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季節を忘れずに咲く花、大きくなる木、きまぐれ猫、その他もろもろ日々の綴りです。

足助のまつり

2009年10月12日 | おでかけ

山車の宮入り
MVI_2065
11日はトーベ・ヤンソンの「ムーミンのスケッチ画展」を見にいくことに決めていましたが、朝刊を読んでいて
足助の山車祭りがあることを知り、随分遠回りですが、お祭りの写真も撮りたいし両方行くことに決めました。

秋の足助祭りは「男のお祭り」といわれ4台の山車が挽き回されます。(春祭り「女祭り」は7台の山車。)




足助八幡宮に集合した4輌の山車は、「足助型」と呼ばれ、前方に出役棚を持ち、16個の樫の木の爪を履か
せた車輪など、独自の形式をもっています。宮入すると神前でお囃子を奉納します。

4台の山車がいつ頃造られたかは分かっていませんが、宝暦12年(1762年)に、新町の山車で狂言が演じら
れた記録が残されています。

高さはいずれも6.3m~6.6mですが、大正時代に電線がひかれた時に上山を50cm程度切り詰めたため、本来
は7m前後あったといわれています。左から、田町、本町、新町、西町の各山車です。



馬も祭り姿に飾られて、足助八幡宮に宮入りします。




在方の火縄銃の鉄砲隊(約二百丁)は警固と呼ばれ、境内を囲んだ三か所で順次実演されます。




火薬をつめて火縄銃を撃つ準備をします。




上空めがけて銃が撃たれた瞬間に耳がキーンと・・・しばらく耳鳴りがしてました。


足助街道(塩の道)

中世から近世にかけて栄えた「塩の道」こと中馬街道の拠点として有名である。そのルートは、現在の岡崎市
から矢作川東岸を北上しやがてその支流である巴川に沿って足助に至り(足助街道または七里街道)、そこ
から山間部に分け入り県境を越えて長野県飯田市のある伊那地方へ抜ける。

また足助からは豊田市北部やさらに名古屋市へと至るルート(飯田街道)が分岐する。これら三河国内の「塩
の道」は古代律令制度下で設定された賀茂郡の東部地域を縦貫している。




日本列島交通の東西軸である旧東海道や旧中山道に対し、南北軸の一つである「塩の道」は秋葉街道・信州街
道及び千国街道・松本街道などと称されています。

この道は古代から黒曜石の道、中・近世の南北物流の道、戦国武将の道、信仰の道等、多くの物産や文化交流
を育んできた重要な生活ルートでした。




巴川の両岸は紅葉の季節にはもみじがりの人々で賑わいます。


歩数:10,453    消費カロリー:206kcal

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