昨晩、娘がつけたテレビを何気なく観ていた。
番組名は分からないが、タレントの悩みを聞いて? 各界の専門家がそれに対して意見を述べるというものであった。
ある男性タレントの悩みに対する回答に強く心を惹かれた。
「自分は愛されない性格みたい・・恋愛が長く続かない。」 みたいな内容だったように思う
初めは何気なく見ていたので詳しくは覚えていないが・・・・
ある回答者が「あなたは幼いころから愛されたという経験がないでしょう。
幼いころに家族から裏切られたという経験があるのではないですか?」と言う問いかけがあった。
そのタレントは自分が受けた幼いころの経験を話し、
「友達や恋人は他人・・血の繋がった家族でさえ自分を捨てたのだから、
まして他人は簡単に自分のもとから去ってしまうだろうという思いが拭いきれない」と話した。
回答者の話もそんなに真剣に聞いていたわけではなかったので、聞き違いもあるかも知れないが
最後の「自分のつらかった思いを我慢せずに口に出して・・そして、自分を好きになることです。
そこから始めて下さい。」という言葉が心に残った。
私もそう思う。
私も・・・長い人生の中で耐え切れない試練にあったことがある。
少々精神にも異常をきたし・・鬱々とした生活を続けたこともある。
しかし・・色々考え、また、信仰を通して分かったことは・・「何事も自分次第である」だ
どんな状況にあっても自分の心が侵されなければ、きちんとした自分を保っていける
若いころにラジオから流れてくる人生相談の相談者へのコメントが私の人生に大きく影響を与えた。
「向上心を持つのは良いことですが、今の自分を否定してはいけません。
今の自分を認め、受け入れなければ他人も心から受け入れることはできません。」
そのラジオから流れてくる言葉を聞いて、瞬時に“私は今の自分を認めてはない(好きではない)!”ことを悟った。
それまでの私は生活に何の問題がある訳でもないのに満足感がなく、いつも心が不安定な状態にあった
「人から好かれたい! 愛されたい!」と願うなら、先ず自分が自分を好きになって・・愛することが必要なのだ。
自分が好きでない人間を他人が好きになってくれるだろうか?
それから、私は人が自分をどう思っているかより、自分が現在の自分をどう思っているかに注目した。
そして・・信仰を持つようになって、“神の子”としての自分の価値に気づき、自負を持つようになった。
「愛される」から「愛する」に気持ちも変化した。
「誰からも愛されていない」と自分が感じる事があっても、神様だけは自分を愛していて下さるという安心感がある。
そして、神様が望まれるように「人を愛し、助けることができる自分になる」ことを意識して生活していると
自分の周りのマイナス条件などはあまり気にならなくなってくる
いま、中国で生活していて色んな価値観と出会う。
先日も、タクシーの運転手に日本人であることを理由に不快感を示されたが
私は「国と国の問題は別として中国人と日本人は仲良くしていく必要があると思う。
昔の戦争時のことは忘れてはいけないとは思うけど、私たちは仲良くしていきましょう!」と拙い中国語で話した。
その後は運転手は何も言わず・・タクシーから降ろされるということもなく、楽しく?別の話をしながら
無事宿舎に帰り着くことができた。
これからも、自分を愛し、人を愛し、国を愛し、世界を愛しながら、楽しい日々を送っていきたいと願っている