
土曜日たまたま朝、この町の中心部に用事があったので
その合間に公民館の隣、この町の氏神、新宮八幡に行ってみた。
ここは紫陽花で有名な所。
まだ咲いてるかなぁ~~~っと思って行ったのに・・・
でも、すっかり、がっかり!だった。
でも、すっかり、がっかり!だった。
花は刈り取られ、剪定も終わり、地域に人が、チェンソーで無造作に残った枝を刈り取っていた。
そこでしかたなく刈りとった木の枝を何10本かもらってきた。
それを苗木にしようと思ったあら。
それでその木を昨日植えたのだった。
もともと我が家の紫陽花のほとんどはこの新宮八幡の紫陽花の剪定枝で育てたもの。
水仙はもう目標の1万本!も見えてきたので、これからは紫陽花を増やそう!と思っているのだ。
まずは目標500本!
いえいえそんなことじゃなくて、この新宮八幡の境内のアオバズク(?)の話だったな。
一昨日の朝、たまたま近くに用があったのでついでに紫陽花を見ようと新宮八幡に寄ったのだけど、その境内で4~5人、超望遠のカメラを三脚に据えて、大きな椋木(?)の上にピントを合わせているグループがあった。
ちょっと変、ちょっと怪しげ。
はは~~~ん、どこかのカメラのグループが評判のアオバズクを撮ってるな?
・・・と思って、話を聞いたら、別にカメラのグループではなく、個人でアオバズクの雛の写真を撮ってるらしい。

そしてみんな、どうやら木の穴の中にある巣から、じっ~とじっ~と、アオバズクの雛が出てくるのを待ってるらしい。
きっとここだろうなぁ~と思ったところを写真に撮ったけど、どうもよくわからぬ。
それにこれ以上この変な(?)集団に付き合ったてられるか~、とすぐに退散したのだった。
だってねえ、動き回る被写体を撮るのは面倒なだけ。
みんなが美しい、可愛いと思う写真をとてなにが楽しい?
4~5人いた人たちはきっと同じような雛の写真を撮るんだろうね。
それがなんで楽しい?
そこにあるのは芸術ではない、技術だけだ。
最も大切なのは、何を美しいと思う、美的感覚ではないのか?
人と違ったものに美を見つける、.自分だけの美を。
それが本当の芸術ではないのか?