ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

蜘蛛の巣・水玉

2020年07月06日 03時34分43秒 | 写真
蜘蛛の巣に水玉はよく似合う。
とっても好きでついつい撮ってしまいます。





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蜘蛛の巣

2020年07月05日 20時00分32秒 | 写真

蜘蛛は好きじゃないけど、
でも蜘蛛の巣はとっても魅力的な被写体だ!
光に輝く蜘蛛の巣
水玉に輝く蜘蛛の巣
じっと見てると、別の世界に引きこまれていきそうな気がしてくる。





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てんかさん(3)

2020年07月05日 17時34分48秒 | 田舎暮らし


越部禅尼・俊成女(娘)は有名な歌人、歌の世界ではとっても恵まれた環境で育った。
だって7歳の時から(義理の)父が俊成、(義理の)兄が定家の、こんな家に育ったのだからね。
でも、家庭的には恵まれなかった。
父は「鹿ケ谷の変」に連座して官職を解かれ、母の八条院三条と離婚。
そして7歳の時、祖父の俊成に引き取られて養女となり、
それからやがて成長して結婚したのが、大納言・源通具。
この男、出世欲が人一倍強く、出世のために何度も結婚・離婚を繰り返す種類の人間。
新古今集の筆頭編者に選ばれてはいるものの、定家からしばしば撰者としての見識のなさを馬鹿にされる程度の人間。
というわけでこんな結婚生活も長続きするわけもなく、
子ども2人をつくりながらも、すぐに通ってこなくなり、自然に離婚ということになった。
さらにその上、翌年母も亡くなった。
もっとも落ち込んでいた時代だっただろうね。

その後30過ぎてから、後鳥羽院の宮中に出仕することになった。
ここから歌人として脚光を浴びる人生が始まる。
後鳥羽院は新古今集の編纂を命じた人で自らも新古今集に34種も歌を残す歌人でもある。.
後鳥羽院・俊成・定家そして陰では俊成女が中心となって新古今集が編まれたことは容易に想像できる。
そこで微妙な立場のもと夫・源通具、きっと適当に迷惑がられながらもやたら口だけは出す、そんな雰囲気がわかるような気がする。
それはまあそれとして、時は平家物語の時代。
やがて後鳥羽院は隠岐に流され、公家になった平氏も戦に敗れ、
貴族は凋落し武家の世界になっていく。
俊成女(娘)も二人の子にも先立たれて出家する。
最初は京都郊外の嵯峨で嵯峨禅尼として、やがて兵庫の播磨の西の端で越部禅尼として・・・

(続く)




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アナグマ

2020年07月04日 18時57分32秒 | 田舎暮らし

家の前の廃屋。
今から17~18年前だったか、再生できそうな家だったけど、
毎年毎年廃屋度が進み、今ではすっかり由緒正しい、正真正銘の廃屋になってしまった。
そして数年前から、アナグマの家になっている。


その隣の蔵。
笹に覆われて初めは気づかなかったけど、
笹を刈り取ると立派な蔵が現れた!
でも・・・それももう昔の話し、今ではすっかり廃墟、残骸。
さすがのアナグマも「こんなとこに住めるかぁ~~~!」とばかり住もうとしない。
里山が廃村となりやがて廃墟となっていく・・・
そんな歴史を同時に感じることができる・・・
ここはそんなところかもしれない。


これも廃墟?
いえいえここは隣の我が家だよ。
ちゃんとここで暮らしていますよ~~~!
ちゃんとここで生きていますよ~~~!
正面は離れ、左に母屋があります。


今、家の前には紫陽花が咲いています。


家の周りを紫陽花で囲まれたいなぁ~と思っています。
紫陽花って、とってもしっとり、とっても落ち着くよね。
西行は桜の下で死にたいと言ったけど、
このぐうたら百姓は紫陽花に囲まれて死にたいな。


そういえばクチナシも咲いてるな。
こんな甘い甘い香り囲まれて死にたいな・・・

・・・いえいえそんなそんな話じゃない。
アナグマの話だった。
きょうたまたま庭でアナグマに出くわした。
親アナグマ1匹と子アナグマ3匹に。
いかん!この不法侵入者を排除すべくまずは証拠写真を撮らねば!
このままほっといたら尖閣を、尖閣を盗もうとしている中国のように、アナグマの思うつぼ!
ここは(日本政府と違って)断固とした態度を示さねばならぬ。
というわけでカメラを取りに行って帰ってきたら、もういなかった。
うむ、卑怯な奴め!!

そこで今日のシメ!
ーーーーーーーーーーーーーー
親アナグマの上に子アナグマのせて、
小アナグマの上に孫アナグマのせて、
孫アナグマの上にひ孫アナグマのせて、
親アナグマこけたら、子アナグマ、孫アナグマ、ひ孫アナグマ、
みなこけた!
ーーーーーーーーーーーーーー
これを早口で3回言ってください!!
これが今日のシメです。
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てんかさん(2)

2020年07月02日 17時12分03秒 | 田舎暮らし
「てんかさん」・・・って何?誰?
てんか・・・とは藤原定家の「ていか」からきているという。
あの新古今集や百人一首の編者「藤原定家」から。
これって藤原定家のお墓?なんでこんな播磨のはずれの片田舎に?
そう、もちろんここは定家のお墓ではなく、定家に縁のある人のお墓。
そして、いつしか「てんかさん」と呼ばれるようになった。

ここの地名は越部。
新古今集に詳しい人ならばそろそろ「はは~ん」と思うだろうね。
そう、昔ここに越部禅尼という人が住み、そして亡くなった。

越部禅尼とはもちろん出家後の名前で、藤原俊成の孫、藤原定家の姪として生まれた。
実父は藤原盛頼。実母は藤原俊成の娘、八条院三条。
7歳のころ、父は「鹿ケ谷の変」に連座して官職を解かれ、八条院三条と離婚。
(平家物語の世界だ)
そこで祖父に引きとられて、養女と~「俊成女(娘)」~となった。
そしてもともと利発なうえ、歌人一家の中で育ったのだから、
新古今集の時代、「当代随一の女流歌人」とたたえられるまでになった。
そして、新古今集では「皇太宮大夫俊成女」の名前でとっても新古今風な妖艶、繊細な歌を29首残している。

しかしまあ、いつものようにそろそろ酔ってきた。
新古今の世界、酔う艶の世界に入ってきたね。
この世は夢か現か、酔いか素面か・・・
うぃぃ~~~
続きは明日。

(続く)
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てんかさん(1)

2020年07月01日 17時48分21秒 | 田舎暮らし
今住んでるこの町に「てんかさん」という史跡がある。
今まで行きたいなぁ~と思いながらも、
しょっちゅう車で近くを通っているものの、
いつでもその気になったら、いつでもいける、なんて思って、
それに車で行きにくいところにあるので、
今までなんとなくパスしてきた。

そして今日ようやく決心して、思い切って行った!
途中から狭い狭い道になる。
普通車では絶対無理!
軽でも・・・轍の跡があるので通る人はいるのだろうけど・・・
何とか軽で、あちこちこすりながら・・・
途中で、やっぱりやぁ~めた!
車を変なところで停めて、あとは歩いた。
別にそんな遠い所ではない。
きっと車をあきらめた所から、普通に歩くと5分くらいで着いただろう・・・
途中、この道でいいのかなぁ~
戻った方がいいのかなぁ~
戻ろうかなぁ~
なんて不安や悩みがなかったら大した距離ではない。
というわけでなんとかついた「てんかさん」に

(続く)



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