mokoangelの青島日記

夫との7年間の中国留学を終え7月に帰国しました
これからの日本での生活を模索中です

7/16,17,18;フェリー「ユートピア号」

2009-08-30 12:48:39 | Weblog

3時過ぎには乗船手続きを終え、直ぐにでも乗船できるものと 待合室でまっていました。
しかし、待つこと2時間以上 やっと乗船できたのは 5時を過ぎていました。
出航時間も 20時と聞いていたのに、実際は23時でした。

何度も仕事でフェリーを利用するという 下関の男性の話では 「ターミナルの職員や、税関職員の都合に合わせて、乗船客が動かされている。」と言う事です。
乗船までに関わる職員は5時までしか働かないので、20時出航でも 5時までには乗船しなければならないようです。
『お客様は神様です』の日本とは 大違いです!

    
             フェリー「ユートピア号」 
乗船した時に撮れなかったので、下関港で下船してから撮ったものです。

乗船の際 荷物は係員に預けて運んで貰ったのですが、船室に運ぶ時20kg以上もある大きなバックを抱えて 階段を上がるのは出来そうにありませんでした。
側に待合室で少しお話した 「西安外事学院」の学生さんが居ましたので、「荷物を運ぶのを手伝っていただけますか?」と御願いすると、友達を呼んできて 夫の分まで運んでくれました。
彼らは 山口の「梅光学院大学」に1週間留学する学生さんで とても流暢に日本語を話しました。

部屋に落ち着いてゆっくりすると どっと疲れが出てきました。
テレビで日本のDVD「砂の器」が放映されていたので 観ることにしました。
やはり 日本のものは良いですね!  特に大好きな「松本清張」のものですから、しっかり 終わるまで観てしまいました。

 
「1等A」と聞いていたので、期待はずれの感がありましたが、「個室」で夫と二人でゆっくり休めるのは 有難いことです。

        
ベットは2段ベットでした。 ホテルのようではありませんが 少しの揺れが心地よい眠りに誘ってくれました。  入り口の右に洗面台があります。
トイレと風呂は1等船室専用で、 比較的清潔なものでした。
夫は退屈すると 「ちょっと風呂に行ってくる」と、度々入浴していました。
そして、「船の揺れで 風呂の湯が波のように押し寄せてきて 面白い」と喜んでいました。

部屋は 四人部屋でしたが、二人で使用するので しっかり二人部屋料金(@1400元)を学割で1120元、 オイルサーチャージ100元を加えて、1220元(17000円くらい)を支払いました。

次は「上海」から フェリーで帰国しようと思っていますので、「特A客室」を体験してみたいと思います。

航海中は あまりお天気が良くなく、体調も思わしくありませんでしたので、食事とトイレ、入浴以外は部屋にこもって 本を読んだりDVDを観たりして過ごしました。

レストランの食事は日本の味付けで、「肉うどん」を食べた夫は 「美味しくて、思わずスープまで全部飲んでしまった!」と感激していました。 船内は既に日本円支払いになっていて、肉うどんは600円(43元位)でした。
中国の物価からすると高いですね! 普通だと これくらいのものは6元から10元です。

二日目の夜のDVDは 吉永小百合の「母べえ」でした。
これも 吉永小百合が懐かしく、最後まで観ました。 内容も良く 満足して眠りに就くことがました。  雨も上がり、 この夜は デッキで「カラオケ大会」をやっていたみたいでした。 学生さんたちはきっと楽しんだことでしょう。

36時間の船旅はあっという間?に終わりに近づきました。
18日早朝4時には 関門海峡の入り口に着き、時間調整の為暫く停泊していました。7時頃に朝食を済ませ、身支度をしてデッキに出てみると 学生さん達は初めてみる日本の風景に やや興奮気味です。
 

      
私たちは 君を見つけ挨拶をし、PCアドレスや住所の交換をしました。
近々「西安」を訪れる予定ですので、是非彼にはもう1度会いたいと思っています。

下船の案内がありました。  すると 君が友達と二人で「荷物を運びましょう」と、自らやってきてくれました。 感謝!
中国人でも 日本語を学んでいる学生さんは 本当に真面目で誠実な人ばかりなのですよ。


8時半に 入国審査官が乗船してきました。「新型インフルエンザ」のチェックの為の「熱センサー」を通され、入国審査を受けます。
検査は飛行機に比べてとても簡単で、すんなり入国できました。


        

              


今回の旅も 沢山の素敵な『一期一会』を頂き、心に残るものになりました。

旅の途中で出会った方々のお幸せと健康をお祈りします。

 



 


7/16;青島観光

2009-08-30 11:07:38 | Weblog

いよいよ旅行の最終日です。
朝から気分が浮いているのは 初めて“新幹線”に乗るからです。
「まるで子どものよう!」 我ながらおかしくなってしまいます。

フランス製の車体?

新幹線の内部
車内は日本の方が ゆったりしているかな?

運賃は一人122元(1700円位)で 2時間半くらい(最高時速254k)で 済南から青島に到着です。
荷物が大きい為 一旦フェリー乗り場まで行き、荷物を預けてから 観光することにしました。
 
       青島駅             フェリー乗り場
 

青島は、中国における重要な経済中心都市であり、港湾都市である。また国の歴史文化都市であり(道教の発祥地)、風景の素晴しい観光地である。

青島は、最も経済活力のある十大都市の一つ、商業のトップ10都市の一つにランクされ、「企業家満足賞」を獲得している。

青島は、国から環境保護模範都市、衛生都市、林業都市に指定され、優秀住環境賞を得ている。 

青島の観光地図(説明には4つの観光地とあるけど・・・)
青島市街区西部は“赤瓦と緑樹、紺碧の海と青い空”という古い姿の保護区で、東部は現代的な面を見せる建築区で、新しいものと古いものが融合し、ともに引き立てあっている。“海上の都市、欧亜の風情”という都市イメージを形成し、海浜の歩行道に沿ってたおやかで雄壮かつ美しい海辺の景色を鑑賞することができる。西から東へ、風格の異なる4つの観光地に分けることができる。

乗船手続きの為 3時にはフェリー乗り場に帰らなくてはならないので、タクシーで観光することにしました。
乗ったタクシーの運転手は女性でよく喋る逞しそうな人でした。(後で聞いたところによると、以前は大型車の運転をしていたとか、混んだ狭い坂道を上手に運転する物だと感心していたのです。)

旧市街地は かつてドイツが租界地としていたために街全体がヨーロッパ調で、坂の多い街なので、他の土地のような「自転車の洪水」もないため、何となく“落ち着いた”風情があります。
天主教堂

旧市役所

普通の建物


新市街地は近代的な建物が立ち並び 洗練された近代都市の感じです。
ビジネス街
(拝借写真)ビジネス街

五四広場俯瞰
(拝借写真)五四広場・市役所

 青島は大連と比べるとこじんまりしていて、地域によって雰囲気がはっきり違います。 生活するのに便利で楽しい街のように感じました。 “青島ビール”以外 大した見所はありませんが、海岸は海水浴客でとても賑わっていました。
『マイカル』『ジャスコ』があり、生活面でも日本人にとって暮らしやすい所らしいです。

写真はありませんが、新市街地に 「青島大学」がありました。
とても大きく設備も整った良い大学のようです。 留学生も多いとか。
夫曰く 「青大と遼師大と どちらにしようかと迷ったんだけど、此処でも良かったね!」 「えぇ? 私 聞いてなかった!」 

夫と「いつか 1年くらい住んでみたい街ね!」と話しました。


観光は終わりました。

お気づきの方もいるかと思いますが、今回の 旅行のアップ写真は(拝借写真)が多いでしょう!?
実は 青島を観光している途中で 夫のデジカメのバッテリーが切れてしまったのです。  私のはブログにアップする為に画像数をぐっと落としていましたので 大丈夫です。  少々疲れが出て 後部座席でゆっくりしていた私を残して、夫は私のカメラで あちこち撮影していましたが・・・、フェリー乗り場でカメラの無いのに気付き 夫に「カメラは?」と尋ねると、「ん? 返してなかった?」  「最後の最後に!」 でも、諦めるしかありませんでした。
それでも、私たちが此処に居るのは分かっているので、忘れ物に気付いた運転手さんが届けてくれたら・・・・!と はかない希望は持っていたのです。

彼女の逞しさは 運転だけではなかったのです。
乗る時に 夫が料金を交渉した時、「メーターに待ち時間料金をプラス」との事でした。 降りる時のメーターは75元位だったので、100元も払えばよいかと思ったのですが、請求は150元でした。  会社へはどのように報告するのかしら!?
            
                
        
WANTED                                  joke
  
    
青島在住の方 観光中の方で、この車に気付かれましたら お知らせ下さい! 



いよいよ帰国の途につきます。


7/15;世界遺産~曲阜三孔③(チョッとした冒険と楽しい出会い)

2009-08-29 23:37:42 | Weblog

孔廟を出て 暫く歩いていると、少し気分が良くなってきました。
夫と17時に“曲阜駅”で待ち合わせの約束をしていましたので、それまで時間をつぶさなければなりません。

 
城壁内には このような観光馬車が走っていましたので、乗ってみようかと思いましたが、今一気が乗りません。
朝食もとっていなかったので、少々お腹もすいてきました。
何処かで美味しいものでも食べようと、お店を探しましたが 日本と違ってファミレスや普通のレストランも無く、小さなお店ばかりなので 入る勇気が出ませんでした。

    
               城壁外の町の様子です。

城壁の外へ出ると、車が多く 又、気分が悪くなってきました。
少し早いけど駅に行って、待合室で本でも読んで待っていようと思いました。

何台かのタクシーが私の様子を見て 声をかけてきます
「駅まで10元よ、安いよ!」 勿論 中国語です。
私は「不要!」(ブゥヤオ! いいです) と言いながら、「そうだ バスで行ってみよう」と決めました。

でも、バス停が何処にあるのか? 何番のバスに乗ったらいいのか? 全く分かりません。

時間はたっぷりあるので、慌てず頑張ってみようと 先ずバス停を探しました。
何人かの人が 何かを待っているようなので、きっとバス停だろうと 私もそこで待つことにしました。
 でも、行き先に「曲阜駅」と書いてあるバスは1台も来ません。

二人連れのおばさんが声をかけてくれました。
何処へ行くのかと言うので、「曲阜駅です」と答えると 「此処には停まらないよ、あっち!」と教えてくれました。
“あっちのバス停”で暫く待ちましたが やはり曲阜駅行きのバスは来ません。
今度は 私から「曲阜駅へは何番に乗りますか?」と拙い中国語で尋ねましたが、「知らない!」と冷たい返事がかえってきました。

バス停には 時刻表も 路線の説明図も何も無いのです。
日本では 至れりつくせりのサービスが当たり前のようになっていますが・・・。
諦めてタクシーに乗ろうかと思って 周りを見渡すと、道の向こう側に バスセンターがありました。  あそこで聞けば きっと分かるに違いないと思い、 横断歩道も無い広い道を渡って行きました

バスは5番、バス停は間違いなく“あっちのバス停”でした。
5番のバスなら何台も来たのに・・・。 終点は駅なのに書いていないのですよ!

何とか駅に辿り着きました。 後からやってきた夫はタクシー(12元)でした。
ちょっとした冒険でしたが 一人で目的を果たせたのには感激でした。



 定刻通りにやってきた汽車に乗り込み、席を探すとそこは軟席寝台の個室で 沢山の人たちが座っておしゃべりをしていました。
切符を見ると 間違いなく私たちの席だったので 「此処は私たちの席です」と言うと何人かの人は出て行きました。 中国では良くある事なので 又、席の無い人が勝手に座っていたのかと思いましたが、勘違いでした。
何組かの家族で遊びに行っていた人たちが集まって おしゃべりをしていたのです
 
私たちと同室のご夫婦は教師をなさっているとかで、色んな話題でとても楽しいおしゃべりに花が咲きました。(私は聞いているだけでししたが・・・)
子ども達も 初めは話しかけても黙っていましたが、段々慣れてきて 大好きな日本のアニメの話をしたり、歌をうたったり 済南に着くまで楽しい時間を過ごす事が出来ました。(子ども達担当は私でした)


明日はいよいよ“青島”です




7/15;世界遺産~曲阜三孔②(孔府・孔林)

2009-08-29 17:31:16 | Weblog

私は気分が悪く 観光を止めましたので、これは 夫が回って撮った写真と資料を原に書いたものです。

 「孔府」は、孔子の子孫の住居であり官庁を兼ねた建物。宋の時代以降、孔子の子孫には「衍聖公」の位が与えられ、その位が代々世襲されてきたことから「衍聖公府(えんせいこうふ)」とも呼ばれるようになった。
総部屋数は約480。東路、中路、西路の3路に分かれており、中路はさらに前半分の官庁と後半分の私邸に分かれている。
「後堂楼」は、孔子第77代目の子孫である孔徳成が1930年代まで住んでいた
孔府入口

孔府大門の額

子孫の住居

 

県城の北門を出てしばらくすると、孔子やその末裔の墓所・孔林へと続く「神道」がある。神道の全長は1266メートル。両側にコノテガシワが立ち並び、神道の中ほどには明代の石坊が建てられている。上部には「万古長春」の四文字が刻まれている


孔林入り口

 
 孔林の敷地は208・4ヘクタール。2400年以上にわたる孔家歴代の墓が10万あまり。文字を刻んだ石碑が4千以上。石人、石馬などの石像芸術が千近くもあり、数万本もの古木が植えられている。
孔林には、孔子をはじめ、その第78代目の子孫まで埋葬されている。その悠久の歴史や多数にのぼる墓、完璧なまでの保存形態は、一族の墓所では世界にまたとないといわれる。今でも、孔子の直系子孫が亡くなれば、孔子の墓のそばに埋葬できるのだという。

上記のように敷地が広大な為、写真のような車が客待ちをしていて観光客はこれに乗って回る人が多いようです。
夫も帰りに疲れたので、これに乗って帰ったそうです。


孔子と一族、弟子達の墓への入り口。 周りは小さな堀で囲まれている。


          孔子の墓
孔子が亡くなった翌年、時の魯の王様によりこの場所に孔子の墓が作られ、爾来2500年、孔子一族により大切に守られ、今にある。人々は今でもまだ喪に服するがごとく、黒い背広を着て、祭壇を祀り、庭を掃除している。

          子孫の墓






 


7/15;世界遺産~曲阜三孔①(孔廟)

2009-08-27 16:37:26 | Weblog

     
今日は曲阜三孔の観光です。
北京で訪れた孔子廟より大きいと聞いているので、楽しみにしています。

山東省の曲阜は中国の儒学の創立者、教育家・孔子の古里である。
済南から南に135キロほど離れていて、北には泰山があり、総面積895.93平方キロ、人口は65万人で、その中の20%は孔子の子孫だそうだ。
曲阜 写真
(拝借写真)
曲阜、旧市街はこのような外壁で囲われていて、魯の国の王城の雰囲気の感じられる落ち着いた街でした。

 

城壁の内側には 早朝にも関わらず骨董品?の露天がずらりと並んでいます。

おしゃべりがしたくて その中の一つを冷やかしてみました。
おじさん ごめんなさいね!



暫く歩いて孔子廟に到着、嬉しい事に60歳以上は半額で「孔廟&孔府」の通し入場券(75元)を買いました。

城壁の正門
曲阜三孔とは、孔子を祭った寺院の「孔廟」、孔子の直系子孫が住んだ邸宅「孔府」、孔子とその末裔の墓所である「孔林」の三つを合わせた総称です。曲阜三孔は1994年、ユネスコの世界文化遺産リストに登録された。

孔廟は、曲阜城(町)の中央に位置する。松やコノテガシワにはさまれた512メートルの「神道」を通りぬけると、曲阜城の南門である「仰聖門」につく。これは、明の万暦22年(1594年)に建てられた「双門瓮城」(城門の前につくられた防御用の小城)で、城門の上部には「万仞宮壁」の四文字が刻まれている。孔子のすぐれた学識に対し、尊敬と敬慕の念を表したものだ。この門はかつて、平時は閉ざされたままだった

 
「孔廟の本殿である大成殿を仰ぐなら、七つの門を通りぬけ、六つの庭を進まなければならない。」そうで、上の写真はその中の二つです。
 本殿である大成殿。
ここで孔子を供養したのをはじめ、その祭典が行われた

   中央の仏龕にある孔子の塑像



此処にも 沢山の願い事の書かれた札が下げられていました。



広大な庭園はとても手入れが行き届き、神聖な感じさえしました。

この日私は朝から気分が悪かったので 夫に別行動を申し出、マイペースで見物していたのですが、その内に お腹の調子が悪くなり慌ててトイレを探さなければなりませんでした。 暫く 休めば治まるだろうと トイレの側の藤棚の下のベンチで休んでいました。

体調は治まりましたが、観光して回る気分にはなれず 孔子廟を出ました。


因みに トイレは 「厠所(cesuo ツァスオ)」or「洗手間(xishoujian シイショウジエン)」と言います。









7/14;大明湖

2009-08-27 16:09:47 | Weblog

最後は“大明湖”です。
ここは教科書に度々登場するので 是非来てみたかったところです。

大明湖は趵突泉、千仏山と並んで、済南の三名所といわれています。
公園の面積は、86ヘクタールですが、そのうち湖が46ヘクタールを占めます。
大明湖は、市内の多くの泉水が南から流れこんでできた天然の湖です。、湖の底は火成岩で、水が染み透らず、「恒雨不漲、久旱不涸」(いくら雨が降り続いても漲らず、長い旱魃でも水が涸れない)といわれるように、長年、比較的安定した水位を維持しています。
 
この北門をくぐって 入りました。  もう一つ 西門入り口があります。


入り口を入って、まず目に入るのは、毛沢東主席の直筆の書です。
達筆すぎて何が書いてあるのかさっぱり分かりません。


“噴泉”と刻まれていますが、 水は出ていませんでした。

ここも 他の観光地同様 外人観光客や中国人で一杯でした。
広い湖畔を一周するのは無理なのでジェットボートで遊覧する事にしました。

湖には歴下亭、江泉堂、湖心島など大小さまざまな島が 6つあります。
自然の風景はとても美しい。湖水は冴え、魚が泳ぎ、舟が行き来します、湖畔には柳の木が茂ります。さまざまな建造物もあります。歴下亭、鉄公祠、南豊祠、北極廟など30数ヶ所の名所旧跡があります。
  大明湖の中心、歴下亭島は、海右古亭によって有名です。唐代の詩人杜甫が天宝4年(745年)北海太守李邕と一緒にここで酒を飲んだ時、即席で「东藩驻盖,北渚凌清河。海右此亭古,济南名士多。云山已发兴,玉佩仍当歌。修竹不受暑,交流空涌波。蕴真惬所遇,落日将如何。贵贱俱物役,从公难重过。」と詠んだことから歴下亭は天下に知られるようになりました。

変わった形をした橋? 

歴下亭島?だと思います


拝借写真)
ハスは山東省済南の市の花で、大明湖はハスの花に囲まれています。緑のハスの葉、鮮やかなハスの花が湖面に投影し 自然の美しさを強調してます。
湖の岸には柳がたくさんあり、清代の小説家である劉鶚は『老残遊記』で「四面の蓮花に三面の柳、一城の山色に半城の湖」と記して済南を称えまし
た。

ここでも 「時間が無いし、疲れる。」との理由で、園内バスでの 遊覧です。
若い女性の運転手さんが要所要所で 説明をしてくれていたみたいなのですが、声が小さくて?(本当は中国語が聞き取れなくて)分かりませんでした。 説明もはっきりしなくてごめんなさい!

 

曲阜に行くために 済南駅に向います。

何度旅をしても、中国の駅の状態には慣れません。
時刻表はあっても、日本のようにきちんとしていないので 皆 早くから駅に来て待っています。
待合室は いつも「団体客が何組居るの!」と思うくらい 乗客でごった返して居ます。

それに 中国人は何処で食事をするのも平気なので 殆どの人が何かを食べています。
一番多く見かけるのは カップラーメンです。  売店でカップラーメンを買うと お湯を入れてくれるのですぐに食べられるみたいです。

  
駅のプラットホーム。 目一杯の伸ばしてみましたが、雰囲気が伝わりますか?  とても暗いです
汽車は私たちが乗った「日照行き」のディーゼルカーです。
私は気付きませんでしたが、夫に言わせると「電気ではないので、随分遅かった!」そうです。


朝から休みなしに動いていましたので、曲阜に着くまでこの状態でした。
因みに 緑のペットボトルは “スプライト”で、「雪碧 (xuebi シュエビィ)と言います。

 明日は“曲阜”観光です。


7/14 ;済南野生動物園&千仏山

2009-08-27 15:09:07 | Weblog

この日は朝から“曲阜”へ行く予定でしたが、曲阜行きの汽車の切符が 夕方の便しか手に入らず、済南の残りの観光地を回ることにしました。
この日も 先日の観光タクシーを御願いしました。
朝8時から夕方4時まで 8時間で400元(5500円位)です。(運転手さんの中食はこちら持ち)

出来るなら“パンダ”を見てみたいと思っていた私は 運転手さんに尋ねると、「居る、居る!」との事で、車で1時間の「済南野生動物園」に行くことにしました。
      
ご覧の通りとても広い動物園です。 日本の「サファリパーク」と同じような感じです。
園内を サファリカーで一通り回ったのですが、パンダは見当たりません。
車を降りて 近くの係員に聞くと「あっち!」といいます。
でも 見当たらないので、別の係員に聞くと 又「あっち」と言います。
あちこち探し回りましたが、居る気配がないので諦めて帰ることにしました。
後で判明したのですが、パンダが居るのは市内にある「済南動物園」だったようです。 
パンダを見たかった私は 何を見たのか・・・・。午前中を無駄にしたような気になりましたが、済南の田舎の風景も見られたし、良い空気を吸うことも出来たので「まぁ、良いか!」と考える事にしました。
このことでも分かるよう様に 中国では全て“自己責任”で行わなければなりません。

運転手さんの案内で昼食をとりました。
まぁ 立派な構えのレストランで 客も多かったのですが、私たちの口には合いませんでした。


午後は先ず“千仏山”へ
千仏山は標高285メートルの千仏山は済南市の南東部あり、周代以前は暦山と呼ばれたが、伝説中の中国最初の皇帝・禹や舜がこの地を開墾したことから、禹登山や舜耕山と呼ばれるようになった。隋代には山の壁に多くの仏像が彫られ、千仏寺も建立されたことから千仏山と呼ばれるようになった。

    (拝借写真)千仏山公園のシンボルと思える仏像を上空より見る
      
            正面から見るとこんなです

広大な敷地の中を歩いて見て回ると ゆうに1日は掛かりそうです。
時間が無いからとの 運転手さんの勧めもあって、園内バスで遊覧する事にしました。

 
歩いて登る人は この門をくぐって 階段を登ります

汗を拭き拭き歩いて登っている人たちを尻目に、涼しい風を感じながらのドライブは 快適でした。
しかし いつも思うのです。 こんな場所は一日かけてでも ゆっくり歴史を味わいながら観て回りたいのです。
“観光旅行”では そう言うわけにはいかないのでしょうか・・・。


   バスから 上の写真の門を眺める


   涅槃仏の前で 記念写真


写真があまり良くないので分かりにくいと思いますが、案内図です。
広さの説明を見落したましたが、本当に広大な感じです。

 

以降は 回りきれなかったところを 記録の為にアップしました。

千仏山は海抜285mで、緑が多く、東西にそれぞれ300段前後の登山道があり、渓谷沿いに曲折し、中腹から北を望むと、済南市内全景と大明湖を見渡すことができる。天気のいいとき、黄河も見られる。
 絶壁の下に唐の貞観年間(627~649)創建の興国禅寺があり、境内の千仏崖に隋の開皇7年(587)から唐の貞観年間にかけて彫った多数の仏像がある。残念なのは昔戦争のとき、ほとんどの仏像ははかいされた。
 興国禅寺の隣には暦山院があり、道教の宮で、舜帝、大工の先祖魯班が祭られている。道教と仏教が同時存在するのは珍しい。







あまり鮮明ではありませんが、
回りきれなかった興国禅寺、
歴山院
辺りの 上空写真です。



                興国禅寺?

    


次は“大明湖”に行きます。


7/13;世界遺産~大雨の泰山

2009-08-27 10:30:04 | Weblog

泰山は中華人民共和国山東省泰安市にある山で、高さは1545m。 道教の聖地で、封禅の儀式が行われる山として名高く、中国五大名山の第一にランク付けされている霊山です。主として東嶽大帝と碧霞元君などを祭っています。泰山府君は病気や寿命、死後の世界での事など、生死に関わることに御利益があると信じられており、また碧霞元君は出産など、女性に関する願い事全般に利益があると信じられ信仰されています。ユネスコの世界遺産(複合遺産)に登録されています。
      泰山山頂からの雄大な景色
      お天気なら見られた 山頂付近の風景(拝借写真)

この日は 天気予報では “大雨”とのことでしたが、 朝 済南は雨は降っていませんでした。
日頃の行いの善い? 私たち夫婦への祝福かと 感謝して、迎えのガイドさんと一緒にツアーのバスに乗り込みました。 車内は満席で 中国人ばかり、外国人は私たち二人だけでした。

バスを待っている間の出来事です。 市内は道路が広く沢山の車が行き交っていました。
私たちが歩道で立ち話をしていると 信じられない光景が目に飛び込んできました。
比較的広い歩道を 車が走ってくるのです。
何と!  ガイドさんは驚きもせず 避けています。
これって 大丈夫なの?  警察に通報したい気分に駆られましたが、1台だけではなく 何台もやってくるのには驚きました。
中国は 何処でも車優先(自転車や三輪車を含めて)で、 人は肩身の狭い思いをして 歩かなければならないようです。

       ツアーのガイドさんと
 この歩道を 車が走ってきたのですよ!!!


1時間強走ったところで麓の町“泰安”に到着、その頃には かなりの雨が降り始めていて、他の乗客は合羽を求めに店に走りました。

私は 準備宜しく日本から持参の合羽を着て、皆の注目を浴びる事に・・・。
中国では珍しいのか いろいろと尋ねられました。

徒歩で登山する人たちは 此処から登って行きます。
私たちは 山内専用バスで“中天門バスターミナル”へ向います。 

バスターミナルに着いた時には 雨も未だ酷くなく、ロープウエイも動いていましたので、徒歩で登山組みと別れ ロープウエイ乗り場に向いました。
しかし、乗り場に着く頃には 山頂は豪雨との事で ロープウエイの運行は中止されており、やむなく徒歩で登る事にしました。
結構急な階段でしょう!
これを2時間以上も歩かなければならないと聞き、喘息気味の私は早々にリタイヤを決断し、下で夫の帰りを待つことにしました。
下りてきた 夫が言うには、「早く決断してよかった! 上は大変だっので途中で引き返しててきた」そうです。

本来ならこのような景色中を 楽しみながらの登山が出来たのでしょうが・・・。
       泰山 南天門
            (拝借写真)泰山南大門                                                           
この“南大門”あたりで 引き返したそうです。
山頂までは あと40分位だったそうですが、残念!

下りてきた人たちの様子です。
皆 合羽(2~5元)を着ていても ずぶぬれ状態、夫も途中で傘が役に立たなくなり 合羽(10元は高い!)を買って着ていましたが、なんとも惨めな状態でした(お見せできない)。

待っている私は お昼に“刀削面”を食べました。 
大連のはとても美味しいのに 此処のは 全く味が無く 出しの中に麺を 入れただけ? と思えるような 不味い味でした。

下で 土産店を覘きながら 待つこと3時間、大雨の中 じっと夫の帰りを待って たたずむ姿をご想像下さい。


帰りは ご他聞に漏れず ツアーに付き物の 物産店に連れていかれました。
「木魚石加工場」では 夫が書道用にと可愛い水差し(40元)を 「軍関係鉄製品製造所」では 中国包丁3本セット&ピーラー&料理用ハサミ( 258元)を購入しました。

日本では ドイツ製の3本セット(10000円)をテレビショッピングで求めて使っていましたが、それに比べるとこのセットで3500円というお安さ、使い勝手もよく とても得した気分です。

それに お土産に小さなナイフ(15cm位)を何本か貰いました。
このブログを覘いて下さっている方(3名様に限る)に 特典として差し上げます。
興味のある方は 遠慮なくお申し出下さい。
中国ですから何でもありですので 品質は保証しかねますが、店内には 本物らしい“銃弾”や“大砲の弾”が並べられてあり、いかにも“軍関係のお店”をアピールしていました。

因みに 包丁は 「菜刀 (caidao ツァイダオ)と 言います。


“泰山”には 是非お天気の良い時に 改めて登りたいと思ってます。

 

 



 


7/12;済南観光~綺麗な泉で心身をリフレッシュ!②

2009-08-27 09:15:02 | Weblog

“五龍湛”とよばれる 公園は趵突泉の直ぐ近くにありました。

     
此処は 趵突泉に比べると 比較的こじんまりとした公園です。

しかし、この中で驚かされる事が行われていました。

これはモデルさんではありませんよ。
結婚式を済ませたカップルが 後日“ウエディングアルバム”を作る為に 撮影をしているのです。
        
この泉はどういう訳か、撮影スポットとして大人気だそうで、当日も10組近くが撮影を待っていました。
どのカップルも 「どう 私たちが一番よ!」とでも言いたげに モデルさんのように真剣に 堂々とポーズをとっています。

私もハルピンに行った時、友人のを見せてもらいましたが、まるでタレントの写真集のようでした。
中国ではこのような写真集を作らないと 妻への夫の愛がと問われるらしいです。
彼女はその1枚をかなり大きなパネルにして リビングに飾ってありました。

日本も 今はかなり進んでいるようですが、この点では中国の方が先を行っているみたいです。


私たちの時は・・・①内掛けと角隠しを取る  ②新婚旅行用の服に着替える で終わりでした。
しかし、幸運にも 私たちの結婚式の様子を 写真が趣味の夫の先輩が 1冊のアルバムにして プレゼントしてくれました。
ビデオもない時代ですので 今では大事な1冊になっています。

それで、58歳の時 友人と 【ウエディングドレスを着て 記念写真を撮る】企画に参加して、ピンクのウエディングドレスを着て 撮影をしてもらいました。
後日出来上がった写真を見て、「わぁ 素敵! まだ大丈夫ね!」彼女も私も自画自賛、大喜びでした。 アップしてお見せできないのが 残念です。


旅行とは関係のない話をしてしまいました。
次は 私が待望していた「泰山」です。


7/12;済南観光~綺麗な泉で心身をリフレッシュ!①

2009-08-26 22:55:22 | Weblog

済南は別名『泉城』と呼ばれるほど泉が街のあちこちにあり、公園なども整備されています。

 
その中で 最も有名なのが趵突泉しゃくとつせん)です。
とても良質な水が大量に湧き出しています。

      
乾期には、一時期湧き水がストップすることもあるそうですが、
どこかにポンプでもあるのでは?と疑いたくなるほど水が湧き出ています。
   
    
       (拝借した写真)上の写真の 右端の部分です。

この日も 沢山の観光客や市民で賑わっていました。
写真が無くて 残念ですが、子ども達は長い竹筒のような“水鉄砲”で、水を遠くに飛ばしたり かけあったり、楽しそうに遊んでいました。


広い公園の中は 沢山の樹木が植えられており、とても素敵な“水と緑”の空間でした。

因みに 水は 「水(shui シュイ)」、 
         公園は 「公园(gongyuan ゴンユエン)と言います。

 

次は「五龍湛」です。