鳴かぬならそう云う種類のホトトギス。定期的にツイッターで浮上してくるこのネタを見掛ける度にほっこりする。松下幸之助氏の「鳴かぬならそれもまたよしホトトギス」の様な前向きな発想でヨノナカを乗り切るのは、少々荷が重い時も有る。何よりどうやってもホトトギスを鳴かせたい日本人の衝動は何処から来るのかが謎である。先方だって諸般の都合で鳴けない事情が有るのかも知れないし、気分が乗らない時も有るだろう。それをお構いなしに目の前でじっと待たれていたら非常に気まずいし、無理強いされるのは嫌だし、殺されるのは以ての外である。そこら辺の空気を察して、そっと距離を置いて欲しい。そんな相手側の心情を酌んだ気遣いが感じられるからほっこりするのだろう。胸襟を開いたり肝胆相照らしたりする人付き合いが疎まれるのは昭和世代にとっては薄情に感じられるかも知れないが、そう云う種類のホトトギスが増えているのも事実だと思うのである。