雨の夜と下弦の月

毎日を静かに、穏やかに生きていきたいと思う日々。
そのわりにはジタバタと暮らすワタクシの毎日を綴っております。

事実はひとつ考え方はふたつ。

2011-09-03 15:04:47 | books&magazine
今回の台風は、何故こんなにスピードは遅いのだろうと思いながら、ウェザーニュースのサイトを時々チェックしております。ワタクシの住んでいる地域では風が多少強いだけで、お天気自体はそれほど崩れてはいませんが、四国・中国地方を中心とした暴風域にお住まいの方々は、大変な思いをしていらっしゃることと思います。亡くなられた方やけがをされた方もいらっしゃるとのこと。自然が牙をむくのは本当に恐ろしいことだと、こういう情報を聞くたびに思います。人間のほうが、もう少し謙虚にならないといけない時期にきているのかもしれないと思う次第です。ともあれ、この台風が一刻も早く消滅することを願っております。この土・日は天気も荒れるから家に引きこもっていようと思い、朝から本を読んでいました。ここのところ積読状態にしてしまった本がかなりあるので、しばらくは不自由しないと思います。

和田裕美さんという方がお書きになった「人生を好転させる『新・陽転思考』」という本を読了しました。この手の自己啓発書って普段は敬遠しているのですが、友人に薦められて、なかなか面白そうだと思ったのでAmazonで入手しました。サブタイトルに「事実はひとつ 考え方はふたつ」とあるとおり、起こってしまった悲しい出来事や辛い出来事は事実として受け止めるしかないけれど、その事実をどう捉えるかによって人生をいい方に転がしていくことは可能だ…という趣旨の本です。昔、学生時代の友人から「日本一のペシミスト」という、ありがたくも何ともない称号をいただいてしまうぐらい、物事を悲観的にしか捉えられなかったワタクシですが、この本はわりとすんなり受け入れることができました。考え方はふたつというシンプルさが、ワタクシのような単細胞には理解しやすかったのかもしれません。

この「新・陽転思考」は、いわゆるポジティブ・シンキングの啓蒙書ではありません。ネガティブな事実もいったん受け入れて、そこからプラスのタネを探していこうという趣旨で書かれています。そこが、昔「ネガティブ・シンキングで何が悪い!」と開き直った経験のあるワタクシの心でも受け入れることができた最大の要因かもしれません。最初は意識しないとなかなか実践できないとは思いますが、焦らずに自分の身に沁み込ませていければいいなと思います。

小林秀雄からの解放(?)。

2011-08-28 14:30:57 | books&magazine
今日の東京は、久しぶり(といっても3,4日ぶりなんですけど)にいいお天気になりました。友人から薦められた本をAmazonで注文していたのですが、ようやく入手できたので、例によってTully'sに持っていってランチかたがた読み始めました。ワタクシは根が天邪鬼なせいか、いわゆる「ハウツーもの」の本って、ほとんど読んだことがありません。本を読んで人生が楽しくなるなら苦労はない…ぐらいに思っているかもしれません。でも、今回は薦めてくれた友人の言葉を信じて読んでみようと思いました。和田裕美さんという方が書かれた「人生を好転させる『新・陽転思考』」という本です。まだ、半分ぐらいしか読んでいないので、読み終わったら感想などを書いてみたいと思います。久しぶりにお茶の水女子大学名誉教授土屋賢二センセイのご本以外の本を読む気になって、個人的にはめでたいことです。

そろそろ小林秀雄の祟り(?)から解放されつつあるようです。文化勲章を受章されている雲上人の文芸評論家に祟られるような悪いことをした覚えはなかったのですが、橋本治センセイがお書きになった「小林秀雄の恵み」を読了して3か月余り、活字を見ると頭痛がしておりました。唯一、読んでも拒否反応が起こらなかったのが土屋賢二センセイのエッセイ集だったため、3か月ぐらい、昔のエッセイ集まで引っ張り出して再読していたのです。この馬鹿に祟っていても仕方ない…と小林秀雄が思ったのかどうかは分かりませんが、ようやく、他の本を読んでみようかという気になってきました。ところで、先日、橋本治センセイが難病で入院なさっているという話を聞いて、少なからずショックを受けてしまいました。確かに、すでに還暦を過ぎていらっしゃるので、病気の一つや二つはあっても不思議はないですが。

若い頃からリアルタイムで追いかけてきた作家やミュージシャンがそろそろ還暦を過ぎるという事実は、確かにそれはその通りかもしれないけど、あまり信じたくないというビミョーな気持ちになります。ワタクシが追いかけてきた方々というのは、村上春樹や橋本治や小田和正といった、バリバリ団塊の世代の方が多いのです。それを認めると、おのれが年を取ったという事実も認めなければならなくなります。それは、生きている以上仕方のないことではあるんですけどね。

小林秀雄の祟り(?)。

2011-08-20 15:31:04 | books&magazine
今日の東京は、昨日ほど極端ではないけれどかなり過ごしやすい1日になっています。お昼前にランチしながら本を読もうと思って、自宅アパートから徒歩3分のTully'sに出かけたのですが、まだ8月も下旬に入ったばかりだというのに、思わずホットジンジャーミルクティーを頼んでしまいました。普段のワタクシは、冷たいものの摂り過ぎはよくないという天の声よりも暑さに負けて、この時期ならコールドドリンクをオーダーしております。先週までは、Tully'sでもアイスジンジャーミルクティーを飲んでいました。ジンジャー入りの飲み物だから身体の中は温まるもんね…とおのれに言い訳をしつつ、ではありますが。ところが、今日は温かい飲み物のほうがおのれの皮膚感覚に合っておりました。自分でもかなり不思議な感じがしたのですが、温かい飲み物を飲んでも汗もかかないのです。まだ、8月だというのに。

読んでいたのは、相変わらずお茶の水女子大学名誉教授の土屋賢二センセイのエッセイ集です。「ツチヤの貧格」を再読しておりました。ひょっとしたら、年内いっぱいぐらいは「小林秀雄の恵み」後遺症から抜け出せないのかもしれないと思うと、「恵み」というよりは「祟り」なのではないかと思い始めております。ちょっとでも難しいと思われる評論などは、溶けたり固まったりの繰り返しに忙しいワタクシの脳が、一切受け付けようとしないのです。小説でも、自分の頭で考えることを要求するような作品(村上春樹の作品群などは代表例)を読もうとすると頭が痛くなりそうです。これが橋本治センセイの狙いだったとは思いませんが、本を1冊読んで、そのリハビリをしなければならない作品というのは、ワタクシの経験ではこの「小林秀雄の恵み」だけだと思います。今まで、簡単な本しか読んでいなかった証拠ですが。

それでも、昔は高橋和己の「邪宗門」とかに喰らいついて、何とか読んでいた記憶があります。20年ぐらい前までは、難しい本を読めた時代もあったということなのです。…ということは、これも老化現象の一種でしょうか。当時は、活字を頭が受け付けないなどという日が来るとは、自分でも思っていませんでした。そう考えると、何だか背筋が凍りそうになってきます。早く「祟り」から解放していただきたいものです。

「貧相ですが、何か?」再読中。

2011-08-06 14:32:08 | books&magazine
東京は、ようやく夏本来の暑さが戻ってきました。お昼にTully'sでアイスジンジャーミルクティーとフォカッチャでランチしながら、土屋賢二センセイの「貧相ですが、何か?」を再読しておりました。あまり難しい本は、暑さと老化で溶けかかっているワタクシの脳では消化しきれないので、最近はもっぱら土屋センセイのエッセイを読んでおります。国立大学の哲学科教授というと、いつも眉間にしわを寄せて難しいことを考えているイメージがありますが、実際はともかく、このエッセイ集の中の土屋センセイは、ご自分がいかに妻や助手、学生、同僚の女性教官等に虐げられているかを切々と訴えられておられます。ジャズピアニスト界の貴公子になることを断念する前に、ご自分が死んでしまうのではないかと憂いてもいらっしゃいます。ちなみに、漫画家の柴門ふみさんは土屋センセイの教え子なのだそうです。

先生は、ご自分の虐げられた生活に反論することもなく(というか、反論しても勝ち目はないらしい)、いかに中年女が恐いものかを綴っておられます。ワタクシもどっぷり中年女なので、読んでいて思わず笑ってしまうこともありますが、先生の周囲の女性の皆さまがこれをお読みになって、よくクレームがつかないものだとミョーに感心してしまいます。おそらくは、9割ぐらいデフォルメされていると思われるので、書かれても自分のことだと気がつかない場合もあるだろうし、特に、奥さまに関する記述は土屋センセイのネタだったりもするのだろうと推察しております。お茶の水女子大学を無事退官されて、今はお茶の水女子大学名誉教授という肩書のセンセイですが、雑誌で人生相談も始められたそうです。哲学など自分とは全然縁のない世界ですが、一連のエッセイ集で、哲学がちょっと身近なものになりました。

「貧相ですが、何か?」は、センセイがお茶大文教育学部長だったころから、学部長の座を退かれるぐらいの時期のことが書かれております。学長を筆頭とする大物女性幹部と、副学長以下の小物男性幹部という色分けがされていて、さすがに国立の女子大学だなと思いました。ワタクシは共学の学校に通っていたので、学生は全部女子という環境は結構な違和感があるのですが、この本を読むと、大多数の女性に囲まれている男性もいろいろ大変なのだと同情してしまうのです。

解説文は村上春樹。

2011-07-23 15:24:57 | books&magazine
東京は、今日も思ったほど気温が上がっていないので、SPF50・PA+++の日焼け止めを塗って外に出たのですが、ちょっとやり過ぎだったかもしれません。相変わらず、自宅でも空調も扇風機もつけずに過ごしております。今日は、Tully'sでランチ代わりにソフトフランス・アジアンシュリンプとアイスハニーミルクラテを片手に本を読んでおりました。お昼を過ぎるとTully'sには近郷近在の人々が集まってくるので、11:30ぐらいに行くのがワタクシ的にはベストタイムです。アジアンシュリンプはそれほど期待していなかったのだけど、結構美味しかったので、軽食にはいいなと思いました。普通のサンドイッチと違って温めてくれるので、アイスラテを飲みながらでも身体が冷えることがありません。最近は「小林秀雄の恵み」の後遺症が酷くて、また土屋賢二センセイなどの軽い読み物中心の読書生活です。

カフェに入って文庫本を持っていないと、手持ち無沙汰だと思うのはワタクシだけでしょうか?そんなに頻繁にケータイのメールチェックをするわけでもないので、意外と何もすることがありません。もちろん、注文したものを食べたり飲んだりはしますが、合い間の時間にやることがないと、何となく不安になってしまいます。貧乏性の性格が災いしているのかもしれませんが。なので、バッグの中にはオンでもオフでもテキトーな文庫本を常駐させております。今日は、そのあとに本屋に寄って、高橋秀実の「からくり民主主義」を買ってきました。高橋克実と錯覚しそうですが、ノンフィクション作家です。ってか、解説文を村上春樹が書いたことは知っていたので、そっちにつられて(?)以前から読んでみようかなと目論んではおりました。まだ、全く読んでいませんが、読了したら報告します。

本当は、今日、有楽町に遠征して髪を切ろうかとかなり悩んだのですが、カラーリングした色が意外に落ちていないので、もう少し我慢することにしました。シャンプー・コンディショナーをザ・ボディショップの「レインフォレスト」シリーズに変えたのがよかったようです。一応、化学的なものは極力排しているというのがウリで、泡立ちがよくないわりには髪がパサつかないし、色も落ちません。人によって合う・合わないはある代物ですが、ワタクシの髪には合っている模様。カラーリングの色落ちが少ないというのは、ワタクシ的には結構得点が高いのです。

「ツチヤの貧格」読了。

2011-06-13 19:50:28 | books&magazine
「小林秀雄の恵み」に2か月以上の時間を費やし、挙句の果てには何一つ理解できていないことだけが理解できました。それで、もう少し柔らかい本を読もうと思い、金曜日のカイロプラクティックの予約時間までの時間つぶしかたがた、カフェでお茶しながら土屋賢二センセイの「ツチヤの貧格」(誤字ではありません)を読み始めました。読み始めてから失敗に気がついたのですが、土屋センセイの本を人前で読んでいると、本を読みながら笑っている不気味な人になってしまうのでした。週刊文春に掲載されているエッセイをまとめて、年に1回ぐらいの割合で単行本化し、それが2年遅れぐらいで文庫本になります。昨年、無事(?)にお茶の水女子大学を退官され、現在はお茶大の名誉教授になられた土屋センセイですが、このエッセイを書いている時点ではまだお茶大教授でいらっしゃいます。

国立大学の教授というといかめしいイメージがありますが、本来の哲学研究者としての姿はともかく、このエッセイ上の土屋センセイの貧相さは抱腹絶倒ものです。妻を恐れ、助手を恐れ、学生にも犬にも馬鹿にされているとお書きになっています。この本の中で一番おかしかったのは「犬はクーンと泣くだけで労わられるが、自分は泣いても労わられることはない」というくだりです。確かに、全国のおぢさんたちの中にはそういって嘆いている人は多いのかもしれないと思うと、余計笑えてきます。「わたしはヨレヨレになって歩いているのに、犬は乳母車に乗って涼しい顔をしている」とか。見方を変えれば、昨今のペットブームに対する土屋センセイ的批判ともとれますが、それは後づけの理屈であって、読んでいる最中は犬と自分を比べて嘆いておられる土屋センセイの貧相さがとにかく面白いのです。

「小林秀雄の恵み」に2か月以上苦しみ続けたので、「ツチヤの貧格」でリハビリさせていただいた気分です。ちなみに、カフェで時々笑いながら読み、帰宅して涙を流して笑いながら読んでも、都合2時間ぐらいで読了してしまいました。貧格という言葉とは裏腹に、笑いながら読んでいてもいろいろと考えることの多い本でした。できれば人前ではなく、自分の部屋でお読みいただくことをお勧めします。

「小林秀雄の恵み」読了。

2011-05-27 22:47:25 | books&magazine
2か月半近くかけて、ようやく「小林秀雄の恵み」を読了しました。文庫本で500ページちょっとなので、普段のワタクシなら2日もあれば読んでしまえるような量なのですが、柔らかいものしか食べなくなった現代の日本人と同じで自分に理解できるような本ばかり読んでいたことの証拠でもあります。こういう歯応えがあってよく噛まないと消化できないような本もたまには読んでおかないと、顎ではなくて脳がどんどん退化していきそうな気もします。読み終えて理解できたのは「物のあはれ」とは心が動くということで、小林秀雄を代表とする近代のインテリ層はそのことに重きを置かなかったらしいということだけです。これでは読書感想文も書けないですけど。あまりにも理解できなくて橋本治センセイの罠にまんまとはまったのが悔しいので、明日からもう一度読み直そうと思っております。

ワタクシは、基本的には一度読んだ本は理解できているか否かを問わず、再読することは滅多にありません。読んだら読みっぱなしで文庫本が部屋中に積み重なっています。その中で村上春樹と橋本治は例外中の例外とでもいえばいいのでしょうか、するめのように何回も噛んで味わいたい本が多いのです。ワタクシの人生に影響を及ぼした作家を挙げろと言われると、まずはこの二人は当選確実ということになります。意外と言えば意外なのですが、お二人はほぼ同年代で、いわゆる団塊の世代真っ只中に生まれています。両極を走っているような二人ですが、ワタクシの中ではどちらが欠けても不安定になるような気がします。若い頃からほぼオンタイムで作品を読んできたということもあり、二人とも還暦を過ぎていらっしゃいますが、ちょっと年上の先輩という感じで今日に至ります。

「小林秀雄の恵み」を読んで小林秀雄の書いたものが読みたくなるかと言えば、頭の悪いワタクシには敷居が高すぎてより一層読む気が無くなったというのが正直なところです。それは作家の意図に反しているのかもしれませんが、この本の中では「考えるヒント」は提示するからそれをどうするかは読者次第なのだとも書かれています。頭の悪い人間が、理解するためにもう一度読み直すのも自由だということだと解釈しているのですが。


だから読書はやめられない。

2011-05-21 15:00:28 | books&magazine
実はワタクシ、未だに橋本治センセイの「小林秀雄の恵み」を読了できないままになっております。自分でも、読了するのにこんなに時間がかかる本は珍しいかもしれないと思いつつ、さりとて放り出すのも悔しいので、暇を見つけては牛歩のような歩みで読み進めております。9割ぐらいは読んだのですが、理解できているのはそのうちの1割ぐらいかもしれません。おのれの頭の悪さを呪いつつも、悪路を行くバスの乗客気分を延々と味わっているわけです。これを読了しないことには、その後に買った海堂尊「極北クレイマー」や石田衣良「逝年」は文字どおりの積読状態のままで放り出されているのです。「逝年」などは3時間もあれば読了できるとは思うのですが、「小林秀雄の恵み」にケリをつけないと、何となく橋本センセイに敗北したようで落ち着かないのです。そもそも闘っているわけではありませんが。

「小林秀雄の恵み」の後には、ペーパーバックなので持ち運ぶのが面倒だという理由だけで途中で放り出したままの、村上春樹「雑文集」もあります。積読状況に置かれる可愛そうな本をあまり増やしたくはないのでなるべく本屋さんには近寄らないようにしているのですが、たまにふらっと立ち寄ると文庫の新刊が出ており、とりあえず買ってしまうというのはワタクシの悪癖でもあります。先日お亡くなりになられた児玉清さんは、家じゅうが本だらけになるぐらいの読書家でもありました。もちろん、児玉さんとおのれを比べられるわけではありませんが、ワタクシの自宅の狭いアパートの中にも、そこらじゅうに文庫本が転がっております。大半は読了しているにも拘らず本だけは絶対に捨てられないワタクシの性分により、次の引っ越しの時に実家に送り込まれることになるはずの本たちではあります。

とにかく、橋本センセイの策略(?)にまんまと引っかかって七転八倒している昨今。本を読むのにこんなに根性を入れたのは、30年以上前に大学の友人に馬鹿にされて悔しくて読み始めた埴谷雄高の「死霊」以来かもしれません。「死霊」は、結局最後まで何が何だか分からなかったな…などと当時を思い起こして懐かしくもなります。だから、読書はやめられないわけですね。

「小林秀雄の恵み」の恵み。

2011-05-07 16:44:15 | books&magazine
今朝、用事があってちょっと出かけたのですが、タイミングが悪くて家を出る頃から雨が降ってきました。用事が済んでカフェでブランチのパンケーキを食べながら本を読んでいる間もずっと雨が降り続いておりました。震災直前ぐらいに買った橋本治センセイの「小林秀雄の恵み」という本を1か月以上かけてぼちぼち読んでいるところです。一体いつになったら読了するのか、ひょっとしたらこのまま放り出すのではないかという危機感を持ちながら、本当に牛歩のような歩みで読んでおります。小林秀雄自体が分かっていない人間に対する、橋本センセイによる小林秀雄入門書のような位置づけだとは思うのですが、これが非常に難しい。何とか読了したとしても、結局もう一度読み直さないと何が何だか分からないだろうなと思いながら、1か月近く悪戦苦闘しているわけです。

この本の中で、橋本センセイが「小林秀雄の『本居宣長』を読んでいると悪路を行くバスの乗客になった気分だ」と書いておられるのですが、ワタクシのように頭が悪い人間にとっては、この「小林秀雄の恵み」も、十分に悪路を行くバスの乗客になった気分にしていただけます。東大文学部国文学科をご卒業の橋本センセイの文章は、センセイ独特の言い回しが多いと思うのですが、それでもこんなに頭の中に入ってきづらい文章は初めてのような気もします。「三島由紀夫とはなにものだったのか」にしても、その他の橋本センセイの評論集にしても、こんなに難解だと思ったことはないかもしれません。小林秀雄が難解なのか本居宣長が難解なのか、とにかく日本語としては読めるけど意味が全く分からないといった状況が続いております。あるいは、単に年のせいかもしれませんが。

とにかく最後まで読んでから、改めてもう一度読み直そうと思うのは、ワタクシにしてはヒジョーに珍しいことではあります。それこそが「小林秀雄の恵み」の恵みなのかもしれませんが。

理解できない日本語。

2011-03-06 14:32:04 | books&magazine
明日からまた仕事だという現実がそろそろ肩にのしかかってきはじめる日曜日の14:30過ぎ、今日も東京は暑いぐらいの陽気になりました。ヒートテックのTシャツとフリースのジャケットで買い物に出たら、暑くて汗をかいてしまいました。しばらく(と言っても2週間ぐらいですが)本屋さんに行っていない間に、海堂尊の「極北クレイマー」と橋本治の「小林秀雄の恵み」が文庫本のコーナーに平積みされていたので、とりあえず買ってきました。そろそろ橋本治センセイ独特の癖のある文章が読みたいなぁと思っていたところだったので、結構いいタイミングで入手できました。海堂センセイのほうは、カイロプラクティックの予約時間まで時間つぶしにお茶するときに読むのにちょうどいい具合に上・下巻に分かれております。しばらくお茶するときに手持無沙汰だったので、これもラッキーでした。

昨年、知人に「教養として小林秀雄ぐらいは読んでおけ」と言われ、「無常といふ事・モーツァルト」を読み始めたのですが、ワタクシの苦手とする旧仮名遣いで、内容がワタクシのしわのない脳みそにとってはとても難解だったので、途中で挫折したままになっていました。書いてあること自体はそれほど難解ではないのかもしれませんが、普段、ミステリーなどしか読まなくなったワタクシの脳内では「小林秀雄=高尚で難しい」というイメージが出来上がってしまっているため、日本語を日本語として理解することができないわけです。もっとも、ワタクシの場合、橋本センセイの「三島由紀夫とはなにものだったのか」を読んで三島を理解した気分になり、肝心の「豊饒の海」全4巻には全く手がついていません。今回も同じようなことになりそうな気もしないではなく。

ちなみに、村上春樹の「雑文集」も途中まで読んで、カフェに行くとき用のバッグの中にしまい込んだままです。海堂センセイはスラスラ読んでしまいと思うのですが、あとの2冊は読了がいつになるのか、全く謎のままです。