Mr.しもの前途遼遠

オンラインプロレスラー、Mr.しもとザ・ミックの成長日記みたいなものです。

先週のワールドプロレスリング 

2019-02-25 05:28:33 | ワールドプロレスリング

2月11日 大阪府立体育会館
~エディオンアリーナ大阪~
IWGPジュニア・ヘビー級選手権
石森太二 vs 田口隆祐


田口のおちょくりを
石森のヤケクソが
上回ったような試合展開。
そんなエンタメ要素を
抜きにしても
面白い試合でした。
本気の田口、
もっと見たいんですけどね。

次はライガー。
面白くなってきたじゃあ
ないですか!


2月11日 大阪府立体育会館
~エディオンアリーナ大阪~
オカダ・カズチカ
vs
バッドラック・ファレ


デカイ外国人レスラーに
日本人選手が挑む。
プロレスの
シチュエーションとしては
最高に面白い
はずなんですけど・・・
なんだか
ファレに関しては
このシチュエーション、
飽きてしまったというか。
ファレ本人は現状を
どう思ってるんでしょう?
何も伝わって
来ないんだよなぁ・・・。


2月3日 
北海道立総合体育センター
~北海きたえーる~
IWGPジュニアタッグ選手権
BUSHI、鷹木信悟
vs
金丸義信、
エル・デスペラード


ジュニアタッグ戦線は
鷹木が入ってきたことで
一気に面白くなった
印象がありますね。
本当はシングル戦線でも
見たいんですけど。
リベリオン、
イイじゃない!!



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先週の週刊プロレス NO.1999

2019-02-25 04:58:03 | 週刊プロレス

表紙は
2.17両国大会の
メインイベントで
KO-D無差別級
王座を争った
佐々木と竹下。
DDTらしい
バラエティに富んだ
大会でした!


DDT2・17両国

佐々木大輔の持つ
KO-D無差別級王座に
挑戦した竹下。
最後にベルトを
手にしたのは
竹下でしたが・・・
正直言うと
もうちょっと佐々木の
王者路線を
見ていたかった
気持ちもあります。

この大会の
セミとして組まれたのは
遠藤とノア丸藤の
シングルマッチ。
遠藤の
ポテンシャルの高さに
驚かされる試合でした。
何年か先に
もう一度見たい
カードです。


マッスル2・16両国

マッスルも
DDTユニバースで
観戦しましたが・・・
お腹いっぱいです(笑)


飯伏幸太インタビュー

飯伏が新日本を
選んだのは
素直にうれしかったですね。
そろそろ大きな結果が
ほしいところです。


マスターズ2・15後楽園

盛況続くマスターズ。
プロレスって
技やパワーだけじゃあ
ないんだなと
改めて思います。
歴史とか財産とか
そういうものに溢れた
リングなんだろうなと。


田中稔インタビュー

ミノ様のお願い2つ目は
機運次第で
GHC Jr.王座戦を
3.10横浜文体の
メインに据えてほしい
・・・というもの。
丸藤と清宮の
GHCヘビー戦があるだけに
現実的にはかなり
難しいと思いますが
それを口にしたことに
大きな意味があると
思います。
ミノ様の
今回の挑戦にかける
本気度が
伝わってきますね。


MY TURNING POINT
棚橋弘至


コーナー最後を飾るのは
現在の日本プロレス界の
象徴的な選手、
棚橋弘至。
IWGPヘビー級王座から
陥落してしまいましたが
まだまだこんなところで
終わる選手では
ないでしょうからね。
新たなスタイルで
這い上がって
もらえればと。


天龍源一郎の龍魂時評
「新日本プロレス、
飯塚高史引退を斬る」


龍魂時評も
今週号で最終回。
最後のテーマが
飯塚の引退というのは
良かったのか
悪かったのか・・・。
「現代プロレスを斬る」
くらいのテーマでも
良かったんじゃないかと
思うんですけどねぇ・・・。



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【新日本】3・8開幕NJCはハイフライ封印も 飛ばない棚橋で返り咲く

2019-02-24 07:10:22 | 新日本プロレス

ソースは、東スポWeb

新日本プロレスの
棚橋弘至(42)が22日、
IWGPヘビー級王座
早期返り咲きへの
覚悟を明かした。
11日の大阪大会で
ジェイ・ホワイト(26)に
ベルトを奪われたが、
挑戦権のかかる
「NEW JAPAN CUP」
(3月8日、後楽園で開幕)
での復活を早々と予告。
次期王座戦が行われる
米ニューヨークの
マジソンスクエア・ガーデン
(MS・G)大会
(4月6日)に対する思いと、
NJCでの秘策とは――。

棚橋は屈辱の
防衛回数「0」に終わったが
「落ち込んでる
暇はないですよ。
今の新日本は
止まったらダメなんです。
泣きながらでも
走らなければいけない」
と、早くも
気持ちを切り替えている。
不幸中の幸いと言うべきか、
次期シリーズの
NJCを制すれば、
IWGP再挑戦の
権利を得ることができる。

しかも次期王座戦の会場は、
新日プロが初進出を果たす
格闘技の殿堂MS・Gだ。
「まだマジソンの道が
途絶えてないのは
『俺、持ってるな』って
思いますね。
(新日プロ)
47年の歴史の中で、
すごく大事なポイントになる
大会だと思ってますので。
そこに名前を刻めなくて、
何が『100年に一人の逸材』
なのかってことです」
と、同大会への
特別な思いを吐露。
19日には
ジャイアント馬場
追善興行のメインに出場し、
24日には特別賞を受賞した
「第19回
ビートたけしの
エンターテインメント賞」
授賞式にも出席する。
存在感は
他の追随を許さない
業界不動のエースとして、
早期IWGP奪還を誓う。

そのためにも
NJC制覇は譲れない。
王座陥落の原因となった古傷、
右ヒザの故障悪化については
「コンディション自体は
すぐには変わらない」
と不安が残るものの、
いくつかの対応策を
考えているという。

「以前『飛ばない棚橋は
ただのイケメン』
って言ったことが
あるんですけど…。
そろそろハイフライ(フロー)
に頼らない試合に
踏み切る勇気が
必要になるのかもしれない。
もちろんハイフライで
決めたいって思いが
あったんですけど、
実を取るか花を取るかの
戦いですね」。
数々の栄光を
手に入れてきた代名詞
ハイフライフローは
コーナーポストから
全体重を浴びせるだけに、
ヒザへの負担も大きい。
まだ不安が残るNJCでは、
この技を封印して違う
フィニッシュホールドを
使用することを示唆。
華やかさにこだわらず、
ヒザへの負担を減らすような
スタイルチェンジを
本格的に検討しているという。

米国・ROHとの
合同興行として行われた
この日の後楽園大会では
6人タッグ戦に出場。
スリングブレイドで
勝利をアシストして
復調ぶりをアピールしたが、
新たなエース像も
模索している。



棚橋=ハイフライフローという
イメージがあるだけに
ちょっと残念な気持ちは
ありますが・・・
何より本人にとって
苦渋の選択だったと
思いますしね。
ダイビング技を使う選手が
避けて通れない道でも
あるでしょうし、
覚悟を決めたと
いうことでしょう。

そこはもう
我々ファンの方も
発想の転換で。
棚橋の新しいスタイルを
楽しむくらいが
いいのかもしれませんね。

MSGでの王座帰り咲き、
期待してます!



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イタミがWWE退団「まもなくKENTAとして会いましょう」

2019-02-24 06:53:03 | WWE

ソースは、東スポWeb

WWEのクルーザー級番組
「205 Live」で活躍する
元ノアのKENTAこと
ヒデオ・イタミ(37)が、
WWEを退団した。
22日(日本時間23日)に
公式サイトが報じたもので、
約4年半におよぶ
WWEでの活動に
いったんピリオドを打った。

1月いっぱいで
契約が終わったものと
みられており、
WWEの発表を
自分のツイッターで
リツイートしたイタミは
「再びありがとう。
まもなく
KENTAとして会いましょう」
とつづっている。
規定で退団から60日間は
他団体への出場はできないが、
それ以降は何の拘束もなくなる。

海外での活動を選択する
可能性もあるが、
4月1日から
日本マットに上がる
可能性が濃厚だ。
すでに水面下では、
日本マット界で激しい
「KENTA争奪戦」が
始まっていることは確実で、
イタミが選ぶ「戦場」に
注目が集まる。 

イタミは
2000年5月に
全日本プロレスでデビュー。
ノアでGHCヘビー級王座と
ジュニアヘビー級王座の
2階級制覇を達成。
2008年には
東京スポーツ新聞社制定
プロレス大賞ベストバウト
(対丸藤正道戦)
を獲得した。
14年7月にWWEと契約。
NXTで活躍するも
負傷に泣かされ、
17年からは
クルーザー級の
「205」に移籍した。

昨年9月1日には
ライバル・丸藤正道(39)の
「デビュー20周年記念大会」
(東京・両国国技館)に
まさかの出場を果たし、
約5年ぶりの
再会マッチを実現させた。
超満員6285人の
大「KENTA」コールを
浴びたイタミは、
本紙の取材に対し
感無量の表情を見せながら
「懐かしかった。
久しぶりに自分が
求められているんだという
実感がありました。
(KENTAのスタイルを)
まだできるとことも証明できた。
温かい歓声、大声援…。
こういう場所を探したい。
原点回帰とでも
いうんですかね。
可能なら、こういう形で
(年に1~2回は)
日本で試合ができれば
いいなとは思います」
と、将来的には
日本へ復帰する意向も
あることも示唆していた。



KENTAのWWE退団が
正式に発表されました。
本人にとっては
不本意な気持ちも
あったかもしれませんが
ノアで輝いていた時代を知る
我々ファンからすると
「よくぞ決意した」という
想いが強いですね。
WWEでは真価を
発揮できていたとは
言い難かったですし・・・。

去就が注目されますが
私はやっぱり
ノアのリングで
見たいですけど
他の団体を選ぶ選択肢も
当然あるでしょう。
どこに行こうと
応援しますぜ!



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【新日本】飯塚高史が貫き通した悪の道

2019-02-22 23:31:52 | 新日本プロレス

ソースは、東スポWeb

極悪戦士の“素顔”とは――。
新日本プロレスの怨念坊主
飯塚高史(52)が
21日の東京
後楽園ホール大会で
引退試合を行い、
32年3か月の
現役生活に
ピリオドを打った。
2008年4月に
悪の道へ足を
踏み入れた男は
最後まで信念を貫き、
「セレモニーなし」という
前代未聞の引退劇。
長年にわたり見続けてきた
菅林直樹会長(54)は、
蛮行の裏に隠された
プロ魂をねぎらった。

飯塚は
鈴木みのる、タイチと組み
オカダ・カズチカ、
天山広吉、矢野通組と
対戦した。
入場時から
ファンを巻き込んで
大暴れするや、
リング上でも
ちゅうちょなく凶器攻撃、
かみつきと反則を繰り返す。
最後は
元盟友でもある天山に敗れ、
現役生活に終止符を打った。

通常の引退興行であれば
この後、リング上で
セレモニーへと移るのだが…
過去に例を見ない
極悪レスラーに
そんな常識は通用しない。
試合後も飯塚との
和解を試みた天山に
アイアンフィンガー・
フロム・ヘルを食らわせ
そのまま帰ってしまった。
異例の結末に、
会場からはいつまでも
「飯塚コール」が
こだました。

1986年11月にデビューし、
正統派として活躍した。
真面目な性格で
周囲の信頼も厚く、
選手会長を務めたこともある。
しかし08年4月に
天山との友情タッグを解消し、
頭を丸めて
現在の風貌になった。
当時の社長だった
菅林会長は
「大会前日に大阪で
サイン会をやっていて、
ファンの子供に
『友情を大事にするんだぞ』
と言っていたと聞きました。
(天山を裏切ったのは)
その翌日ですからね。
信じられない。
その子のトラウマに
なっていなければ
いいんですが…」
と振り返る。

09年11月には
真壁刀義と本間朋晃を乗せた
菅林会長の愛車
BMWを襲撃する
テロ事件まで起こした。
普通の会社なら
間違いなくクビだが、
菅林会長は車の修理費
70万円を
ファイトマネーから
天引きするという
寛大な措置で済ませた。

「人が足りなかったからね」
と冗談めかすが、
決してそれだけが
理由ではない。
「ファイトスタイルは
褒められたものではなくても、
肉体を見れば
彼のプロとしての誇りが
伝わってきます。
その姿だけで
後輩たちのいい手本に
なっていたのでは
ないかなと思います。
スタイル転向後の
行いは別として、
真のプロフェッショナル
でした」

52歳とは思えぬ
鋼鉄のような肉体は
ただならぬ練習量を
如実に物語っており、
誰もがその実力を
認めていた。
最後の最後まで
己の信念を貫いた。
引退後については白紙だが、
ただならぬ恐怖を
与え続けた極悪ぶりは、
いつまでも
プロレスファンの記憶に
刻まれる。



飯塚の引退試合、
私もワールド観戦しました。
最後の最後まで
飯塚の一挙手一投足から
目が離せない、
そんな
ラストマッチでしたね。

最後は
天山の手を取って
ハッピーエンド!
・・・だとばかり
思っていたのですが・・・。
プロレス史に残る
引退試合でした!



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