今日の夕方の報道番組で「盲ろう者」の日本とアメリカの事情についての特集があった。
私は広島時代の7年間、盲ろう者の通訳ガイドの仕事をしていたので、夕食を中断して見入った。
盲ろう者とは眼と耳両方に障害がある人のことなのだが・・・、
普通、盲ろう者と聞くと「盲者」と「ろう者」の別々の人を想像する人が多い。
ヘレンケラーは盲ろう者の代表のような存在で、盲ろう者を理解できない人には「ヘレンケラーのような人のこと」と説明する。
盲ろう者には先天性盲ろう者、盲ベース盲ろう者、ろうベース盲ろう者がいる。
先天性盲ろう者は生まれつきで、意思伝達の方法を持っていないので、成長の過程で指点字や触手話を学んでいく。
盲ベースの方は、以前視覚に障害があって後に聴覚にも障害が出た人なので、伝達方法は指点字。
ろうベースの方は、以前聴覚に障害があって後に視覚にも障害が出た人なので、伝達法方は触手話。
私も通訳ガイドが仕事になる前は「広島盲ろう者友の会」と言う会でボランティアをしていた。
テレビの報道に寄ると、予算の関係で未だにボランティアに頼っている所が多いらしい。
テレビで紹介された盲ろうの大学生も、沢山のボランティアに支えられて大学生生活を送っている。
アメリカでは盲ろう者が(勿論訓練を受けてからではあるが)ガイドを伴わずに一人で街を歩いているのには驚いた。
交差点などに来ると、胸に下げた紙を周囲の人に助けを求め(多分紙には盲ろう者なので助けて欲しいと書かれているのだろう)、周囲の人は気軽に彼を助けていた。
日本では、「人に迷惑をかけてまで・・・」と言う思いが本人にも家族にも強くあって、なかなか気軽に援助を求めることができないようだ。
この報道を見て、日本とアメリカの間にはまだ大きな隔たりがあると感じた。
アメリカには「アメリカ障害者法」と言うのがあり、『教育機関・公共施設・雇用などあらゆる分野で障害を理由にした差別を禁止』している。
それで、大学などでも一定の学力に達していれば盲ろう者でも大学に入学でき、大学が通訳などを提供しなければならない。
自立を目指す盲ろう者は「ヘレンケラーナショナルセンター」で、必要な訓練が受けられる。
日本の盲ろう者の代表的な人物である福島智さん(東京大学先端科学技術研究センター教授)も出演されて、盲ろう者の心情を説明された。
私も何度か福島さんの出席された会議の通訳をした際にお目にかかったことがあるが、とても積極的に盲ろう者の社会参加を訴えている。
アメリカの障害者に対する考え方は「“障害は個性である”、足りないところは出来る人が補ってやればよい」
「共に生きる」という精神である。
日本でも、私が通訳ガイドとして働いている時は「共生」を強く教えられた。
でも、現実はそうではないようだ。
日本も一般の人々の間にアメリカ並みの理解と共生の精神が育ってくれることを願っている。
今、私が生活している中国は障害者の社会参加が全くないようで、街でろう者に出逢うことはほとんどない。
中国に行ったら中国手話を学んでボランティアなどに参加したいと意気込んでいたのだが・・・。
白杖を持った盲人にもまして、盲ろう者にも会うことは無い。
13億もの人口があるのに・・・・障害者が居ないはずはないのだけど・・・・・・。
早く中国にも障害者が社会参加できる時が来ることを祈っている。