mokoangelの青島日記

夫との7年間の中国留学を終え7月に帰国しました
これからの日本での生活を模索中です

平遥⑥~古城観光

2014-05-31 18:22:37 | 旅行

古民居11;40

お腹が一杯になり、疲れも出て来ていたので・・住居はみな同じ形式だろうからと、パスしました


日昇昌(中国票号博物館) 12;00~12;30

日昇昌は清の道光4年(1824年)に平遥で創業した中国初の個人金融機関です。
もともと顔料問屋として全国に支店をもっていた日昇昌は、そのネットワークと財力を活かして金融業を始めました。

このような金融機関のことを「票号」とび、清代末期には実に全国の半分以上にあたる20軒以上の票号が平遥にあったそうです。
中でも日昇昌は特に規模が大きく、幅広い経営を行っていました。
現在は当時の建物を一般公開し、票号に関する資料を展示する博物館となっています

guifang=帳場

xinfang=重要統括部門事務室

zhangfang=経理


部屋を出た所に一人の男性が当時の服装で机に向かい書類を書いていました・・毛筆でとても小さなきちんとした字です

zhongting=応接室、会議室

他にも 厨房chufang(台所)や  后厅houting(大宴会室)もあります



百何十年も前に作られたものなのに・・今でも実際に使っていてももおかしくないようなしっかりした設えです

 

今日の観光予定は大体終わりました

後は城壁の夕陽と古城の夜景を見物するのみとなりましたので

一旦ホテルに帰って休憩し、又、夕方から出かけてくることにしました


ホテル13:00着~1時間少しお昼寝をした後、近くにある長距離バスセンターに様子を見に行きました 

明日は五台山に行くのだけれど、平遥から直接五台山に行く交通の便が無いので・・一旦太原に戻るのです

太原から五台山行の長距離バスに乗って移動します


明日一番の切符がとれました・・・太原まで二人で52元です 
来た時は晋祠に寄り道しましたが560元かかりました


ちょっぴり嫌な思いがよみがえりましたが・・好い経験になったので、勉強代にしては安いものです



北門に着いたのはまだ5時半で・・城壁の夕陽を見るにはまだ時間があるのでぶらつくことにします


特産品としてあちこちに並べられている、漆の宝石箱・・やはり一寸気が乗りません




古城一绝yijue(優れた技)と銘打った袖珍皮影戏xiuzhenpi yingxi(影絵でしょうか)

私は少し興味があったのですが・・時間を考えてか夫が断ってしまいました

 

待つ時の時間はとてもゆっくり流れます

夫と二人で道端にしゃがみ、城壁の上の太陽とにらみっこでです

もうしばらく待ってみると言う夫を残して・・私は北門の城壁に上がります

昨日は北門→西→南門まで歩きましたので・・反対方向を歩いてみようと思ったのです


屋上でハトを飼っている人がいます(こちらは白いハトはあまり見かけません)

西側に比べとても庶民的な香りがします・・屋上に太陽熱温水器が沢山見えます

私は高所恐怖症ではないのですが・・高い所を一人で歩くのはとても不安な感じで途中から引き返しました

 

平遥古城の夕陽

城壁の下から撮った夫の作品


城壁の上から沈む夕日を狙う夫・・・お天気のせいか、カメラのせいか、腕のせいか   ふぅ~!


城壁は6時半閉門になっているのにギリギリ頑張りました・・・

もう少し遅かったら城壁で夜明かしをしなくてはならなかったかも



古城の夜景観賞

私は幼い頃から夜の外出が怖い人なのです・・

田舎でそだったせいでしょうね、お日様が沈むとすぐに家に帰りたくなる好い子です(笑)

旅行に出てもそれは同じで、夕飯を済ませるとすぐにホテルに帰って休むか、ホテルで食事をして休むかです

夫もお酒を飲みませんので夜の街にあまり魅力を感じないようなのです


今回は中国のサイトの口コミで・・

平遥に行って、観て帰らなければ後悔する5つの物の中に、この城壁の夕陽と夜景が入っていました

昨日観光した文庙にもポスターが貼ってありましたので・・益々、これは見て帰らなければと張り切ってしまいました


日が暮れかかっているにも関わらず、人出は増々多くなっているようです

 

 

地元の人に尋ねながらやっと到着です

でも何の変哲もない飲食街に見えます

ロバさんも夜のお仕事?に向けて待機中です・・夜にロバさんに乗って観光するのかな?

 

突き当りにはこんな門がありました

 

夜な夜な不思議な雰囲気に変って行くのかもしれませんね

疲れてしまって、ここのお店でソフトクリームを買い、大の大人が二人でなめなめ帰りました

 

重い足を引きずりながら北門に向けて歩いていると・・耳に懐かしい日本語が飛び込んできました

平遥で聞く初めての日本語です・・・声をかけてみました

やはり日本人ツアーの方々で、平遥観光三日目で明日は洛陽に行くそうです

彼女の話によると昨年に比べて平遥の観光客は十分の一に減っているそうです

 

夜空に浮かぶ北門城楼・・何ともロマンティックです!

 

 

明日は7時半のバスで太原に向かい、太原から五台山に移動します


平遥⑤~古城内観光

2014-05-31 03:29:48 | 旅行

お爺さん運転手に送って貰って東門9:40着、今日は此処から古城内の中央に向かって残りの観光を始めます


清虚观(平遥博物館)
9;45~10;15

 この説明を読むと、ここは唐代に建立された最古最大の道教のお寺で、元、明、清三代の建物が集められ
唐、宋、元、明、清歴代の石碑や色彩の塑像などが保存されているそうです

博物館にも沢山の資料が展示してありましたが、説明しおおせませんのでご了承下さい

 


 花虎殿の入口の木像、右が白虎  左に青龍がいます。


純陽宮;説明には“八仙”の一人の塑吕洞宾を祭ってあると書いてあります


 本殿

三清殿のさらに奥にある真武窟に納められている神像



展示物の中にある、晋劇(山西省に伝わる地方劇)を紹介した人形

京劇を観るのが好きな私たちは、旅行時にはその地方に伝わる地方劇を観ることにしていますので、とても興味深かったです

今回は、調査不足で何処で演じられているのか分からず観ることが出来なくて残念でした

 

華北镖局(為替取扱銀行10;25~10;40

鏢局」とは、為替がまだ広まっていなかった時代、金品輸送をする際の護衛にあたった業者のことです。
今でいえばボディガードの派遣会社といったところでしょうか。この中国鏢局博物館は、明代に鏢局業者が使用していた建物を利用して、武器や金品輸送車の復元模型、資料などを展示しています。敷地内には、武術練習場の跡や金庫が残るなど、他の古建築とは異なる様式が所々に見受けられます。

  どの部屋にかかっていたのか忘れましたが、面白い字を見つけました
色んな漢字を組み合わせて意味のある一つの漢字にするのです 
面白いのでアップしてみましたが、意味が分かりませんので確かめてから追記します


外に井戸のようなものがありましたので覗いてみると・・沢山のお金が投げ込まれています

説明に気づきませんでしたので確かでは有りませんが・・夫に寄ると地下金庫だそうです

 

中国商会博物館10;45~11:10



昼食です
11;15~11;35

 今朝の食事は粟粥と茹で卵だけだったので、二人とももうお腹が空いてきました
お昼なので軽く済まそうと、罐罐牛肉刀削面と書かれたお店に入りました

前回、ホテルのレストランで食べたのとは全く違い、日本の鍋焼きうどんのような感じです

水煮牛肉~香辛料たっぷりのタレがかかった牛肉、少し塩っぱいのを除けば、かなりお美味しく感じるようになりました



軽く済まそうと、麺を注文しておきながら御飯が食べたかったのか、夫は扬州炒饭を注文しました 味はとっても薄く、
是だけだと一寸・・と言う感じですが、牛肉と一緒に食べたのでかなり美味しく感じました
が、案の定食べ切れず(写真ではそんなに多く感じませんが、中国の一人分はとても多いのです)・・3分の2は打包しました

お気づきでしょうが・・この派手な?可愛いテーブルクロス何とも中国らしくないと思われるでしょう?

古城内のレストラン(食堂は別ですが)大体このようなテーブルクロスがかけてありました



続きは後程、お昼休憩の後に


平遥④~「双林寺」

2014-05-30 13:54:13 | 旅行

旅行に出て3日目の朝・・・ゆっくり寝て居たくても習慣で早くに目が覚めてしまう

特に昨夜は歩き疲れて早く休んだので2度寝も出来ず、5時には夫とともに起きだし今日の準備をする

今日は1日平遥を観光する予定なのでゆっくりした気分


下が食堂なのはとても便利・・普通の中国人の朝ご飯と同じ、粟粥と茹で卵でゆっくり食事をする(中国人化した私たち)

 

北門前の広場ではもう観光客が数人記念写真を撮っている

私たちも二人で写った写真が無いので・・その中の一人にお願いしてシャッターを押してもらう



が古城外の双林寺shuanglinsiも観光したいと言う・・先ずは遠い所から見物することにし

タクシーを探すが、早朝のせいか見当たらず・・運よく近くにいた3輪電動車のお爺さんに声をかける

「双林寺までいくらで行ってくれますか?」・・・70元と言うので、50元に値切ったけれど無理だと言う

早朝から働いているお爺さん・・それ以上は何も言えず70元で手を打つ

 

「一緒に記念写真に写って!」とお爺さんにお願いをしたのだけれど・・そっぽを向かれてしまった

しかし、このお爺さんとても良い人なのである


30分ほどで到着するが・・・双林寺の開門は8時半とかで、門には鍵がかかっている

 

 

門前の建物も人の気配が全くしない

お爺さんに断って、付近の散策に出かける

少し歩くと壁に囲まれた小さながある・・夫は危ないから行くなと止めたが、興味があったので入って行く

門から中を覗いてみると・・やはり四合院の作りの建物がある

明、清時代からずっとここに住み続けている人たちであろうか・・・少し閉鎖的な感じがして、早々に立ち去る

余りに遅いので心配になったのか・・運転手のお爺さんが私たちの様子を見に来る

途中で拾ってもらい、双林寺に帰る・・・8時半近いのでそろそろ人々も動き出している


双林寺

門の外で待っていてくれると言うお爺さんを残し・・夫と中に入る(勿論一人40元の参観料金は無料である)

夫が中に入って買った、パンフには・・・ 

 国家級の文化財である双林寺は平遥古城から西南へ約6kmの桥头村qiaotoucunに位置している
今までほぼ完全な形で保存されており、東方のカラー塑像芸術の宝庫と称えられている
塑像には高い写実性と悬像(壁にかけられた塑像)の手法が取られており、それが双林寺の彩色塑像芸術の大きな特色となっている
立体的な視覚効果は抜群でまるで生きているかのように躍動感にあふれた観る者の心をうつのである

と、なぜか日本語で説明されている  (躍動感だけは中国語で跃动感と書かれている)

 


写真を観ながら参観順に並べてみたが・・私は背が低いので、塑像の写真は鉄格子が邪魔をして上手く撮れていないので
夫の写真を拝借した


①天王殿



 天王殿に安置されている帝釈天

 、护法天神


散策した村もそうだったが、この辺の建物は皆、城壁に似た塀で囲まれている
天王殿を出た私たちはその壁に登ってみる

ここからの眺めは美しく・・特に天王殿の屋根の瓦や装飾が素晴らしい!


②娘娘殿

娘娘像


③大雄宝殿

盧舎那仏


④菩薩殿

千手観音

全ての像の周りはこの様な柵で囲われている


⑤千仏殿

自在観音



全部の写真をアップすることはできない・・興味のある方は是非実際に行かれて、この美しく保存された塑像をご覧になることをお勧めします

 

此処にも古木が1本大切に保存されている・・・早朝、観光客が少ない時間に見物できたのでとてもゆったりした気分だった

 


最後に建物から出る時に気付いたのだが・・この敷居の味わいが、悠久の歴史を物語っているようだ

 

運転手のお爺さんは北門に着くと・・70元と言ったのに80元を請求してきた

「お爺さん、あなたもか!?」と思ったけれど・・私たちが見物している間ずっと待っていてくれたのだからそれくらいは当然だと

夫と話し、すぐに80元を支払った



話しには続きがあって・・・お爺さんは私たちを下した後、車止めを乗り越えて車を場内に入れ、私たちに車に乗るように言う

帰る途中に夫が東門に行きたいと言っていたのを覚えていて、私たちを東門まで送ってくれると言う


「もちろん、免费mianfei(只)だよ!」

朝の冷たい風を顔に受けながら・・北門から東門まで結構な距離をお爺さんとの嬉しいドライブとなった


お爺さん、いつまでも元気で観光客を楽しませて下さいね


課外授業~チマキ作り

2014-05-29 17:43:28 | 学校

この2、3日の青島はとても熱く・・気温は25度を超えています、春が来たかと思ったらすぐに夏になってしまうのです

今年は6月2日(旧暦5月5日)が端午节duanwujieで土曜日から3連休です


明日は担任のN老師の授業が無いので・・今日1時間目だけ閲読の授業を受けて課外授業に出かけます

今日の課外授業は・・粽子zongziの作り方を先日の班交流会で食事をした“马克厨艺”で実習します


中国の端午節については毎年、由来、習慣などをブログに書いてきましたが・・今年も初めての方の為に簡単に説明します

この祭日は中国古代の偉大な愛国詩人屈原氏記念に由来する。紀元前340年に生まれた.屈原氏は斉の国と携えて秦の国に抗争するという奇策をもって楚の国王に進言したが受け入れられず、讒言に陥られ左遷された。
紀元前278年五月五日、楚の国が秦の国に併合されたことを聞いた屈原氏は汨羅
江に身を投じて亡楚に殉死した。
当時、屈原氏の殉国を聞いた人々は舟を競い救いにかけたが失敗し、仕方なく棕の葉で食物を包んで川に投げ込んで魚を飼い、雄黄の酒を傾けて川に注ぎ悪竜を追いたて、屈原氏の遺体を護った。以来、端午節になって、ちまきを食べたり、竜舟を競ったり、雄黄の酒を飲んだり、香り袋を着けたり、よもぎを掛けたりするのが人々の習わしとなってきた。

他にも2,3別の説があるが、授業などではこの説を取っている
最近では五色彩线`wusecaixianと言う飾りを手や足に付け、端午節後の最初の雨の河に流すと言う風習があり、
端午節近くになると街のあちこちで五色彩线売りのおばさんを見かける

これは大連時代のある担任の老師のお手製の五色彩线で、クラスの皆にプレゼントしてくれた物だけれど
使うと捨てなくてはならないと思い、使わずにしまっておいた
最近授業でこの話になり・・久しぶりに出してみた  編み方も教えて貰ったのだけれど忘れてしまっている
普通、売っている物はこんなに複雑な物ではなく、ごく簡単な物だ

 

なぜか遅れている同学3名をバス停で待ちます・・その間に記念写真をパチリ!

他の班のタイ人同学も3名参加です(今日の参加者は14名でした)

 


N老師の挨拶で粽子作りが始まります

今日の講師はマークさんではなく、王先生です

①一晩水に漬けて置いた粽の葉を4枚重ね・・

②右手に葉元を持って円錐形を作り・・やはり一晩水に漬けて置いた糯米やピーナツや棗などを入れます

③左手をコの字にして手前からあてがい・・葉先を向こう側からふたのようにかぶせてきます

余った葉先を上手に3角に織り込み(ここが一番難しい)

④凧糸で結びます

我が班の3王子の二人も先生の指導を受け頑張っています(w君は肉が食べられないので欠席です)

後で気が付いたのですが・・2班に分かれて別の部屋でも数人が奮闘していました

出来上がりました!   班長さんも美女と一緒にご満悦です

 

粽作りの実習が終わると・・お待ちかねのお食事タイムです

マークシェフのお料理はとても美味しいので楽しみです・・・今日はどんな料理かな?

 


皆の大好きな肉とジャガイモの炒め煮(有名な料理ののですが、名前を忘れました)

胡瓜のニンニクタレかけ~ニンニクがとてもきつかったのですが、結構食べられました

豆腐料理~得も言われぬお味です  



豆、ピーマン、玉ねぎの和え物

お腹が一杯で、食べていないのでどんなお味だったのか・・・

ジャガイモの炒め物~美味しいのですが、辛くて沢山は食べられません!

粽にはなぜか茹で卵がついています・・・理由は分かりません

 


今回の粽には日本のように味がついていません・・砂糖が出されましたので、皆砂糖を付けて食べていました

中に入っているものの味が染み込んでいて・・私は何もつけなくても美味しく頂けました

 

私は一つでお腹一杯になったので、夫に一つお土産に頂いて帰りました

 

 

 

食後は・・皆でゲームをして遊びました

 

私は日本の「あっち向いて、ホイ!」を紹介し、韓国同学は面白ジャンケンを、老師の提案で中国語のしりとりや

記憶力ゲームなどをして遊びました

 


美味しい物を頂いて・・・大笑いをし・・又、明日から頑張って勉強しましょう!と


N老師の音頭で、おさ湯で乾杯をして散会です


平遥③~南門付近を観光

2014-05-27 17:06:43 | 旅行

城壁から南門に降りてきました・・とても暑く、疲れていたので私はアイス、夫はスプライトを買って休憩しました

どう言う訳で今はないのか分かりませんが、兴国寺xingguosiと言うお寺の基礎の石だけがあり、傍に復元図が掲げてありました


ここから南大街が始まり・・東面の城壁と西面の沙巷街と平行で距離も等しくなっています

南大街はこの古城の背骨(メインストリート)と言われ、沢山老舗や小店が並び最も賑わいを見せている所です

  間違わないように案内板を確認して歩きます

 


雷履泰故住居


 
ここは為替業の創始者 雷履泰の住居

北京の四合院は有名だがこの地方の住宅も皆、四合院の様です

北京の四合院は元代に始まっているので、平遥も影響を受けてきたのでしょうか

 

近も授業で四合院について学んだばかり・・生活の部分まできちっと残っている正真正銘の四合院だったけれど

写真は割愛します


私たちが次の観光場所を探して歩いていると・・中国人の男性が近寄ってきて「この先に是非観ておかなければならない場所があるので
案内するから付いて来なさい!」とさっさと私たちの前を歩き出します


夫によると、「酒臭いにおいがするので胡散臭いと思った」そうですが、私は彼について行くことにします

 

お土産を見て回っていて分かったことですが「漆塗り」はこの地の特産品らしい

 しかし、あまり気に入ったものが無かったので買わずに帰りました

 

ここでもなぜか、このおじさんが私たちにだけ付き添って案内してくれる・・説明は懇切丁寧です

日本人だから好いお客と思われたのか?


此処もしっかり保存された四合院だった


外に出ると・・彼のおじさんが待ち受けていて、「どうだ、面白かっただろう!?」と話しかけてくる

最後には日本語で・・「さようなら!」  何とも愉快なおじさんだった こういう出会いがあるから自由旅は面白い



私たちは更に县衙xianya(県役所)方面に向けて歩く・・・は日本語ではと訳されているが日本の県よりは小規模な物

ここに平遥县(縣)署xianshu(県庁)があった

       広い敷地の中に色んな部門の建物がありました(古木まで)

記録の為にサムネイルにしてあります 説明が付けられなくて申し訳ありませんが、興味のある方は拡大してご覧下さいね

 

役所の業務の一部だろうか、傍に時を告げ钟楼zhonglou(观风楼)があります

登れそうなので上ってみることにします

 

余り高くない塔でしたので・・通りの様子が手に取るように分かります

 


城惶廟henghuangmiao;
城隍とは(城壁のある)街を守る神ののことです

 

 

文庙wenmiao学問と言えば中国では当然孔子を祭っている物と思いますが、中には違う人物の像が置かれていました

 

科举kejuはとても難しく点数順に名前が付けられる

登竜門と言う言葉はは“鲤鱼跳龙门”と言う故事からきています



やっと平遥の1日目の予定の観光が終わりです

通りでは夕飯客目当てのテーブルが用意され始めました


私たちは疲れ過ぎて?外食をする気になりませんでしたので・・偶々見つけた羊肉の串焼きと名物の焼き餅を買って

ホテルでゆっくり食事をしました


それに、運転手さんが教えてくれた平遥特産のジュース(名前を忘れましが、街の至る所に並んでいますのですぐに分かります)

これがとても美味しくて・・ふと思いついてスプライトで割って飲んでみましたら、これがとてもいけるのです!

後の旅行地ではどこにもありませんでしたから本当に特産品なのでしょうね

平遥に行かれることが有りましたら是非お試しください!

 

おまけに・・足ツボマッサージ

揚州旅行した時に、夫が足つぼマッサージ初経験しました

帰り路に足つぼマッサージの女主人に声をかけられ・・夫がやって帰ろうと言います

1時間30元のコースを二人でやってもらいました

とても足が軽くなったような気がしました


平遥②~北門から城壁に登る

2014-05-27 14:16:46 | 旅行

平遥は今回の旅行で初めて聞いた地名です

教科書にも中国の観光名所が度々登場しますので、有名な名胜古迹(名所旧跡)は大体知っているのですが
これ程の街とは知りませんでした


夫のレクチャーを聞き書きしますと

平遥古城は、明代に築かれたレンガ造りの城壁が街を取り囲む城壁都市です。
城内に入る門は、南北に各1か所と東西に各2か所の計6か所のみで
(運転手さんに聞くところによると)北門(拱極門)が
一番大きい門だそうです

城壁のある街は中国には沢山あります(私たちが旅した所では西安、曲阜、荊州など)
平遥古城は特に清代に金融の中心地として栄えましたが清末からの動乱に際して業務継続が困難となり、
20世紀後半には貧困地域に転落しました。

しかしながら、県財政に余裕がなかったために都市の再開発が行われず、
結果として平遥古城には明代初めに造営された町がそのまま残ることとなったのです。



先ずは旅支度を解き、少し休憩をして北門に向かいます

北門前の広場ではもう沢山の人たちが記念写真を撮っています

北門の階段から城壁に登って行くのですが・・入場料は120元の所、老人優遇制度で無料です

今までの旅は半額の所が多かったのですが、この後もどこも無料でしたので、今回の旅は経費がとても安く上がりました


北大街~人があまり歩いていませんが、とても沢山の遊覧バスが走っていて大概の人はそれに乗って観光しています

何故だか、ラクダまで待機しています・・これに乗って観光する人がいるのでしょうか?


階段を上がるとすぐにこの様な地図が有りました

夫はこれを見て・・今日は城壁を北門から南門まで歩き、南門周辺を観光しようと決めました

北門城楼にはガイドさんに引き連れられた団体さんたちが次々に上がってきて

ガイドさんの説明の大きな声が響き渡ります


歩いている途中に、煉瓦に何か刻まれているのに気づきました!

“平遥城砖”中国語ですがご覧になって意味はお分かりですよね・・・一つ一つに刻まれていました

何だか心惹かれてずっと下を向いて歩いておりました


次の日、北門から西門に向かって歩いてみましたが・・刻まれていない所もありました(そこは新しく修築したのでしょうか)

城壁の上には城楼chenglouの他に角楼jiaolou、敌楼dilou等があります

 角楼は文字通り、4つの角に設けられた楼です
 敌楼は72ヶ所もあり、凸凹の部分は3000もあると書かれています
              普通は兵士が休息をし、戦時には武器を置いていたらしいです

城壁の上からも沢山の客栈を見つけました・・
「あっ、あそこに泊まろうかと思っていたんだ!」と調べて置いた客栈の名前を見つけた夫は大きな声を出しています



一部には昔懐かしい香りのする風景がありました・・日本の農家も昔、こんなでしたよね

 

西門の城楼で休んでいると・・・団体さんがやって来て傍に坐りましたので、話しかけてみます

彼らは青島と同様、ビールが有名な宝鸡baoji(西安の西)から来られたとのことでした


城壁から見る街の風景は、中国の時代劇映画のセットのような歴史情緒たっぷりの街並み、まるで箱庭の様です

一気に東門から北門まで歩きたかったのですが・・今日中に観光しておかなければならない所が沢山ありますので

ここで降りて観光します

南門まではかなり歩かなくてはいけませんでしたが・・頑張って歩き通しました!


南門(迎门yingxunmen)~ここからも上って行く観光客が沢山います

もう午後2時半を過ぎています急いで観光しなければ、今日の予定が狂ってしまいます


平遥①~特産料理

2014-05-26 21:10:07 | 旅行

我が家の旅行は・・殆ど夫が計画をして、私はただそれに乗っかるだけです


夫が「今回の旅行は平遥pingyaoにしようと思う」と言われるまで、平遥がどこにあってどんな街なのか全く知りませんでした

偶々、今の相互学習の相手のXさんの故郷で、しかも世界遺産に指定されていると聞いて俄然興味が湧いてきました

さんに見どころや、特産物などの話を聞き、PCでも色々調べて置きました

平遥の名物は牛肉と知って、牛肉大好きな夫はとても期待しているようでした


 
さて、晋祠から包車で1時間40分程(260元)かけて平遥古城に到着です

運転手さんを誘って昼食を一緒に摂ることにしました


何処のお店が美味しいかなどの情報はつかめていませんでしたので

地元の人に聞いてみようと思っていたのでした


注文は運転手さんにお任せしました


先ずは、土豆烧牛肉tudou shaoniurou;ジャガイモと牛肉の煮込みと言ったところでしょうか

大きな牛肉の塊です・・味見をしてみるととても塩気が効いています

ここは内陸なので牛肉を塩漬けにして保存したのではないかと思われます


運転手さんお勧めの栲栳栳kaolaolao;山西省は面食mianshi(小麦粉で作った食品の総称)で有名です

特に刀削面daoxiaomianが有名ですが・・栲栳栳はこの形に特長があるようです


面白い名前なので中国のサイトで調べてみると・・栲栳と言うのは柳の枝や竹で編んだ升形の入れ物のことだそうです

材料は莜麦youmaiと言うカラスムギによく似た燕麦の一種を使っています

やはり山西省名物のお酢にニンニクや唐辛子を入れたタレを付けて食べます

何もつけないで食べてみるととても素朴な味がして・・お味見のつもりがいくつも食べてしまいました


炒碗秃chaowantuは上の栲栳栳も山西省特産の小吃xiaochi(軽食)です


刀削面は中国各地にありますが・・作り方(お味)はまちまちです


以前、世界遺産の一つである山東省の泰山に行った時、名物料理とのことで食べてみましたが

「名物にうまいものなし!」の感を強くしたものでした

他所の刀削面は具はなく、スープだけの所が多いのですが・・

肉や野菜がトッピングされソースも特徴があり、ミートスパゲティを思い出しました


運転手さんのチョイスは的確で、この地の名物料理を味わう事が出来ました・・感謝!

私は刀削面だけで十分だったのですが・・夫と運転手さんはこれにご飯を食べ、たくさん残ってしまいました

残りは運転手さんが喜んで打包して持って帰ってくれました


この食事で99元(今のレートで1600円位)ですからお安いでしょう!

更にこの運転手さん、ご馳走になっただけでは申し訳がないと思ったのか

「ここは泊まれるので、自分が交渉してきてやる」と、1泊168元の所を150元にして貰ってくれました

私たちは古城内の“客栈kezhan”に泊まるつもりで、いくつかピックアップしてきていました


しかし・・運転手さんの好意を無にするわけにもいきませんし

“ご縁”を大切にしている私にはこれもご縁と想えたのです


部屋は特に何の特徴もない普通の部屋でしたが・・お値段も安く

古城の北門のすぐ近くでしたので結果的には好かったのだと思いました



感激の出来事

部屋に入って暫くすると、ドアをノックする音が・・誰?

そこには彼の運転手さんが立っていて・・私の携帯を持った手を差し出した!

あっ、携帯をタクシーの中に落としてきていたのだった


中国では旅行中に携帯を盗まれるのはまれではない

私は瀋陽に旅した時にバスの中で携帯を盗まれた経験がある


届けてくれなくても・・運転手さんが取ったなどと思いもしないだろうに

その時の彼のにこにこした顔は今でも浮かんでくる


中国のタクシー運転手の明暗を味わった一日であった


 

 

今日は遅くなってしまいましたので、ここまでとします

明日は城壁からの古城内の風景をご紹介しますので、お楽しみに


聖餐会に沢山のお客様!

2014-05-25 20:25:17 | 教会

昨日は1日中雨が降っていましたが・・今日はとても良い天気の青島です

しかし・・・旅行中は半袖でも暑かったのに、青島はまだひんやりした感じです



今日は済南から4カップルの訪問者があり・・詳しい話は聞いていませんが山東大学の英語教師たちでしょうか

他にも北京国際支部の指導者が1名とカナダ在住の中国人女性(カナダ国籍?)がお子さん連れで出席されていました


最近は帰国が近づいてきたアメリカ人の兄弟姉妹たちが欠席することが多くなり

寂しい聖餐会が続いていましたが、今日はとても賑やかです


今週末からほとんどの会員が韓国神殿参入の為にソウルに行きます

私たちは今回は残念ですが参加できません


最近の聖餐会では、7月にボストンに伝道に出る韓国人兄弟が私たちの隣に座って中国語で通訳をしてくれます

彼は幼い頃に中国に来て、韓国の大学を卒業し・・今、私たちと同じ学部で中国語を学んでいます

幼い頃から中国語に触れて育ったせいか、とても流暢に中国語を喋ります


今まで彼の弟が通訳をしてくれていたのです

彼も高校を卒業して9月にはソルトレークに伝道に出ます

伝道が終わってから、BYUに留学するそうです


若い人たちは沢山の可能性を秘めて・・何とも羨ましいような気分です!

 

こちらに居る若い外国人は殆ど母語を含めて最低3か国語を話します

ヨーロッパ、ロシア系の学生たちの中には5,6か国語を話す人もいます

私もこちらに来て、英語にチャレンジしてきましたが・・なかなか思う様には行きません

でも、英語を話している人たちの中に居ると、やはり耳が慣れてくるのでしょう・・

何とか言っていることが分かるようになるものです


できるだけ早く、通訳の面倒をかけないで済むように成りたいと思っています


太原市~晋祠公園&晋祠

2014-05-24 20:57:58 | 旅行

晋祠、周の武王の次男唐叔虞を祀るため、北魏代に創建された。
その後もしばしば修理が行われ、北宋代に唐叔虞の母である邑姜を祀るために聖母殿が建立された
殿内に置かれる宋代の侍女像は、それぞれ独特の表情をしている。殿柱には木彫の龍が絡まっていて、訪れる者を威嚇している。 現在では晋祠は博物館となり、周囲は公園として整備されている。
また、晋祠は緑の木々と水が美しくマッチした場所でもある。聖母殿に向かって左にある難老泉では、年中休むことなく水が湧き出ている。泉から湧き出る水は澄みきっており、水底を見ることができる。緑の木々の代表としては、聖母殿に向かって右の横に飛び出すように建っている周柏、関帝廟内にどっしりと立つ隋槐が挙げられる。
難老泉、美しい宋代の侍女像、そして周柏は晋祠三絶と称せられる。   (ふれあい中国の紹介より)

 タクシーを降りた所は何だか広い公園の様で、まだ新しい感じがする

夫の話ではとても古い歴史のある所だと言う話だった・・こんな所にわざわざ嫌な思いをしてくる必要はなかったのに!

等とブツブツ・・・心の中で呟きながら浮かぬ気持ち・・それでもカメラのシャッターはちゃんと押して歩く


ブログを書くために資料を集めていると・・ここは晋祠公園と言う新しい公園の様です

入場料は無料となっている




最近中国で流行のサイクリングツアーも来ている

 



 この説明によるとこの「“唐園”は2007年に再建された」と書かれてある 他の物の説明も読んでみると

大体2007年と書かれているので・・この公園は10年も経たない新しいものと思える

 

全ての資料を翻訳していると、ブログを投稿するまでにとても長い時間が必要となるので不十分な資料で申し訳ありませんが

雰囲気だけでもお楽しみ下さいね

 

以下の建物の詳細についても割愛させて頂きますが

(サムネイルを付けておきますので中国語に興味のある方は拡大してご覧下さい)


照壁

 


飛龍閣

  


 龍興晋陽

 夫も想像していたものとは違う感じに戸惑っている様子・・入場料を取らないのもおかしいなぁ?

 建物の名前は牡丹亭となっているが・・もう牡丹の時期は過ぎて今は芍薬の花盛り





夫の感は当たっていた! (事前の調査が足りないとも言えるが)

ここからが真の晋祠らしく、入場料を払って入れなければならない・・・私たちは老人優遇措置で無料で入る

*PCで入場料を調べてみると70元となっている所が多いが、今は95元に値上がりしています


  

晋祠三絶の一つ~難老泉 この水は外にも流れ出ていて飲んでいる人がいました

 


私がイライラした気持ちでこの晋祠にやって来たのはすでにご承知の通りですが
この晋祠に入った途端何だか不思議な感覚にとらわれました
暫くすると・・イライラも治まり、起こった出来事を思い出しても何とも思わなくなっていました


私は以前から古木を観るのが大好きなのです
木には魂が宿ると言われていますが、特に古木には気を強く感じます
この様に2000年も生き続けている木には本当に強い魂が宿っているようです

目先の下らない事にとらわれてイライラする何て、それこそくだらない事に思えます

本当ならフォトアルバムにして全部をゆっくりご覧いただきたかったのですが・・
何故だかこちらではフォトアルバムがアップできないのです
サムネイルにしてありますので・・興味のある方は拡大してゆっくりご覧下さいね

あなたにも木々たちが何か語りかけてくるかもしれませんよ


晋祠三絶の一つ~周柏

           



古木にはこの様なタグが付けられていて重要に管理されいます

これからも何百年、何千年も生き続けて下さいね



金人台

 他にも何体か並んでいましたが・・腕のとれた彼と握手をしてお別れです



聖母殿


聖母邑姜像

 晋祠三絶の一つ~宋代の侍女像

唐叔虞祠


ここは夫が太原に着いて、時間がある様だったら行ってみようと思っていた所なので、

私は何の予備知識もないままに来たのですが・・ここを観光できて本当に好かったと思っています

建造物に歴史の重みを、沢山の古木たちからも気を頂きました

中国人の間では「太原に来て晋祠に行かないのは、北京に行って故宮に行かないのと同じ」と、言われているそうなので
後で知って後悔せずに済んで好かったです



太原から晋祠まではバスもあるようです

私たちはこの後平遥古城を訪れる予定でした・・晋祠からのアクセスがハッキリしませんので夫は又も包车を選択し

声をかけてきた人の良さそうなおじさんの車に乗り込みました


10時に晋祠を出発した車は11:45に平遥に到着しました

運転手さんも一緒に昼食を摂ろうと・・おすすめのお店に連れて行って貰いました


この続きは次回の平遥古城で・・お楽しみに


一路太原へ・・夜行寝台

2014-05-24 12:15:13 | 旅行

出発前に書きましたが・・今回の旅の目的は山西省にある三つの世界遺産巡りです

その三つとも直接行くことができませんので・・先ずは太原に行き、そこから一つ目の観光地平遥を目指します


青島駅前はまだ地下鉄工事でごたごたしています

一説には今年の4月には開通すると言う事だったのですが・・

PCで調べてみても今年の年末とか、15年の春だとかまちまちでよく分かりません



取り敢えず、駅前のレストランで早めの夕食を摂り構内に入ります

中国の乗り物は大体30分前に改札が始まりますが・・

 この日は乗客が多かったせいか、30分以上前に改札が始まりました



同室はおじいちゃんとおばあちゃん、お孫さんの三人です

このご夫妻は息子さん夫婦が暮らしている青島で、このお孫さんの世話をするために故郷の河北省の省都石家庄shijiazhuangから
出て来られているそうで、今回はお孫さんも一緒に帰郷されるのだそうです


この女の子ちゃんはとても元気でよくおしゃべりをします

ご夫妻の中国語は少し聞き取りにくかったのですが・・ちゃんはしっかりした普通語で、私たちが懸命に覚えた構文を使ってしゃべります

夫と4歳でこんなにしっかり中国語を喋れるんだね!と感心しました

日本人の4歳児もしっかりした日本語をしゃべりますので当たり前の話でしょうが・・・

中国語の勉強の為にずっとおしゃべりをしていたかったのですが・・元気で少しもじっとしていません

 


隣の部屋のもうすぐ4歳の坊やも遊びに来てくれましたが・・余りおしゃべりができずにすぐに帰って行きました


私たちが起きているとちゃんがヒートアップしておじいちゃんたちが大変なので早めに休むことにしました

 

私はどこでもぐっすり休めるのですが・・夫は特に汽車の旅では寝ずに駅名などをチェックしています

ご夫妻とちゃんは朝の5時ごろに夫と握手をして石家庄で降りて行ったそうです(私はぐっすりで気づかず)


中国では一人っ子政策で・・両親と4人の祖父祖母たちが何でも言う事を聞くので小皇帝xiao huangdiと呼ばれています

ちゃんとおじいちゃん、おばあちゃんの様子を見ていて・・「正に!」と、納得しました

 

しかし、ちゃんは賢そうなので・・学校に上がると物事がよく理解できて来て好い子に育って行く感じがします


同じ青島で暮らしているので・・いつか、どこかで偶然に会えたら嬉しいね

 


夫が折角太原に来たのだから、是非晋祠jinciに寄って行きたいと言います

歴史に疎い私は何も知らないで来たのですが・・太原はとても歴史のある街らしいのです

太原は山西高原を南北に貫き黄河に流れる汾河の中流にある。汾河流域にも黄河文明の遺跡が多く古くから文明が栄えた。
また洛陽周辺と北京周辺を結ぶ重要な街道が汾河沿いの盆地を通るため、太原は交通の要衝でもあった。
北方の遊牧民族にとって太原は中原を攻めるための拠点で、漢民族にとって太原は北方の守りの要衝であった。

太原は古くは晋陽と呼ばれ、春秋時代の大国の都邑(主要都市)の一つであった。
晋の有力家系・氏の当主趙鞅(趙簡子)が紀元前497年晋陽の町を築いたことが太原の歴史の始まりとされる


今学期の文化課の授業でよく春秋時代や戦国時代のことが出て来て・・興味を持ち始めています

すぐにでも平遥に向かいたかったのですが・・夫に従うことにしました


所が晋祠までの交通手段がなく、包车(チャーター)するしかありません

すぐに、珍しくパリッとした身なりの男性が声をかけてきました

私たちが日本語で相談していると・・身分証明書のようなものを出して見せ、怪しい者ではないと言います

晋祠まで150元だと言うので・・夫の判断で乗ることにしました


1時間もせずに晋祠につきましたが・・・

この運転手・・・「一人150元と言ったのだ、二人だから300元よこせ!」と言い出しました

私は夫に絶対に300元払ってはいけない、150元をシートにおいて下りるように言ったのですが

他人と争う事の嫌いな夫です・・・すんなりと300元を渡して下りて行きました


私が男だったら取り返したかったのですが

中国語で「あなたは人を騙す悪い人だ!」と叫んで下りて行くのが精一杯でした



この事は後で平遥まで乗ったタクシーの運転手が片道76元くらいだと教えてくれました

それで彼の悪徳運転手も初めは往復の150元(中国では遠距離だと往復の運賃を請求します)だと言ったのでしょう

何時、気が換わったのか?  途中で私たちが日本人だと分かって吹っかけてきたのでしょうか?

兎に角、私は腹の虫が治まらず・・鬱々とした気分にとらわれていました


しかし・・・晋祠の中に入って暫くするとその気分も晴れてきました

なぜ?  それは次の晋祠の記事の中で説明しますね

 

*これから中国を旅する方の為に

もし、長距離タクシーにのる時は初めにしっかり料金を確かめてから乗って下さいね

普通は何人であろうと価格は同じなのですが、時にこの様な悪徳運転手が居ます

以前に、私の同学が北京で3人で100元と言うのでタクシーに乗った所、下りる時に3人だから300元払えと請求され

口論の末、怖くて逃げ出したと言う話を聞いたことが有ります

(すぐ眼の前が自分たちの泊まっているホテルだったのが幸いでした。 その時は100元も払わなかったそうです)


時に常識が通じない時もある中国です