Tik's little window 

スポーツ観戦&体験記、
映画&ドラマ鑑賞記、
日々の出来事などを、綴ってまいります

”ただお前がいい”な人………松山千春コンサートをみて

2021-06-13 13:42:00 | 思い出
青春時代、ギターとフォークソングが、いつもそばにあった。

中学時代、初めての引っ越し。新しい家初めての個室。そろりそろり、覚えたてのコードで、弾き語りしていた「ふれあい」。寂しさを言葉にするのが、難しくて。

秋田から東京へ、夢をかなえるための資金稼ぎの場所で、出会った彼は同郷出身の先輩。
片思いの終わりに流れていた中島みゆき「玲子」「化粧」。

一年後、夢のために選んだ新しい生活。昼間は学校、習いもの。夜、生活費稼ぎ。
そう今のドラマ「コントが始まる」の主人公の妹のようにバイト。お店には、ガットギター二本とタンバリン一つ。カラオケなどない時代、お客さん弾き語りしたり、ママさんも一緒になって、にぎやかな演奏会のようになったり。

自分も、少しだけ弾ける曲だけ、弾き語り。歌詞とコードが書かかれた歌ファイルを開いては、今も時々引いてみる。「アザミ嬢のララバイ」「ホームにて」「遠くで汽笛を聞きながら」「思えば遠くへきたもんだ」「桜三月散歩道」「言葉にできない」「落葉」「流星」「プカプカ」(ママの十八番の一つ)……

中島みゆき、小椋桂、オフコース、さだまさし、海援隊、アリス、井上陽水、etc・・・・



思い出の人は、カウンターで、松山千春を引いていた。

「恋」「時のいたずら」

松山千春のコンサートの番組を録画してみていた時、彼「TANI」さんの思い出が一気によみがえってきた。

北海道から出て来た時は、ギターで歌っていたかったような話を聞いた。いろいろあって、いきなり男の子と女の子の父親に。お店を離れても、年に二度、新年会と花見に合う飲み仲間。引っ越し先から、糖尿病で目が見えなくなってきてお酒も少ししか飲めなくても、家族会になった新年会でも、TANI さんは、やってきてくれた。

結婚する前からの付き合いは、気が付けば家族ぐるみ。ずっと会えなくても、TANIさんは、すぐそこにいる存在だった。意識不明になり、ギターコードも忘れても、我が家にはたどり着けたTANIさん。

ケガした足を切断することになったと、連絡が入り病院へ。好きな曲でつくったCDを持参して、片足歩行リハビリを応援した日から、2か月後の正月、電話で元気な声を聴き、会いに行くよ!と約束した2か月後、彼は旅立った。
 
本名で読んだことはない。松山千春の歌が、とてもうまくて、とても似合っていて、いつもにやっと笑ってくれたTANI さんのお通夜に、電車を乗り継ぎたどり着いた。我が家に来てくれたお子様たちは、皆立派になって迎えてくれた。

フォークソングならぬ、お経の大合唱。

びっくりした自分と相方に「本人が一番びっくりしているでしょう」とクスッと奥様。


ただそこにいてくれた、大切な恩人の一人、弾き語りする姿は今でもすぐ目に浮かんでくる。

松山千春が語る姿に、TANI さんとの思い出が蘇り重なり、胸が熱くなった。

たくさんの曲と一緒にいつまでも、心の中に元気なTANI さんが戻ってくる。

またギターであのころのフォークソングたちを弾きたくなってきた。

TANI さん、感謝。
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癒し癒される繋がりに感謝……七五三写真騒動と笑顔に寄せて

2021-05-16 13:19:00 | 思い出
孫の七五三の写真撮りは、この季節。

娘の頃は、一日行事だったが、今では、お写真&お宮参りで、春と秋の二回楽しめるパターンも多くなったようで、一時間くらい、と言われたが、行ってみれば3時間が過ぎることにあせあせ

確か3年前も・・・。コロナ禍で甘く見た娘!?やはり状況は変わらず、賑やか混んでる!

泣く子をあやすスタッフに、何とか笑顔をと必死のスタッフ。
赤ちゃんは大変なのは職業柄周知の事実。朝は行かない!と、荒れていた孫とは思えぬ、スマイル満載で(お色直しは結婚式だが)和服にドレス2着を着ることに。写真撮れば、欲しくなるのは親心。しっかり気持つかまれてましたあせあせ

そう言えば、娘の結婚式の写真でも、とわが身を振り返るあせあせ。なかなかないことで思い出でと、あれもこれも。

コロナ禍のささやかな楽しみで、と、ひとり呟いてみたりほっとした顔

しかし3時間頑張った後遺症exclamation & question天使が、悪魔になってやって来た。

発散お遊び?!しっかり、3時間お相手。もう一人付き添い役兄ちゃんも、遊びほうけ宿題やり切れず叱られキレて夜襲。自分がいけないんだから、泣かせとけ!と娘。

しばし、見守るが、なんども泣き叫び助けを求められると、昼間の疲れを身に染みて感じている、じじばばは、さすがに手を出して、何とか打開策をひねりだす。

大人が疲れているなら、子供はなおさら。叱られるのはもっともで、わかっているけど、そこを突かれて泣きわめく気持ちは、じじばばになると、受け止めてしまう。

親なら、押しの一手、力で攻め込むが、年を重ねると、さすがに、弱みを責めるより、気持ちに寄り添い動かす手もありと。

力で責めて押すのと、気持ちで受けて寄り添うのと、両者を両親で、使い分ける余裕は、コロナ禍、発散がなかなかできない心理状態、さらにお疲れの今日は、なかなかできないことも、納得。

振り返れば、子供より介護優先だった、自分も反省するばかりの子育て。罪滅ぼしのように、出来る時は、孫の相手を。(とはいえ、父の介護は、最優先は、昔と同じ)

そんなヘロヘロな夜に、クィーン繋がりからの嬉しい癒しの音楽の画像がネットで届いて、ウルウルポロポロ。ありがたい繋がりに感謝。

30年前、介護&子育て真っ盛りで落ち込んでいた未熟な自分は、ジャッキーファンの文通(まだメールはなかった)で知り合った姐さんからの、言葉や笑顔のジャッキーの写真に、何度も救われた。(彼女は、母より半年早く、ジャッキーの誕生日に、この世を去ったが、彼女を見舞って繋がった仲間との縁は、今も続いている)

沢山の人のつながりに支えてもらって、今の自分がいる。今の笑顔がある。

感謝の気持ちを次の世代に、つばげていきたいと、100年にぶりのウィルス災害に遭遇した、孫たちの笑顔動画を見ながら思う。

1日も早く、公園で子供たちが、友達と時を忘れて、マスクも忘れて、遊べる日が来ますように!ただただ、祈り願うばかり。

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フライング気味の父の紅葉狩り・・・・思い出とお気に入りたちに囲まれて

2020-11-10 11:39:00 | 思い出
紅葉狩りの季節、高尾山に、父と相方と出かけて来ました。

手術入院した父が退院したら、行きたいと、言っていた高尾山ドライブ。

父にとっては、5年以上ぶりの高尾山。当時は一人で、電車に乗って出かけていたが、今回は、デイサービスをお休みし、渋滞を避け平日早朝お出かけ。

混雑が始まる頃には駐車場出発し、まさかの午前中帰宅となりました。まだまだ、紅葉真っ盛りにはほど遠いが、ケーブルカーに揺られ、まぶしく暖かい日差しを浴びながら遠くの景色を眺め、ところどころの紅葉を味わい、お土産の名物お菓子も手に入れて、満足げな父の顔にホッ。

8月の父の救急車での入院から始まった、検査、入院手術がやっとひと段落し、先週、遅い衣変えで、屋根裏部屋へ。
自分のお楽しみが詰まった空間は、季節の服と一緒に、お気に入りたちと、久しぶりに、ひと時のお楽しみタイム。

千葉ちゃん、キイハンター、ジャッキー、マイケル、クィーン、その他お気に入りたちの本に、ビデオ、カセットテープ、MD、映画や舞台のプログラム、端切れや古着等、捨てられない思い出の詰まったものたち。
少しずつさよなら片付け整理もしてはいるが、多忙を理由に、進展はゆっくり、ゆっくり。

様々な資料が入った紙袋の一つ、所々破けてだいぶボロボロ。母の、8年前の入退院時の印刷物から葬儀資料までぎっしり。書くのが好き(癖⁈)だったら母の日記は沢山あるが、8年前、上京してからの日記には、入院中の同室の方の名前や食事のメニューまで、休みつつ春から秋まで書かれている。

雪道、車運転中、母が異変に気づき、脳の血腫が発覚。手術の為、自分たちの恒例の花見に合わせ、秋田から満開の東京に夫婦でやってきた。

近くの病院で手術し秋には戻る予定だったが、手術で、15年前に手術したメラノーマの転移が発覚。転移した肺の手術、脳の放射線治療、肺の再発入院、約半年戦いに力尽きた母。

意識混濁から、個室での付き添いが始まった。意識が無くなっても、父と朝から夜まで病室で過ごした約二か月。危篤といわれてからラスト、2週間、叔母たちと、病院に泊まり込んだ。

秋田に帰りたがった時期もあった父だが、家での介護から入院、看取るまで、側で見守り続けた。

母が、遺した、手帳に走り書きの遺書は、最初の脳の手術の時のもの。

父への言葉

「○○さん、楽しかったね。」

お父さんと、読んでいた母が、父を名前で呼んだ言葉。今でも忘れられない。初めて知った二人の絆。

8年前の秋、平日午後6時、看護師さんと、父と看取った。その時から、父と言うより、母の大切な人、宝物を、預かった思いで、父と暮らしている。


父の入院手術で、命日はあっという間に過ぎ、来月は、白内障の手術が控えている。この秋、卒寿を迎え、ひ孫たちにも祝ってもらったが、8歳年下の愛妻に先立たれた寂しさを埋めることは、誰にもできない。

あの世で母に会えるその日まで、母に渡すその日まで、少しでも、笑顔でいられるように、父と向かいあいたいと思う。


その為に、自分のお気に入りたちが、いつでも、私のそばにいて、パワーを充電してくれる。

もちろん家族も、忘れていないけれど。疲れを癒すには、やっぱり、お気に入りたちが一番。

秋と言えば、2年前、「ボヘミアンラブソティー」と、初めて出会った。理屈無しに、胸に詰まった思いを、何度も、涙と一緒に、気持良く流し癒してもらった。


秋の夜長、なんだか気持ちよく泣きたい気分になってきた。もちろん、独りで、じっくり見ながら、聞きながら・・・・・
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無鉄砲で怖いもの知らずで、これからも...熱くて優しい繋がりに感謝

2020-10-08 13:58:00 | 思い出
20歳そこそこの、あお~~い時代、無鉄砲怖いもの知らずで、 仲間、友人、知り合いの力を借り、夢を形にしたことがある。

それは、ある晩、夢だった思いを、友人(今では恩人)に語り、協力を求めたことから始まった。周りの迷惑省みず、自分の技量は横に置き、動けるだけ動き回り、聞けるだけの耳で仲間の話を聞きつつも、エゴたっぷりに、ささやかな軍資金をかき集め、乏しい知識をかき集め、
沢山の友人仲間知り合いの援助で、たった二回の夢を実現。

遠い昔の事、だが感謝の気持ちは時がたつほど大きくなる。
最後までやり通しやり終えた事だけは、今の自分に、大きな支えとなって生き続けている。(自分のトラウマの一つが、小学生時代成績表に罰点が付いていた「最後までやり抜く子」と言う言葉)


昨年、ピアノを初めて半年過ぎてであった映画「ボヘミアンラブソティー」。気持ちよく泣きたくなると一週間に二度も映画館へ行ったりして、クィーン、フレディ、そしてロック、ほとんど未知の世界に足を踏み入れ、ピアノ弾くフレディに憧れ、楽譜購入するも、なんとかポロンポロン。

新コロナの騒ぎが始まった今年の春出会った、フレディ愛あふれるブログ&ピアノ愛いっぱいのブログをフォローし、新しいアメバブロの世界へ迷い込む。

仲間への憧れ、ものつくりへの憧れは、胸の奥でくすぶりつづけ、この春、始まったクィーン1分演奏にはまってしまった。リレーの思いのこもった演奏、熱く暖かい繋がりを紡いでいくように、続くいていくブログに、楽しく、時に、ウルウルしながら、読み聞いていた。

そして、ブログには、毎回、ラストの「ご参加ください~」の声が。

遂に、無鉄砲怖いもの知らずの自分が、頭をもたげてしまった。

必死でカメラを固定して見たり、音量を編集するアプリ探してみたり、一分間なのに、とちる!椅子がきしむ!車や隣の声が!! 皆が簡単に動画投稿できる時代に、DVDやビデオテープを編集していたおばさんが、何もわからぬまま、入り込んでしまった。

思いは、クィーン&フレディへの憧れ、そして、沢山の熱い思いの暖かい繋がりへの自分なりの感謝。フレディの歌う姿を思いながらの必死の一分。大切な心のこもったバトン持受け渡すことは、なんとか出来た。嬉しくありがたい瞬間だった。

ほんの一分でも、昔の思いがよみがえり、ご指導援助いただきながら、途中で投げ出さず、バトン落とさず、形に出来た事に、充分に満足、安堵。

結局、無鉄砲でこわいもの知らずな自分は、相変わらず。父の介護が続く中でも、胸の奥が、ざわざわ。気のせいか?! 先日、夢実現に手をかしてくれた仲間と、久々の電話で、思い出話。
○十年ぶりに再開する約束をした。コロナ次第だが...。

あと何年いただいている寿命かわかりませんが、人生後半戦、お楽しみは、まだこれから...な・の・か・も...

(相方の不安そうなな顔が、目に浮かんできた)
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夏の日の思い出、何年たっても、忘れないもの、忘れてはならないもの ......「アンネの日記」

2020-08-21 16:26:00 | 思い出
6月末に映画館で一度映画を見てから、またも、コロナの勢いに押されて、映画館に足を運べなくなり、雪山映画や、山岳映画で熱い思いを感じた7月も過ぎ、モーレツに熱~い日々がやってきた。

 夏休みが、あるのかないのかわからない新コロナ吹き荒れる今年の8月。終戦記念日に合わせ、第二次世界大戦にまつわる映画やドキュメンタリーが、今年も沢山放送され、中でも、アンネフランクに関するものと、3人の独裁者のドキュメンタリーを見て、何度も鳥肌が立ってしまった。

 遠い夏の日、「アンネの日記」の稽古をしていた、毎年のお楽しみ部活の夏合宿。なぜその演目になったのか、先輩の誰かが持ち込んだ脚本だったのか、古い高校の図書室の奥から見つけ出したのか定かではないが、無知な自分はひたすら資料集めの自習。(ナチスとか、ガス室とか、言葉は、「キイハンター」で聞いていたが)
 今でも、偶然見た深夜映画の「ニュールンベルグ裁判」の衝撃や、アウシュビッツの金歯や靴の山の写真は、頭に焼き付いている。
 
 多くの屍の映像が、新コロナで亡くなった多くの人々と重なった。今年は、過去とは違う静かな戦いが続く夏。沢山の人たちが、離れ離れになっている状況は、遠い戦い日のようでもあり、全く違うともいえる。新コロナウィルスとの戦いを終息へと向かわせるのは、世界の人々の英知と協調が欠かせないと、信じている。

 家族と自宅にいて、携帯、PCに向かい、ネットで無事を喜び合い、テレビや映画で、笑いや勇気を貰う夏。猛暑の中でも、庭の花は、可憐な花を咲かせている。

 ラストのアンネの台詞が、また突然、頭にうかんでくる。

「私は信じているの、人の心は、絶対にいいものだって」

 入院していた父が戻り、自分の介護の夏休みが終わった。来月の卒寿を目前にした父の、猛暑との戦いは始まったばかり。

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