物す屋です
いいお琴ではなくイイおとこについて考えてみている
自分発言の「イイオトコ」は
ワタシのなかでは相当な褒め言葉に値する
読んでくださっている方の中に
密かに「イイオトコ」と評された方もいたりもするので
力強く喜びを感じていただければと思う
ワタシに褒められても嬉しくないかもだが(ごめん)
ワタシがイイおとこと言ったからといって
それが「異性として好き」とイコールではない
それは案外「好き」とワタシが言うより
もしかしたら貴重で稀少かもしれない
そう思って振り返ってみると
自分が「イイおとこ」だと思った人は
今までに5人
結構少なかったりする
その数人が
それじゃそれまでに出会った星の数ほどとはいわないが
それ以外の男性と何が違うのかと考えてみる
何が違うのか
そしてその5人に共通する点は何か
何が同じなのか
それは・・・・・・
わからん(オイオイ)
それはその人たちがそれぞれ「その人らしく」
その人の人生を歩んでいるようにワタシには見える
というくらいのことで
実はそれが答えだったりする(かもしれない)
その人たちは
多面で立体そして生身の人間であるがままに
色んな面を色んな形で見せ
そして生ものだけに
イキがいいときもあれば
意気が下がるときもあるしで
いつもいつもワタシに
格好良いところやそれこそ良いところばかりを
見せてはこない
ときにグダグダだったり
たまに情けなかったり
それに凹んでみたりで
なんか割に格好悪いかもしれない
その格好悪ささえも
それは「その人のその人らしさ」として
ワタシにはガツーンと響いてくる
この人は間違いなく
この人の人生を生々しく送っているのだということに
気付けることが嬉しかったりする
どんなに格好良くても
どんなに自分好みでも
どんなに好きになっても
それが「イイおとこ」評には繋がらない
ある意味
格好良いとか自分好みとか好きとかは
こう言っちゃ身も蓋もないけど
「他に代わりはいる」と思ってしまう
(それもどうかと思うけれど)
でもその人らしさに対しての「イイおとこ」は
その人にしか感じられない
そういう人に稀に巡り会えると
ヨッシャという気になって
すごくすごく嬉しい(まさに満面の笑みでニヤリ)