「大人の基準って何ですか」、この言葉はおじさんの住んでいる町が今年7月から施行した「子どもの権利条例」を制定する過程で、町
内中学生との意見交流会の際に、ある生徒から制定委員に対する質問だったそうです。おじさんは、そのことを聞いて、本当に難しい
質問だと思いました。そして、答え方も人それぞれにいっぱいあるような気がしていました。
おじさんは、この言葉が少し気になっていていました。そんなある日、趣味の自転車でライディング中に、ふと自分なりの答えにならな
い考えが浮かんできました。これが正しいとは思っていませんが、「大人って、それは、車のハンドルのような人」もありかなと。
自転車のハンドルは地面の凹凸や急な変化にはとてもダイレクトであり、腕がしびれるほどです。ときにはハンドルを取られ事故にもな
ります。それに比べ車のハンドルは、車体にスプリングがあるとはいえ、ハンドルの「あそび」があります。このあそびは、ハンドルをさばく
人や地面の急な変化に間を持たせることで、運転の際に安定した走行を可能にしていると思っています。ハンドルのあそびを人の在り
ように例えれば、「ゆとりのある」、「柔軟性のある」、「寛容である」などと置き換えてもいいかなと。別な言葉で言うと「ふところが大きい」と
も言えます。こんな理解をすれば、車のハンドルのような人は、明らかに子どもとは違うのではないと考えていました。
おじさんも一応は大人のつもりでいますが、自転車のハンドルのようにゆとりのない自分も時々あることに自戒を込めて、「車のハンド
ルのように」を心がけたいと思っている次第です。