東映太秦映画村 10/31
いったいこれは何の写真?かと言えば、京都映画村の「最恐のお化け屋敷」入り口に吊るされていた恐怖心を煽るための?見るからにオドロオドロシイ提灯で、絵になるなと思いましが・・屋敷の中は薄暗くて死体がゴロゴロと、皆でキャーキャー言いながら楽しんできました。入る前のほうがドキドキですね。出てきてからは、もっと怖くてもOKと思ってしまいました。
*バス4台に補助席も使って恒例の秋の旅行です。
吉原通り
遊郭街に入って行った3人・・・後を付けて・・。
北山鹿苑寺(金閣寺)へ
金閣寺の山門に続く通りの杉苔が、雨に濡れて緑をましてとてもきれいでした。
京都の紅葉も、最近の冷え込みでやっとこの程度。
金閣寺と鏡湖池
絵葉書にもなっている、金閣寺の典型的な立ち姿。雨に濡れている金閣寺ははじめて見ましたが、やはり“美しい”という形容詞がぴったりでした。
金閣寺の正面から雨に濡れた砂利石を踏みしめながら、神仙思想に基づいて造られた室町時代の池泉回遊式庭園(かつては舟遊びを楽しむ場であった)に沿って行きますと、北側面の金閣寺を間近に、見上げるように見ることができ、漆喰の壁と金色に輝く壁部のコントラストが落ち着いた美しさを見せて、屋根のトップには鳳凰を見ることができました。
MEMO:金閣寺の歴史 :平成6(1994)年に世界文化遺産に登録されている。
室町幕府3代将軍足利義満により南北朝の合一にも成功し、世の中がひとときの平和を取り戻した、そんな時代。応永元(1394)年、一応の達成感を得た義満は37歳にして将軍職を譲り、翌年出家。応永4(1397)年には、衰微した貴族、西園寺家の別荘である北山第を譲り受け、新たに「北山殿」という山荘を造営した。黄金浄土世界の再現を望み、特に舎利殿は金箔をもって建物を覆った。これが金閣の始まりである。
義満は応永15(1408)年に51歳でこの世を去るまで北山殿に住まわった。義満の死後、4代将軍義持は遺言に従って、開祖に夢窓国師を勧請して禅寺とし、義満の法名(鹿苑院天山道義)より鹿苑寺と名づけられた。
LINK:金閣寺:Wikipedia
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