モノスヤ☆のまきのテケテケあるある記。

花柳仲登嗣(モノスヤ)&仲真央(のまき)のコンビは2013年もブルワーズ青木を鋭意応援して生きます!!芸道も精進ちゅ♪

イイおとこ考

2005-09-20 21:13:23 | いろんな話。

物す屋です

いいお琴ではなくイイおとこについて考えてみている
自分発言の「イイオトコ」は
ワタシのなかでは相当な褒め言葉に値する

読んでくださっている方の中に
密かに「イイオトコ」と評された方もいたりもするので
力強く喜びを感じていただければと思う

ワタシに褒められても嬉しくないかもだが(ごめん)


ワタシがイイおとこと言ったからといって
それが「異性として好き」とイコールではない
それは案外「好き」とワタシが言うより
もしかしたら貴重で稀少かもしれない

そう思って振り返ってみると
自分が「イイおとこ」だと思った人は
今までに5人

結構少なかったりする

その数人が
それじゃそれまでに出会った星の数ほどとはいわないが
それ以外の男性と何が違うのかと考えてみる

何が違うのか

そしてその5人に共通する点は何か

何が同じなのか

それは・・・・・・
わからん(オイオイ)

それはその人たちがそれぞれ「その人らしく」
その人の人生を歩んでいるようにワタシには見える
というくらいのことで

実はそれが答えだったりする(かもしれない)


その人たちは
多面で立体そして生身の人間であるがままに
色んな面を色んな形で見せ
そして生ものだけに
イキがいいときもあれば
意気が下がるときもあるしで

いつもいつもワタシに
格好良いところやそれこそ良いところばかりを
見せてはこない

ときにグダグダだったり
たまに情けなかったり
それに凹んでみたりで

なんか割に格好悪いかもしれない
その格好悪ささえも
それは「その人のその人らしさ」として

ワタシにはガツーンと響いてくる


この人は間違いなく
この人の人生を生々しく送っているのだということに
気付けることが嬉しかったりする


どんなに格好良くても
どんなに自分好みでも
どんなに好きになっても

それが「イイおとこ」評には繋がらない

ある意味
格好良いとか自分好みとか好きとかは
こう言っちゃ身も蓋もないけど
「他に代わりはいる」と思ってしまう
(それもどうかと思うけれど)

でもその人らしさに対しての「イイおとこ」は
その人にしか感じられない

そういう人に稀に巡り会えると

ヨッシャという気になって
すごくすごく嬉しい(まさに満面の笑みでニヤリ)

笑い上戸

2005-09-20 18:44:24 | いろんな話。

物す屋です
「笑い上戸」は「わらいうえと(あや)」ではありません

自分
意外にと思われもするのですが
実はかなりの「緊張しい屋」なのです

初対面の方にお目に掛かるとなったとき
興奮状態マックスで眠れぬ夜になったり
異常にノドが渇いたりします

落ち着きがなくなり
視線が定まらなくなり
情緒不安定になり
挙動不審になります

というわけで
会ってみたい方にお目通りかなうことになり

その方が来てくださるという話もあったりしたのですが

たぶん待っているあいだに(極度の緊張で)
貧血が起きそうな予感がしたので

それで自分から出向くことにしました

取り合えず運転しているあいだは
その運転という作業に集中できるから
余計な緊張感に陥らずに済むからです

その選択をして正解でした

予定していた時間に到着できず
はかはかハラハラどきどきムネムネしながらも

とにかくその場所にたどり着くことに必死で

無事に着いたら何だか安心して
眠気が襲ってくる始末とは情けない


さて
その初対面の顛末は・・・・・・

ご丁寧なご挨拶いただいたにも関わらず
自分としたことが
先方に目を合わせることもできないくらい舞い上がっていて

そして
緊張を意味のない笑いの渦に巻いて
誤魔化してしまえ的な
それさえも
既に見透かされている有り様で

完璧にノックアウト
ノックダウン
腰砕け状態で

ただひたすらに恥ずかしいのひと言

自分が肉欠乏状態なことを理解してくださり
一緒にニクしていただき

おまけに
「コーヒーおごってください♪(←ちゃっかり)」
との言葉にも快く応じてくださり

もう本当に
この場を借りて
御礼申し上げます


って
ここで御礼言っても駄目か

今日のご恩返しは
いつの日にか


肉体(労働)で
お返しいたします(拝)

5000

2005-09-20 18:20:04 | いろんな話。

物す屋です

6月1日からの新しい相棒の
5000キロが初めての土地で記録されたのが
ハンドルを握りながらふと視線を落としたときに
目に飛び込んできて
感慨深く眺めていました

(運転中に危ないですとの突っ込みは無効)

私がマイカーのオーナー(響きだけは立派)になってから
12年あまり
過去のすべての相棒の
総走行距離は15万キロというところでしょうか

私は度重なる事情で
その12年のあいだで車を5台も乗り換えてきています

それはあまりにも贅沢ともいえ
でも現実はそんなに優雅でもなく

車の乗り換えのたびに
大きな転機や事件(事故ではない)が起こり
長くても4年ほどで手放すことになった愛車それぞれに
並々ならぬ思い入れを残しながら

結構
女なんて前向きで過去を振り返らないタイプらしく
換われば換わったなりに
その車その状況に順応していく自分を

我ながら怖ろしい女だと思っています

ちなみに
今の相棒とは3ヶ月の付き合いですが
相性はかなりいいようです

何処に行くのでも
誰と会うのでも
この相棒の存在は無くてはならないものになりました

あんなことやこんなこと
あんな人やそんな人
あれやこれ
それやあれ

色々と様々
知り尽くされているのです・・・・・・

そしてこれから起こる(であろう)出来事のほとんどを
知る存在になることでしょう

正直いって
助手席に誰もいない生活には
もうかなり慣れてしまいましたが

相棒がいない生活には
もう二度と戻れないと思います

それもどうかと思いつつ。。。。。。

そういえば
誰かの運転する車の助手席に
かなりしばらくぶりに乗せてもらいました


それもいかがなものかと思ってしまいました(苦笑い)

息苦しい夜

2005-09-19 20:16:08 | いろんな話。
物す屋です

一昨日の夜

真夜中にふっと目が覚めました

それはよくあることです

そのまま眠れない夜になることもあり

そのまま眠りにおちていくこともあります

でも

その一昨日の夜は

息が苦しくて

息が詰まりそうに苦しくて

このまま目を瞑ったら

もしかして

もう二度と目を開けることもできないのでは



そう思ってしまうほど

息が苦しくて

どうしてしまったのかと

自分で自分が

わからなくなりました

とにかくひたすら苦しくて

でも

翌日早起きをして

運動会のお弁当を作らなくちゃならないから

早く寝なくちゃと

そう思えば思うほどに

息が苦しくなりました

それでも

今こうして自分は当たり前に息をしている

こうして当たり前に息をしていることが

あまりに当たり前になりすぎていることが

永遠じゃないということを

気づかせてくれるために

あんな苦しい一夜があったのでしょうか

ときどき

寝るのが無性に怖くなります・・・・・・

カッコつけ

2005-09-19 09:42:16 | いろんな話。

物す屋です

オトコノコはオンナノコに
カッコ悪いところを見せまいとして頑張る
ものらしい

確かに頑張っている男の人は女の側から見ても
ホレボレするほど格好良かったりする

それが自分のために頑張ってくれてるとしたら
なおさらのこと
女冥利に尽きると思う

それならば
オンナノコがオトコノコに
カッコ悪いところを見せまいとして頑張る

これに関してはどうか

それで男の人に惚れ惚れとされたり
男冥利に尽きるといわれたりすることはあるのか

もちろんあるかもしれないけれど
滅多にないような気がする

どちらかというと
女はあまり色々とできないほうが
かえって「可愛い」なんていわれたりする

出来過ぎちゃんは「嫌われの素」のようである


自分は「できないこと」を「できない」と言うことは
恥ずかしいことでは決してないと思っている
思っているけれども

それは「やってみたけれどできなかった(と知った)」ということで
「やってもみないのに”できない”」なんて言えない
言えないというか
言いたくない

これはプライドが高いといわれたりするけれども
果たしてそうか

よくわからん(謎)

それから
女は運転が下手(であることが多い)
女は取説読まない(ことが多い)
女は地図読めない(ことが多い)
女はメカ音痴(なことが多い)

といわれることも多く
それはそれで「いいんじゃな~い」と思われている節がある

それで?いいのかっっっ!?


いいのか・・・・・・(弱気)


昔から
「見るからに頑張ってます風」とか
「いかにも努力してます風」とか
「明らかに準備してきました風」とか

そういう風に思われるのが
すごい嫌だった

「別に~」と言いながら
結構キッチリやれたりするのが格好いいと信じてきた

だから割と陰の努力は惜しまないほうだったかも
こういってること自体ちょっと格好悪い気もするけど


「すごいですね」
その言葉の中には「女の人なのにすごいですね」
そういう意味合いが含まれていることが多い

女だてらに・・・
そういう意味か・・・

それも悪くないと思ってきたけれど・・・


この人と思った人には
「そうじゃない部分」もあるってことも
ちょっとは知っててほしいぞ


何を言いたいのか書いてて訳わからなくなってきたぞ

自分も
女だったってことで。。。。。。

2005-09-19 09:06:37 | いろんな話。

物す屋です
昨日の筋肉痛を引きずっている
まだまだ若いつもりの三十路女です

綱引きによる腰の痛みが出なかったのは嬉しかったね(過去腰痛持ち)


ところで虫の話なのですが
基本的に虫は好きではありませんが
足が6本もしくは8本なら
(それは虫とは言わないかもという言葉は無視して)
まあまあ許容範囲と言えるでしょう

問題なのは足がなかったり
足が何本あるかわからないような物体です
そんなのがウゴウゴウゴウゴされていた日にゃ

全身の毛という毛が総毛立ちます
怖気以外のなにものでもありません

それはそれとして
飛んでいる虫については比較的恐怖心は無いもの

自分は特にバッタ系統が好きです


さて
困りものなのは
家の中に迷い込んでくる闖入者の扱いなのです


基本的には
無駄に殺生はしたくないのです
なるべくなら事を荒らげず穏便に済ませたいので

戸外に飛び去ってくれればいいなと
そう思いながら
窓を開けてみせたりします

ささやかな好意に気づいてくれればいいのですが・・・

中型の
ハチやハエやガチョウトンボにコオロギバッタ
それらの類は
それこそ滅多に侵入してくることはないものの

たまにそういう場合がくると
なるべくは追放してやろうと試みます


同居人は気が短いのか
すぐに殺虫剤で結果を出そうとするのですが
その信長的発想(行為)には賛成できかねる

薬はよくないですよ薬は


それがクモであっても
ティッシュで包んで窓からほーれほれと追ってやります

「お行きなさい」
とそう言いながら出してやったりします


そんな穏便な自分でも
絶対にただじゃ済ませられないのが
小バエとカとアリの扱いなのです

それでもまだアリの一匹二匹は
捕まえて外に出してやることもできるのですが

あいつらは集団で行動しやがるから手に負えない

そうなるとやはりアリ退治の力を借りざるを得ません
敵に勝ち倫理に負けた気分になります(どんなだ)


そして小バエとカに関しては
外に出してやるのも難しく
かといって飛んでいるものを眺めている余裕も無く

自分の中のハンターの血が騒ぎ出すのです

狙った獲物は必ず仕留める
それも素手で

両手でパンッと撃つという極めて古典的な手法で

今まで幾多の命を奪ってきたことでしょう・・・・・・

無駄な殺生はしたくない
と思いつつも存在を察知しただけで
自分の中の何かがバーンと弾けるのです

死ぬまでやります



先日小学校の体育館のステージ上で
踊りの指導をしているとき
蚊が二匹ばかり飛んできたので
踊りながら
パーンッと両手で射止めましたら

壇下の子供たちが何ごとかと
しばし呆気にとられておりました

蚊だっつうの。。。。。。

ガーン

2005-09-18 19:24:21 | いろんな話。

物す屋です

女系家族です
女三人は姦しいです
読んで字のごとく。。。。。。

誰かが一家の
男仕事も担当しなければなりません

例えば力仕事
例えば高所仕事
例えば危険仕事
例えば寒冷地仕事

例えば・・・・・・

我が家ではほぼ自分が担当しております(働き盛り世代だから)


電化製品関係も
セレクトから購入
設置から配線まで
請け負っております

というか誰もやらないからやらなきゃないと思っていました・・・・・・

これでも
過去に異性たる人と
生活を共にしたこともございましたが

そのときでさえ(在アパート)
電化製品関係の配置配線設定などは
自分がやっておりました

それ以外にも
例えば蛍光灯の付け替え
例えば灯油の購入注入
例えばゴミ出し
例えば虫の駆除なども

自分がやっておりました。。。。。。

相手方に動いてもらおうとしても
「今やってもらいたいことをお願いしても取り掛かるのは三日後」とか

こういっちゃなんですが
まさに公僕の公の仕事みたいに
すぐ取り掛かるなんてことには絶対なりません
(ちなみにその人自身が公僕だったが)

だったら!?
自分がサッサカやっちまったほうが早いだろうと思ってしまい
どんどんずんずんがんがん
自分でこなしていたら

駄目になってしまいました(色々と)



自衛官時代の同期に
確か「丸木運び」とか何とかの作業のとき
「重いだろう?持ってやろうか??」と言われ

「いや。いい。(渋っ)」と言うと
「いいから手伝ってやるって!貸せよ!!」

「うんにゃっ!自分で持つっ!!」

と叫んでしまったところ・・・・・・

「オマエはそうゆうところが可愛げが無くて損するんじゃあああああ」

と叫び返されてしまいました。。。。。。


オトコノヒトは?頼られたいものなんですか??
お尻が重くても?気長に頼るがうまくゆく秘訣なんですか??


取説もしっかり読んで
自分でやり遂げることがエライと思っていましたよ
(そう思わないと自分があまりにカナシイから)

そうではなかったのでせうか・・・・・・

運動会続報

2005-09-18 18:19:54 | いろんな話。

物す屋です
運動会も無事に終わりました

嗚呼終わりました
結構真面目に疲れています


張り切りすぎました………(;゜(エ)゜)


5時前から起きて弁当を作り
今日は祖父ちゃんの命日でもあったので
お膳(精進料理)も作り
お墓参りも済ませ

お寺さん(ご住職)をお迎えするころには
早くもグッタリとしていた物す屋です( ̄Д ̄;;


それでも栄養ドリンクをガッツリ飲み込み

グラウンドへ出掛けましたとさ(8時45分)


運動会だというのに相変わらず
ジーンスORチノパンの人口が多いのには驚くばかり(@_@;)
「見てるだけ~~~~~」宣言者の多いこと。。。。。。

それはそれで置いておいて


午前中は諸々の競技と
「町内対抗リレー予選」
「町内対抗綱引き予選」
もありました

30代女子の代表二人のうちの一人として走りましたよ
第二走者でした(一番楽なポジション)

トップからの順位を守りきり
第三走者にバトンを。。。。。。

「Uサンっっっ頼んだぁぁぁーーーっ」
と叫びながらバトンを手の平にバチンと当てました

それから不動のリレーメンバー
(本当に毎年同じメンバー)の激走のおかげで

予選1位通過へ( ̄ρ ̄へ))))) ウヘヘヘヘ


そしてあらためて思う
「午後もう一回走らなくちゃいけないのかΣ(|||▽||| )」
「昼休みにビール飲んでる場合じゃないじゃん(|||_|||)」


さてさて
リレーを(またもや)本気で走ってしまい
HPも残り少ないところ

綱引き予選の応援に行きました
綱引きメンバーも揃いのゼッケン揃いの鉢巻に身を包み
綱を持ってまさに「今!!!!!!」というところで

大会役員が数を数えて一人足りないと宣言

オーーーイッッ!!☆ヾ(`Д´*)
とにかく綱まで持って後は引くだけというところに来ており

「とにかく誰かもう一人出て(ただし女性限定)」
と言われて差し出されてしまいました

自分だけ軍手も無かったとです・・・・・・
痛いです…イタイです…いたいです…

わけもわからないうちに綱を手にし
気がつけば必死に引いていました

一回戦勝ってしまいました・・・・・・\(;゜∇゜)/
ももももしかしてもう一回引けとおっしゃる???????

ハイ♪(町内会員一致)

Σ(T▽T;) ぐわわぁぁ~ん!!!!!!

数分ののち
また押し出されるように綱を持たされていました

ですが今度は
引く手応えも無いままに引かれてしまいました

完敗。。。。。。C=(^◇^ ;(正直なところ)


ここでまた無駄なHPを消耗してしまいました


・・・昼休み・・・
さすがに疲労度も激しく
手弁当もノドを通らないありさま

おまけに休み時間には
小学校で指導した踊りを
児童たちと一緒に踊るなんてことにもなっており

そこでまた張り切って踊ってしまいましたのです
それも2回もね・・・・・・


( ̄へ ̄|||) ウーム
踊りとなるとついつい頑張ってしまうのが悲しい性

もうHPも残りわずか

最後の力をふりしぼって
最後の最後の種目「町内対抗リレー決勝」へ


ちょっと今日は頑張りすぎました
体力を温存しておくつもりが
借り人競争にも借りられて走ったりもして

ちょっとやりすぎかもしれない

既に早「ケツキン(ケツの筋肉)」も痛くなってきてるし。。。。。。

それでも
笑っても泣いても今年の運動会も
これでラストだーーーーーー

そう思って走り抜きました

さすがに決勝は精鋭揃いでしたが
町内の他の女性ランナーの爆走でトップに躍り出るや

それを守り抜いて
我が町内は悲願の優勝を手にしました

3年目(自分が走って)にして
ようやっと1位になれましたーーーーーー


やっぱり
うれしいっっっっっっ!!!!!!


こ・れ・で
「来年もよろしくね♪♪♪」

と言われてしまいました・・・・・・


勘弁してください
鬼が笑っちょります・・・(゜_゜i)・・・

切り札

2005-09-17 19:40:16 | いろんな話。

物す屋です

作った『モツ煮』がかなり美味にできたので
嬉しくなってしまいました

実は我が家では臓物関係の担当者は
今までは母と決まっていたのですが

ついこのあいだ引退を表明したもので

ワタシがその後を引き継いだと
そういうわけです

鶏のモツや砂肝を
ネギとショウガとニンニクを駆使して
くっちくちに煮てみました

ご飯のおかずに
麺類の箸休めに
酒のアテに
最高の一品になりました

初めて作ったものが美味しくできると
嬉しさはまた格別なんだな
レシピに頼らないで
勘と舌とだけを頼みに作ったものが美味だと

「もしかしてオレって天才!?」って思っちまうのさ
(オレじゃないけどさ)


それはさておき
今まで料理を切り札として出したことが2度ばかり

一度目は彼女のいる人を振り向かせようとして
一人暮らしのアパートに
ご飯作りに出掛けていって
(いま思えばよく部屋に入れてくれたよね何でだろ)

一番最初に作ったのは『カレイの煮付け』

見事に落とせました


二度目はついここ数年の話ですが

ここのところ毎年欠かさず『黒豆』を煮ているんです

その相手が
暮れからお正月にかけて
おせちに縁無く過ごしているというので

『黒豆』や他のおせち数品を
クロネコさんに届けてもらいました

すっげーーー感動されて嬉しかったーーー

・・・もちろん落としました・・・



ただそれだけのことでーーーす
書いてて虚しくなったよーーー(涙)

運動会

2005-09-17 15:04:42 | いろんな話。

物す屋です
今まさにモツ煮をコトコトしています


明日は運動会
自分は頭の先から足の先までドップリと文化系
体育会系には縁がありませんでした

我が家は母が究極の運動音痴で
父はスケートと潜り(泳ぎ)以外はからっきし駄目な人
その母と父の血を引いた自分も
運動はどちらかといえば苦手なほうでした

しかしながら
自分と母は顔立てからして「キカナイ」タイプに見えるらしく
「いかにも走るのが速そう」
「いかにもスポーツ万能そう」
といわれることが多いのです

「顔で走るわけじゃないからねえ」と母子は苦笑するばかり

悲劇は小学校3年生のときに起こりました
当時の担任が運動会のリレーメンバーを選ぶにあたり
抜きんでて足の速い3名はすぐに決まったのですが
残りの一枠が決められずにいたとき

何を思ったか
「お前走れ」と指差しをこちらに向けながら言い放ったのです
その理由が「走れそうな顔をしているから」

確かにクラスでも目立って気の強いタイプで
議論で同級生を言い負かしたり
ちょっと弱めの男の子を追い掛け回して
ベソかかせたりしていたのは事実ではありましたが

足が速いかどうか
それは体育の授業ぶりを見ても先生明らかなはず
と猛烈に抗議したものの聞き入れられませんでした

結果
自分のクラスは4クラス中4位の成績に終わりました・・・・・・

それから小中高とリレーメンバーに選ばれることもなく
運動会も毎年平和に終わっていきました

自分は足が遅いと自覚していましたし
周りも誰も自分のことを健脚とも言わなかったし
一生こんな感じで終わっていくんだろうと思っていたのです

そうしたら
短大に入ってさすがに運動会なんてないと思っていたら
それがどうしたもんだかちゃーんと行なわれていまして
それもサークル対抗のリレーがあったりして
結構盛り上がったりするものだったのです

ひさしぶりにリレー選手として走りましたよ
10年ぶりにね

高校までバスケやバレーの部に所属していたという
メンバーの力走のおかげで
文化系サークルの中ではダントツの速さでゴールテープを切り

自分もそれですっかり気を良くして
無謀にも自衛隊になど入隊してしまったのでした
(理由はそれだけじゃないけど走れそうな気がしていたから)


2年間の自衛隊生活は訓練についていくので必死だったけど
そこで自分は身体を動かし
汗を流す喜びを味わうことができたのでした

学生自体に部活などでスポーツに励んでいた仲間が
それから離れるような頃から
逆に身体を動かし始めた自分は

いい大人になってから参加する運動会では
結構「走れる人」として認識されていたりします

昔の自分を知る仲間たちがそれを知ったら
意外なことにきっと驚くんでしょうね

キリコさん

2005-09-17 08:50:49 | いろんな話。

物す屋です


ここ二晩ばかり「殺されるまでわからない」ぐらいの
深い眠りに落ちている

余計なことに頭を悩ます前に
ひたすら身体を使って疲れさすのがいいらしい

少しでも暇な時間ができると
自分が自分の内面をどんどんえぐってしまうので
なるべく深く考え込まないように
軽めの本を手元に置いて

やばそうなときは読むようにしている

いま手元に5冊の文庫本が置いてある
これを居間や台所や自分の部屋に行くたびに持ち歩いている

PCの立ち上がりまでの間にぺらぺらとめくってみる
料理の煮込み時間に読んだりする
眠りにつくまでに布団の上でも読んだりする

トイレ滞在時間は人より短いから
トイレに本を持ち込んだりはしない


いま読んでいるその5冊の本は
いずれもキリコさんが書いたエッセイだ

キリコさんといっても磯野さんではない

キリコさんとは玖保 キリコさんのことだ

『シニカル・ヒステリーアワー』シリーズ
『いまどきのこども』シリーズ
を書いた漫画家さんといえばわかる人はわかり
わからない人はわからないだろう(当たり前)

『動物占い』の人といえばわかりやすいか

キリコさんが占ってるわけじゃないけれども(絵担当)

このキリコさんのエッセイが
痛んでる心と身体と懐にはとても優しい

もう何度も何度も読んで
読んで読んで読み返して
愛すべき友人にも無理矢理読ませてみたりして

たぶん自分の蔵書(大袈裟か)の中でも
一番登場回数が多い気がする

それだけ痛んでることも多いともいえる


キリコさんのエッセイを読むと
書く文章がキリコ調に影響されてくる
(こんな感じ…どんな感じだ…)

この前は眞鍋女王のブログ本を読んで感化された
(過去日記参照)

鷺沢女史のエッセイを読めば
サギサワ@「べらんめえ」調になったりもする

それだけ人に影響力を与えられる文章力と魅力を持つ人を
尊敬するし憧れもする

これでも昔は物書き志望だったのだ(時もあったのだ)

家にいて書くだけでお金もらえるなんて楽ちんと思っていたから

そのためにと思って
貪るように本を読み漁った
その結果
物書きさんの生活ぶりと実体を知ることになった

現実は厳しい・・・・・・

茶をすすりながら本を読みたいときに読めるほうが
ずっと楽ちんで幸せだ

下手に才能を与えてくれなくて
神様ありがとう

無性に

2005-09-16 19:53:17 | いろんな話。

物す屋です
こんばんは

『ぐるナイゴチバトル』を観ていました

アワビはエエねえ(゜-、゜)
なんとかソースとかなんとかマリネとか
しなくてもいいからね
そのまま食べたいもんです

教育テレビの子供料理番組では
「エリンギとアワビのパスタ」なるものを作っていたよ
家庭料理として「アワビ」のパスタって
アリなんだかナシなんだか微妙だと思った(--;)

食いたいなアワビ。。。(魚介大好き)


ふだん菜食(才色ではないほう)に徹しているせいか
徹しているせいかというか
旬の野菜をたんまり御土産にいただくせいか
貧乏人はせっせこせっせこと
その食材を無駄にすることなく料理にいそしむわけです

自然に山のような自然食材メインの食卓になるわけです
(山の幸盛り)

肉を食べたら三倍の量の野菜を食べと
言われるまでもないわけです(山の幸山盛り)

ちなみに同居人の嫌いも徹底しているせいもあり
肉料理のレパートリーが日に日に少なくもなりつつあり(@Д@;

麻婆豆腐もマーボー春雨もマーボー茄子も
挽き肉より生姜ネギの分量のほうが多いくらいだし

餃子のニラ量も大したたまげたことになってるし(@_@;)

ハンバーグも玉ねぎとパン粉の量が
ハンパ無いほど多い我が家

ワタシがすき焼き嫌いなために
ここ25年以上も食卓に上らせたことないし
(小娘になんの権限があったんだか)

野菜炒めに肉を入れたのがいつの日だったのか
もう思い出せないし(野菜炒めって作らないのよねそもそも)

豚の生姜焼きとかトンカツとか
作ったあの日は家族のためじゃなかったしな...( = =)


なんで今日はこんなに肉の話ばっかりしているのかというと

そろそろ自分内の肉含量が残不足になってきたと
身体の声が聞こえてきたからです(」°ロ°)」

普段は肉を食べたいと思いもしないのですが
肉抜き日々が続くと
さすがに自分の中で

肉コールが沸き起こってきます


にーくにくにくにーくにく


「にんにくにくにくにんにくにくにくニクが好ーき♪」

とローカルCMが頭の中を駆け巡ったりします

そんなときは
無性に肉が食べたくなります

そうはいってもセレクト肉も片寄りがみられるわけで。。。

・ケンタにく骨のあたり
・焼肉やタン塩オンリー
・焼き鳥それもタンハツ砂肝ナンコツ塩風味

無性にここいらの肉が食べたくなるです・・・・・・


特にケンチキ肉の骨あたりに貪りついていると
自分「獣(け・だ・も・の)」だなって思ってしまいます


一緒に食べる人を選ばないとね。。。。。。

海へ

2005-09-16 13:24:02 | いろんな話。

物す屋です

心が荒らんでくると潤いを渇望するのか
水のあるところへ出掛けていきたくなります

疲労で心が磨耗しているときは川の流れを
心の傷を癒すときは海の波立ちを
体育座りで眺めていたくなります

川のさらさらとしたせせらぎの音は
疲れた身体と心とに潤いを染み渡らせるようです

海の潮風とさざ波は傷んだ心には
その塩気がヒリヒリと余計に沁みるようです
泣きたくても泣けないとき
海は何を言うでもなくただそこにあるだけで
ちっぽけな自分を丸ごと包み込んでくれるようです

川が私の目の前を横に移動しながら
疲れを流してくれるのとは違い
海は真正面からこちらに向かってきて
私の吐き出したものを飲み込んでくれるかのようです

寄せては返す波を見ていると
自分の澱んでいるところが少しずつ
浄化され薄まっていくようにも思えてきます

汚れを洗い流すように
心の傷も消し去ることができたら
どんなに楽だろうかと思いながら

現実はそんなに簡単なものでもなく

一度できてしまった傷が
そうやすやすと治ったり
消えて無くなったりするものでもないので

それを少しずつ薄めたり
散らしたりしながら
そんな傷を持つ自分とも
付き合っていかなければならないのです

今までも何度もそうして付き合ってきたことなのです

今まで何度もそうしてと
そう思いながらも
やはりまた自分は同じように立ち止まってしまい

もがいたりしています

目を瞑ると
以前見たそのときの海が甦ってきます

それはなぜか
空も海も青い色合いではなく
白みがかったグレーをしています

自分の中にあるもやもやしたものが
吐き出されたらきっとそんな色をしているのだろうと
そう思えるような

なんともいえない鉛色の空と海

きっと今
出掛けて見る空と海の色はまた
違う色なのでしょうが

今の自分には
青い空と青い海を
どうしても思い描くことができません

本好き

2005-09-16 08:36:36 | いろんな話。

物す屋です

「読書」はインパクトにはかけるものの
毛嫌いされもしない都合のよい趣味の一つだと思う

本が好きだといって
褒められることはあってもけなされることは無いように思う

酒が好きだ
博打が好きだ
釣りが好きだ
女が好きだ(いや自分は女は好きではないが)

と言い過ぎると嫌悪感を持たれることもあるが
「本が好きだ」といっても嫌悪されないはずだ

パパが「ちょっと出掛けてくる」といえば
明らかに怪しいが
パパが「図書館に行ってくる」と言ったなら
そんなに疑われないような気もする

日ごろ本の一冊も読みもしないようなパパなら
それはあまりにも見え透いた言い訳に聞こえるが


・・・というようなことを
自分は子供心に察していたのかもしれない
(どんなことをだと聞かないでね)

小さいころからお尻が重くて
(というと今はまるで軽やかみたいだが)
実質的な重さはともかくとして
子供のころの自分は怠け者でお尻が重い子だった

何もしていないときに手伝いを言いつけられて
すぐ尻を上げないとこっぴどく叱られたものだが
「この本を区切りのいいところまで読み終えてから」
といえばすこしは猶予がもらえていたように思う

きっと子供心に「しめしめ」とか
「うっしっし」とか思っていたような気がする


くそガキだった自分・・・


学生時代には
友達と何処かに行くといっても
いつも許してはもらえなかった
門限も厳しかったし(それは今もだったりするけれど)

何とかその厳しい監視の目をくぐりぬけるのに
ずいぶんと「図書館通い」を口実に使ってきた

実際に半分は図書館を待ち合わせに使ったり
図書館をデート場所に使ったりしていたし

きっと半分は親にもばれていたような気もするが

それはそれで可愛いものと
見て見ぬふりをしてもらっていたのかもしれない


いずれにせよ
本好きなことを免罪符に
いろんなことから逃れたりもしてきたけれど
自分の本好きは
たぶん本当のことだと思う

一日に欠かさず一冊は本を手にするのだから
「読書」を趣味といっても偽りは無いような気がする

といっても今まで数多く本を読んできても
何か残っているか覚えているかといわれると答えに詰まる

乱読・速読・積読・とりあえず読んどく

数多く読んできた自分の中に
いったい何が残っているのだろう

ぽつりぽつり

2005-09-15 13:30:45 | いろんな話。

物す屋です

誰にでも忘れられない人や
忘れられない恋のひとりやひとつ
持っているものなのでしょうか


「五月生まれのT」のうち
一人めのその人のことを
今でも毎日のように
というより毎日毎日思い返しています

忘れたことはありません

その頃のくせが抜けなくて
今でも毎晩欠かすことなく
携帯電話を枕元に並べては

毎晩夜中に目が覚めて

来るはずのないメールの受信ランプを
確認したりしています

もちろん
来るはずがないのは
その人からのメールで

ほかの人からのメールに顔を赤らめたり

思わず布団の上で笑みがこぼれたりするときもある

そうしていながらも
そうしているにもかかわらず
そうしたりすればするほど

その人のことを思い出してみたりしています

取り立てて
別れ話があったわけでも
けんかの仲直りができないままでも
なかったはずなのに

お互いに
連絡を取り合わなくなったのが
どうしてだったのか
まるで思い出せません

その人とのあいだに流れた
メールの数々が
3つの携帯電話と1つのピッチ
今でも充電さえすれば
読み返すことのできる幾千もの言葉

それを
捨てることもできず
かといって
見かえすこともせず

ボックスに閉じ込めたままにしています

今でも
声を聞きたいと思えばきっと聞くこともできるし
メールを送れば返事も戻ってくるかもしれない

もしかしたら
そう思いながら待ってくれているかもしれないし
もしかしたら
そう思ってもみないかもしれないし

それはわからない

取り戻したいのか
復活させたいのか

それさえもわからなくなりました

でも・・・
忘れたくないのかもしれません

あのとき
きっと後にも先にもあのときくらい
一途にひとりの人のことばかりを
自分のなかに置いて過ごした日々は
ないと思うから

きっと懸命だった自分を
忘れたくないのかもしれません

ただそれだけのことかもしれません

数年前の自分を思い起こそうとしてもおぼろげなのに

その人とのことを通せば

ありありといきいきと

そのときの自分が甦ってくるのは

なんだかとても不思議な話です