ミコちゃんの徒然日記

日々の雑感など

古暦

2007年12月12日 | Weblog
古暦平成いよよ二十年

 平成の世も早いもので、二十年が近づいて来た。

古暦は勿論、十九年の暦のことであるが、今月12月は

最後の一枚で、軽いカレンダーが各部屋にぶら下がっている。

何だか寂しい気がしているのは、ミコちゃんの歳のせいかな?

ところで今日、年末恒例の「今年の漢字一字」が発表された。

全国からの応募9万通の中から「偽」が1位、「食」が2位、

「嘘」が3位だった。食品の偽装表示、偽の賞味期限や偽の原材料と、

消費者を欺く企業の利益最優先主義に、1年が大揺れした年だった。

あとミコちゃん的には、「温暖化」で地球環境を悪化させているので、

「温」の字が頭に浮かんだ。「どげんかせんといかん!」からだ。


レジ台にサンタ

2007年12月12日 | Weblog
トナカイもサンタの降りぬレジ台に

 デザインが素敵で綺麗なローソクが手に入る時代ですね。

ミコちゃんはローソクで出来たサンタクロースやトナカイ、モミの木などを

レジ台に飾って、クリスマスムードを楽しんでいます。

大きなツリーは5年ほど前から、箱に入ったままとなっている。

出番を待っているかも知れないけれど。

あと、ドアの近くにリースを飾り、夜用に電球のイルミネーションの付いた

小さな白いツリーを、窓辺に置いて前を通る人に、ちょっぴりアピールしています。

慈雨来たり

2007年12月11日 | Weblog
竈猫夜来の慈雨に深眠り

 今朝は久し振りの雨となった。

雨が降らなくて、1級河川の高梁川もついに中洲が

見え始めてしまっていると、夫や息子が言っていたっけ、

これで少しは解消出来たかもしれない。

雨が当たり前に降ってくれないと、植物も動物も皆困るのである。

だから、待ち焦がれた雨は慈雨なのだ。

ところで、猫も人間も眠りに着く前は、「お祈り」ですネ。

冬の蝶

2007年12月10日 | Weblog
高きには飛翔せぬかに冬の蝶

ゆふらりと無風に佇てり銀芒

発着の列車横目に冬の蝶

 銀色の穂芒は青空に映えて綺麗だな。

下り列車を待っていたら、隣接の苅田に紋白蝶が

1匹地面近くをひらひらと飛んでいた。

ベンチに腰掛けると無風でもあり、

日差しでぽかぽかと背中が温かい、冬うららとは今日のような日のことだ。

落葉掻き

2007年12月07日 | Weblog
落葉掻き三日も続く寺の道

 今日「主人について毎日落葉掻きをして、草臥れたわ~」と友人が言った。

菜園やお花の土作り用に毎年されていて、夫唱婦随だなと思った。

なかなか厳しい戸外での初冬の行事である。


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画像は倉敷川の白鳥で、来たばかりなのでまだ名前も付いていない、新婚さん。

夫が撮ったのだが、「紅葉の赤」と「白鳥の白」がくっきりと綺麗だ。

月の姫

2007年12月07日 | Weblog
冬銀河月の姫ならお散歩に

 冬は夜空の星があまりに綺麗なので一句。

一昨日の夜中、午前2時ごろだったろうか、

目が覚めて玄関前から夜空を仰いだら、星がきらきら

出揃ったように一杯輝いていたので、こんなに綺麗に見えるなんて、

まるで、県北か、信州か、何処かに行って見ているような

気がした。「冬銀河」だなぁ、ジャンプして手を思い切り

伸ばしたくなるほどの距離にあるなぁ。


以前私がお世話になった女流俳人Tさんのお嬢さんは、

私くらいの年齢だったが、癌で10年ほど前の秋に亡くなられてしまい、

Tさんはその夏に、治療を兼ねて長野県の有明方面まで親子で

静養に行かれたそうで、その時のお話をお聴きしたけれど、

夜二人で毛布に包まって、降って来そうなほど美しい星空を見つめながら、

いろいろと想いを伝え合ったり、励まし合ったりしたそうである。

その美しいお嬢さんは、まるで月のお姫様のようで、仕方なく急遽

月へ帰って行かれたような、そんな気がする。

きっと月の姫はお散歩に不自由は無いだろう、

星から星へと自由に飛ぶことが出来て。






光知子さん

2007年12月04日 | Weblog
かさこそと落葉舞ふ日や光知子の訃 


 『ミミさん、さようなら、木原光知子さんを送る会 』が
昨日の12月3日岡山シンフォニーホールに1500名が参列して、
行なわれました。
                  
今日のこのページに哀悼の意を込めて一句載せます。     
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【以下はテレビや新聞などで目にしたものです】

 1964年東京五輪水泳代表でタレントとしても活躍され、去る10月18日に59歳で急逝した木原光知子さん。岡山県スポーツ界など郷土発展に情熱を注いだ木原さんに最後の別れを告げたということでした。

 また、岡山県や山陽学園の感謝状が祭壇に飾られ、参列者全員で黙とう。石井正弘知事、牧脩弘・県水連終身名誉会長らが「ミミさんの水泳への熱い思いを引き継ぐ。空から見守ってください」などとお別れの言葉を述べられていました。


木原さんの母校・岡山山陽女高の生徒らが追悼歌、学園歌をささげ、実行委代表らが献花。木原さんの母綾子さん(89)が「光知子のために集まっていただき、ありがとうございました。ありがたく言葉になりません」と謝辞を述べておられたのが、印象的でした。

 式典では東京五輪や岡山国体で活躍する木原さんの映像がスクリーンに映され、岡山パリ祭で木原さん自身が歌ったシャンソンが流れる中、参列者は祭壇に花を手向け、冥福を祈ったそうです。

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「岡山パリ祭」には、2003年と2004年の二度夫婦で   
シンフォニーホールへ聴きに行きましたが、光知子さんの
素晴しい司会で笑いに包まれ、また光知子さんの堂々たるシャンソンの
歌いっぷりに遅いながら大フアンになったミコちゃんでした。
素敵な光知子さん、安らかに・・・そしてありがとう。




祖国

2007年12月03日 | Weblog
あの波を超へて祖国へ冬の雲

 国道9号線は、京都、兵庫、鳥取、島根、山口と

5県を結んでいて、距離のわりに県が多い気がする。

そして9号線は温泉が多く、観光地も多いし食べ物が新鮮で豊富だ。

日本海を車窓から望みながらのドライブは、本当に素晴しい。

ところで境港は、かつてあの「マンギョンボン号」の入港が

一番多い港だったと聞いて、ミコちゃんは急に胸が痛んだ。

拉致被害者が今も北朝鮮に攫われたままなのが、情けなく

腹立たしい。こんな理不尽なことが何故即解決出来ないのだろう。

日本の国は一国の力をまともに注いでも、一向に全面解決が

出来ず埒が明かない、被害者もそのご家族も年齢を重ねるばかりだ。

「祖国」と言えば、戦前国の政策により、中国、韓国や台湾などに

日本を後にして、暮らす人も多かったらしくて、太平洋戦争の戦時中や

敗戦後にその人たちが命からがら引き上げて来た。

その大変な苦労の物語が一例として、最近「海峡」というドラマ化で

放映されていた。そしてミコちゃんは昔(S52年頃)読んだ本のことを思い出した。

「あの波超えて」胡・美芳著(中国読みでフォー・メイファン)だったと思う。

彼女のLP盤を持っているのだが、素晴しい美声の持ち主で、

昔はNHKの「思い出のメロディ」に出演して「夜来香」を

唄ったこともあり、ずっと日本で暮しておられるクリスチャンシンガーである。




白鳥

2007年12月02日 | Weblog
白鳥の日差し集めて寄り添ひぬ

 まだ若い番いの白鳥が最近倉敷川に連れてこられました。

観光客の目を楽しませてくれる白鳥なので、元気で長生きして

雛を育てて欲しいものです。

師走空

2007年12月01日 | Weblog
師走空喪中葉書を重ねをり

 今日から師走。今日で7枚も届いている。

実は我が家も喪中葉書を昨日作成したが、年賀状を

お正月に下さった方のみに、お返事用として

お年玉付き年賀状に、喪中の慣例に倣っての

文面に似たものとした。これは夫の発案であるが、

ミコちゃんも大賛成である。

確か牧師先生がご両親のご召天の折、そのように

されていて、何の違和感も無く有難く返信お葉書を

頂いたと記憶している。(お年玉付きが誰でも嬉しいものだ)


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