今日の午前中のオプションツアーは「白帝城」
大好きな三国志所縁の地とあって、夫は朝食を済ませると喜んで出かけて行った。
白帝城(はくていじょう)は中国重慶市奉節県の長江三峡に位置する地名。
かつて新末後漢初の群雄公孫述がこの地に築いた城が白帝城と呼ばれたことが由来。永安宮ともいう。
三国時代、蜀(蜀漢)の建国者劉備が夷陵の戦いで呉に敗れ、逃れたのが白帝城。
劉備は後事を諸葛亮に託し、この城で没した。
『三国志演義』では、一度呉の将陸遜に夷陵追撃戦として白帝城を攻撃されるが、
あらかじめ諸葛亮が仕掛けておいた石兵八陣により敗走する。
後の唐の時代の詩人李白は『早発白帝城』(早に白帝城を発す)という詩を残している。
2005年現在は三峡ダムの開発により完全に孤島化されるとされている。
2006年に中華人民共和国の全国重点文物保護単位に指定された。
ツアーの人たちが帰船後出港(11時過ぎ) 白帝城の下を通り下流の瞿塘峡qutangxiaを抜けて巫山へ向かう。
狭い山間に入っていく・・・正面に見えるのは特徴的な赤甲山chijiashan
全てにスケールの大きさを感じながら・・船はゆっくりと進み・・何ともゆったりとした気分を味わう
長江三峡下りの中間、巫峡に差し掛かる場所にある大寧河は「小三峡」と呼ばれている
全長143km、長江との合流地点から「龍門峡(別名:羅門峡)」「巴霧峡(別名:鉄棺峡)」「滴翠峡」があり、
長江三峡に比べ規模は小さめだが、その景色、繊細な風情はまた違った趣を楽しませてくれる。
三峡ダムの完成後、水位が40m上昇したことにより浅く険しかった流れが改善され、より遊覧しやすくなった。
世界最古とされる龍門峡の桟道など、一部の観光ポイントが沈んでしまった反面、以前は船では行けなかった
「滴水峡」まで遊覧できるようになり、遠くて見づらかった絶壁に置かれた棺桶(懸棺)も見やすくなった。
昼食後・・
この小さな船に乗り換え小三峡観光に出かける
【龍門峡】(地図②)
小三峡の入り口、両側に山が向かい合い、まるで長江三峡の瞿塘峡のよう。峡内に184mの橋「龍門橋」があり、龍門のように見える。水底の落差が激しく、水量の多いときには流れが激しくなる。
龍門峡出口辺りは「銀窩灘」と呼ばれ、水位が上昇する以前、流れが険しく多くの船が転覆し、河底の財宝を取りに行く場所と言われた。
【巴霧峡】(地図④)
全長10km、峡内の河を「巴霧河」といい、いろんな形の鍾乳石や両岸から聞こえる野生のサルの鳴き声などが見所。
水位上昇前、東側の岸の絶壁に戦国時代の巴国人の鉄製の棺桶が見られたことから、別名「鉄棺峡」とも呼ばれている。
滴翠峡を過ぎた所で引き返す
【滴翠峡】(地図⑤)
全長20㎞、とても神秘的な景色で有名なところ。両岸の絶壁に小さな穴があり、そこから流れ出る水は鍾乳石をつたって落ち、夏には5-6mほどの滝になり、また、絶壁から水が吹き出ている場所もあり、水しぶきが霧になって降ってくる。
私たちは景色がよく見えるように2階の席に座りましたが、ガイドさんは1階で説明をしていたので
色んな伝説がある場所があるようでしたが、よく分かりませんでした(残念)
このクルーズには小さな男の子と女の子が参加していましたが、男の子の方が私に興味を持って
何かとちょっかいを出してくるので、誘いに乗って一緒に遊びました。
楽しかったね