜から食欲もなく怠い

金曜日、夜中から体ゾクゾク

やっぱり耳鼻科だ!と思いまた病院

喉鼻を診てもらうと「インフルエンザぽかったね」と

え。。。

午後から仕事だけどどうしたらいいか聞くと「マスクして行っていいよ」と

診断していないから休めって言えないらしけど熱ありますよ…

病院から帰って仕事行くまで寝るが怠い

なんせこの日は人がいないので休めない

これがインフルエンザなら休めるが

患者さんのところに行くのは最低限にと言われてもやっぱり行かないといけないじゃん

這いつくばって仕事をしていた

翌日の休みはお風呂以外寝ていた

そういやご飯食べてないな

雪降っていたのもしらない

結局、2日半は何も食べずポカリやジュース・お茶で過ごした

こんな食欲ないなんて…

制服が緩くなっている

でももっと痩せないといけないしこんなんで痩せても元に戻るわな

それでも仕事は休めない

仕事以外は寝ているが咳がひどくて熟睡できない

最初に行った先生を恨みたいが自分も鎮痛剤飲んでいたこと忘れていたからなんとも言えない…


私にできることは何なんだろう

2019-01-15 | 病気と薬

3連休何しよう?

1日、名古屋で用事があるのでそのまま家のことをやるために3日とも名古屋にいようかと思っていた

そんな矢先

母親の姉の病態が悪いと一報

小さい時からお世話になっていた叔母

父親と同じ胃癌で療養していたのも知っていた

去年、治療はもうやめたと聞いていたので近いうちに会っておいた方がいいと思っていた

しかし父のこともあり連絡がないのでそのままになっていたら悪いと知らせが入りすぐに向かった

すっかり痩せてしまい私の知っている叔母の姿がほとんどなかった

点滴・麻薬・バルーン・NGチューブなど入って褥瘡もできている

何か私にできることあったんじゃないかと思ったけど何もできない

声かけと今できること少しだけ

本当に1〜2日くらいと思っていたがエコモードで頑張ってくれていた

名古屋で用事を済ませた後もなんとなくモヤっとした気分だったのでそのまま家を通り越して大阪に向かい会いに行った

反応が乏しくなり血圧も下がっている

遅い面会時間だったので30分くらいで帰り翌日

母親が先に向かい私も遅れて行く

病院に着く200m手前で母親から「今、亡くなりました」のメッセージ

あと少しが間に合わなかった…

とても残念な気持ち

本当のお世話になった叔母だったからもっとお返しできたらよかったと言うのが後悔

ただよかったのは3連休だったこと

まだ明日の葬儀は休み

なのでお手伝い含め参列できる

5人姉妹の1人がいなくなりやっぱり淋しい

でもいつか全ての人が迎えることなんだよ


緩和ケアで働く人は家族を犠牲にしてもいいのか

2018-10-16 | 病気と薬

2018年9月27日

私ごとでありますが父が亡くなりました

71歳

私はまだ若いと思う

偶然なのか必然なのか私は昨年から部署異動で緩和ケア病棟に配属されている

配属された3週間後に父親の癌が見つかった

そこから闘病生活1年半

胃癌ステージ4のため治療は化学療法のみ

今、話題のオブジーボも3クールしたが副作用が強く断念

オブジーボは夢の薬と言われているが抜群に効果を示すのはほんの一握り

だからこそ夢の薬かもしれない

入退院を繰り返しながらも今年4月からは自宅からの療養が主だった

仕事も亡くなる1ヶ月前までしていた

前回、ブログを書いて数時間後には亡くなった

意識も割と最後まであったようだ

勤務の都合がつかずどうしても準夜に行かないと行けなく悪くなっているのも分かっていて仕事に向かった

次の日までは大丈夫と思いつつ

しかし午後からレベル低下だったよう

母1人でレベル低下なのか薬(安定剤)の影響なのか判断できなかったよう

母に見守られ息を引き取った

訪問看護師さん訪問医の先生やケアマネにとてもお世話になった

リース業者の方にも

本当に感謝でしかない

そして職場の人にも融通を利かせてもらい仕事を休ませてもらった

しかし看取りはできなかった

なんともやるせない思いだ

母から亡くなった連絡を受けて師長に連絡

「準夜させてごめんね。でも、家族で一緒に過ごせてよかったね」と言われた

なんかしっくりこなかった

それは私が言ったら向こうが「そうね」と言うなら納得する

だけど私はそう思っていない

緩和ケアの認定を持っている師長がいう言葉か?と耳を疑った

そして私たち緩和ケアで働く看護師は看取りが近くなったら家族を呼んで看取りをしてもらっている

しかしスタッフの看取りよりも仕事

なんか納得はいかなかった

父親が亡くなったこともそうだが母親1人で自宅看取りをさせてしまった

どんだけ不安だっただろう

そう思うと心苦しい


有賀さんには驚かされた

2018-02-05 | 病気と薬

朝起きて見たネットニュースで驚いたのが有賀さつきさんが亡くなられたこと

4年くらい前、フランスから帰るときに一緒の飛行機だった

その前に免税の手続きをしているときに有賀さんが娘さんと同じように手続きをされていた

機械でできるみたいだったけどよく分からず有賀さんも私たちに聞いてきて一緒に手続きをした思い出

綺麗だけど気さくな方

たくさん買い物をされたのか大きなスーツケース2個持っており娘さんと旅行されていたよう

しかもエコノミーに乗られていた

そんな思い出があっただけに…

お若いから余計です


歯が痛い!歯医者は苦手…

2017-06-27 | 病気と薬

実はちょいちょい半年前から歯が痛かった

でも私は歯医者が苦手

痛いとかじゃない

口の中を見られるのが嫌いだから

口は陰部以上に見られたくない

大げさに言えば究極の選択なら口を見せたくないくらい

そのため歯医者に行くのがずっと遠のいている

歯を磨くと痛い

痛く無くなる時もあるのでそのまま放置していた

しかしここ1週間は痛い範囲が広がっている

右上だけだったのが下も左も

虫歯だったら嫌だし重ーーーーーい腰を上げて歯医者に電話

今日じゃなくてもいいのに歯が痛いと言えばその日に行かせてもらえちゃうのね

怖い先生なので怒られると思いきや

歯はキレイですね〜って

拍子抜け

痛い原因は知覚過敏

そういや前もそう言われたわ

知覚過敏の原因は歯磨きもあるけどストレスで寝ている間に歯を食いしばったり歯ぎしりをするららしい

なのでストレスの原因を除去するのとよく寝ること

舌のしびれもストレスだった

私は恥ずかしいと思っている口にストレスが出てくるタイプか

確かにこのところ眠れない

寝ているけど早く起きて睡眠時間が短い

とりあえず虫歯じゃなかったのが良かったけどやっぱり口は見せたくない


父が癌になりました

2017-04-26 | 病気と薬

うちの家族はとてもややこしい家族です

私は母と一緒に暮らしているけど兄は東京

父は名古屋

私と父の仲はあまり良くなく疎遠

母と父は離婚こそしていないけど別居

3年半前に祖母が亡くなりその1周忌で会ったっきり

その前も6年くらい会っていなかった

そんな父が突然、癌の告知

4月の上旬から食べ物が食べられなくなりかかりつけの病院に行ったら胃癌

しかもステージ4

胃癌原発の内分泌癌というものすごい珍しい癌だった

もちろん肝臓・リンパ節に転移

急きょ、名古屋に行き会ってきた

癌と聞いてからの数日、苦しんでいる父の夢を見た

そんな状況よりは悪くなかったけどだいぶ痩せ黄染が出てきている姿を目の当たりにした

そんな状況で涙が出た

父親も1人で不安だったのか泣いていた

母親も一緒に行き和解

やっぱり人の命は大切だと改めて感じた

本日は父親から来て欲しいと連絡があり病院に行った

ケースワーカーとの話や主治医からの病状説明

そして父親からの頼まれごと

父は商売をしているので突然、店を閉めていることが気がかりのよう

そりゃ、そうだな

だけど今は化学療法をしているが退院しないといけない

しかも腫瘍で胃の出口がほとんど塞がっているので点滴をしないといけない

もちろん鼻からイレウスチューブも入っている

自宅に1人で帰れるのか?

本人の希望

遠くにいるとやりたくてもできないことは多々ある

自分が仕事で癌のターミナルを見てきて悲しい気持ちに何度もなった

まさか自分の家族がと、いう思い

今まさにホスピスで働き家族の思いも感じている

これは私に対する試練かもしれない


夏風邪でダウン

2016-06-12 | 病気と薬

アメリカから帰ってきてからまだ休みありません

明日がやっと休み

夜勤もあり

湿度の高い日本

疲れが出たのか風邪をひいてしまった

しんどい

鼻水出る

喉痛い

熱出ない

深夜明けどうしても行かないといけない集まりだけ参加

それから家に帰って就寝

16時から夜中の1時半まで

そのあとも30分ごろ起きていたけど2時から8時まで寝ていた

だるいけど喉の痛みは減少

夕方から仕事なんでそれだけ乗り越えたい


献血行ったら思わぬ血圧低下

2016-04-08 | 病気と薬

最近は定期的に献血に行くようにしている

海外旅行を定期的にしているので行ってから1ヶ月、首を長~くして待っている

やっと韓国から帰国して1ヶ月経過

深夜明けの献血

成分献血を予約してそのまま献血ルームへ

血小板の献血

順調に進んでいく

チョコレートも頂きテレビ見て悠々

しかし2回目の返血で針の確認

ちょっと奥に入れたら痛みが出てきた

少し腫れてきたので終了

あんまり気にしていなかったけどやや呼吸苦の出現

深呼吸するけど耳が聞こえにくくなるしボーッとしてきた

ヤバイなと自覚症状あり

さすが献血ルームにいるのは看護師さん

すかさず症状聞いてくれてイスをフラットにしてくれた

血圧は80台

献血前もいつもより低い100台

冷や汗出てくるしもう少し寝させてねと思って目を閉じる

時々、声かけてくれて症状は改善

もう一度、血圧測ると100台に回復

一応、先生の診察をしてもらう

針の穿刺部は少しだけ内出血あり

冷湿布とヒルロイドクリームを頂く

そして再び血圧測定すると80台

あれ?

そして脈は48回/分

私はどちらかというと除脈だけど自律神経のバランスが悪くなっているということで1時間の安静

思っていたより献血ルームで過ごすことになってしまった

そしてアフターケアがすごい

その後の症状を聞くのに夕方に連絡をするらしい

ありがたいくらい心配してもらっているわ

でも、自分の体が意外にデリケートって気が付いた