何でもない日々

優しさの素は幸せ
幸せの素は楽しい
楽しく生きる人は優しい

恋人の時代

2020-09-01 15:23:34 | 詩はあいまいな哲学
カエルの子供はカエルとか
鳶が鷹を産む等というが、感性の形式としてあるのは
子供は時代に生まれ、忘れられないドラマは自由な原因によってである。

全てを言わなければという思いが表現を台無しにする例もある。
ダラダラと切れ目なしに続く会話によって満たされるのは下らなさで、
下らなさとは空虚が怖いからという判断を下して、
立ち止まって考えなおしたりしない状態のことだ。

原因も目的も
自身の憐憫から他者の軽蔑にへと導いた先には
悲しみや怒りで精神を混乱させられ、
善良な肉体まで損なうよう責められる。

私が空中楼閣(心の隙間を埋めるものや繕うもの)を想像するなら
幾らでも喜びと楽しみを創り出させるだろう。
我々の心を動かすのに原因というものは要らない。
感動の実態や主体になるとは、運動の意味を受け入れ、与えること。

思考の表現体は行動と両立し閃きと轟く軍鼓の響きが
彼らの血管の中に新しい激情を注ぎ込んでいく。

崇拝に勝る崇拝を理解するには
望む限りに
行動者の夢想は現実での表情を呼び起こさせて
如何に手足や声の激動が興奮を呼び起こし
表現者は私を道連れにして
共に形象の秘密を豊かにする目的のことだろう。

我々人間以外に、
心が夢想や空虚に養われ支配されるものが他にあるのだろうか。


ポルノグラフィティ(PornoGraffitti) Century Lovers


コメント
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