対岸から望む石窟郡(拝借写真)
洛陽はBC770年に周の都が置かれて以来、北魏、隋、唐など9王朝の都が置かれ、「九朝古都」とも呼ばれる。広い盆地にあるが、山中や川沿いの狭い道からしか入れず、守備に適していたからだ。
とくに洛陽から南へ14km、伊河に石灰石の山塊、東からは香山、西からは竜門山が迫るあたりは、天然の”城門”になっていた。
北魏の洛陽遷都(AD494年)ころから、その石灰岩の山腹に石仏が彫られるようになった。
竜門石窟は、敦煌、大同と並んで中国三大石窟に数えられる。
宋代まで、歴代の皇帝、貴族、豪商らの寄進で造営された石窟は2354窟、仏塔40余基、仏像10万体に上る。
入場券に印刷された、竜門石窟の代表とされる竜門山中央の岩壁に彫られた
奉先寺洞の廬舎那大仏像
ここからバスに乗って石窟まで行きます。かなり広いです。
大きな石窟には名前が付けられていますが、不勉強でよく分かりません。
見物客はこんな階段を歩いて、岩壁の石仏をたどって行きます。
記念撮影用?の蓮台に座って、仏様気分?
とても悲しかったのは、顔の削り取られたものや頭のない石仏が沢山あった事です。 破壊が酷いのは長い歴史の中で、仏教を禁止した王朝があったり、1930年代に酷い盗掘があったりしたからだそうです。
私がカメラを向けているのは、伊河をはさんだ対岸の香山寺です。ここからは、石窟群が蜂の巣のように見え(最所の拝借写真)、霞んでいたので写真でははっきり分かりませんが川辺の風景は抜群で、則天武后は千騎を従えてここに登ったそうです。ここの素晴らしさは唐の詩人、杜甫や李白もこの地を訪れて詩を詠んでおり、白居易は晩年をこの寺ですごした事でも分かります。
いよいよ最後の「少林寺」です。