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仁藤夢乃 バカなフリして生きるのやめた 辺野古の米軍基地問題を矮小化させてはいけない、これだけの理由

2022年11月09日 | 社会・経済

仁藤夢乃(社会活動家)

Imidas連載コラム2022/11/09

怒りに震えつつ3年ぶりの辺野古へ!

 2022年10月、「2ちゃんねる」開設者のひろゆき(西村博之)氏が、沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート(以下、辺野古ゲート)前を訪れ、抗議日数を示した看板の隣でピースサインをした写真をTwitterに投稿。訪問時に座り込みで新基地建設に抗議する人が誰もいなかったことから、〈座り込み抗議が誰も居なかったので、0日にした方がよくない?〉〈『座り込み』その場に座り込んで動かないこと。目的をとげるために座って動かない。知らない間に辞書の意味変わりました?〉などとツイートした。

 辺野古の抗議行動は14年7月から始まり、工事車両が往来する時間に合わせて1日3回(平日)展開されているが、ひろゆき氏は抗議行動を続ける沖縄県民に「座り込みの意味を理解していない」などとも発言したという(「琉球新報」22年10月5日)。

 今回のひろゆき氏の辺野古訪問には、インターネット報道番組「ABEMA Prime」(ABEMA)の撮影班が同行しており、その数日後に辺野古での座り込み抗議をテーマに番組が放送された。その番組内でも終始ひろゆき氏は座り込みの運動を侮蔑し、抗議日数を示した看板について「汚い文字」と評した。さらに同日、自身のYouTube配信では「沖縄の人って文法通りしゃべれない」「きれいな日本語にならない人の方が多い」などと言い放ち、「もともと普天間の基地があった。周りに住宅を造っちゃった」「もともと何にもなかった」と事実誤認の発言も行った(「沖縄タイムス+プラス」2022年10月12日)。

 こうした発言に対して私は怒りをおぼえ、「抗議活動を続ける人々と共にありたい」「共に行動したい」と思い、1週間後の10月11日に辺野古を訪れた。そうしてコロナ禍で3年ぶりとなってしまったが、6回目の座り込み抗議に参加した。しかし辺野古ゲート前での座り込みは、米軍基地内から出てきた機動隊によって強制排除された。

 国は私たちの税金を使って何を守っているのか? なぜ機動隊が米軍側から出てきて私たちを排除するのか? なぜ辺野古に基地を作ろうとしているのか? なぜ米軍基地のほとんどが沖縄にあるのか? 基地のせいで沖縄の人々の暮らしや命、尊厳、人権がどれだけ奪われてきたか? どれだけの女性や子どもがレイプされ殺害されているか? 沖縄の民意がどれだけ踏みにじられてきたか? それが続いているのはなぜか? そこに私たち一人ひとりの責任はないのか――?

 基地があることによって起き続けている人権侵害やさまざまな暴力、その背景にある米軍による支配について、私たちは考えなければならない。そうした現実の問題から目を背けるために行われる「座り込みの定義は?」などという「議論」に乗る必要はないし、そんなものは議論ではないのだ。

 沖縄県民は4度の知事選でも、県民投票でも、「辺野古に新基地はいらない」と表明している。それにもかかわらず、政府は沖縄県民の民意を無視した強行を続けており、住民は地道な抗議行動を続けている。

 抗議の声を上げる人たちは「過激」だとレッテルを貼られることがよくあるが、機動隊による暴力で抗議行動中にけがや骨折をした人は少なくない。私が参加した日は、新型コロナの影響もあって抗議行動も強制排除も互いに接触を避けて行われていたが、暴力で市民の声を封じようとし続けてきたのは日本政府なのだ。

地道な抗議を続ける沖縄の市民たち

 辺野古ではゲート前だけでなく、埋立用土砂の搬出現場となっている安和(あわ)桟橋や塩川港にも、工事車両1台1台を牛歩戦術で止めて抵抗を続ける人々がいる。さまざまなところで基地建設阻止のための行動をしなければならず、力を分散させなくてはならない状況となっている。新型コロナの影響もある中、こちらは少人数で行動を続けていて、私が訪ねた時も2~3人ずつで活動していた。私も短い時間ながら、牛歩での抗議行動に参加した。機動隊からは「一般の方の迷惑になっています~。早く歩いてください」と何度も警告され、抗議者は一般市民でないかのように扱われていた。

 何もしなければ1日に800台のトラックが土砂を積んで新基地の建設現場に行ってしまうところ、牛歩の抗議行動によって500台に抑え込めていると伺った。こちらの現場では、土砂を積んだトラックの数をカウントする役割の人もいるという。そうした地道な活動によって、現状を把握し、粘り強く抗議されていることに頭が下がる思いだ。一人ひとりの力は決して小さくないことを実感し、もっとたくさんの人が関心を寄せて共に行動すれば、さらなる力になると確信した。

 辺野古の大浦湾は、日本で唯一「ホープスポット」(世界的海洋学者らで作るNGOが認定した保護海域)にも選ばれている。辺野古新基地建設問題と聞くと、政府の強硬な姿勢に「もう手遅れなのではないか」と思う人もいるかもしれないが、大浦湾の工事はまだ始まっておらず、工事全体の進捗を見ても11%程度。それが沖縄の人々の地道な抗議行動の成果であることは明らかだ。

 抗議行動をする市民にも、それぞれの生活があり仕事がある。やりたくてやっている人なんていないだろう。それでも命や暮らしに関わる問題だから、声を上げないわけにはいかない。そのために時間を作って、抗議し続けているのだ。沖縄の基地問題は、沖縄の人々が引き起こした問題ではない。本土に暮らす私たちが、政治が、沖縄に押し付けてきた問題だ。

基地問題は女性の人権問題にも関わる

 私が沖縄の基地問題に反対の声を上げるのは、当地で少女や成人女性を狙った性暴力が絶えないことにも関係しているから、という理由もある。私はColabo(コラボ)の活動を通じて全国の女の子たちと関わっているが、特に沖縄は少女の性暴力被害が多い地域だ。女性の貧困が深刻なこともあって、性が売り買いされることが常態化しており、少女たちの間でも性売買に関わり、金銭がらみで性暴力に巻き込まれることが身近になっているのだ。

 沖縄の女性たちは戦前も貧しさから遊郭に売られるなどしてきたが、さらに戦争によって日本軍の慰安婦となったり、占領軍に売られたりもした。そうして米軍基地が作られ、駐留する兵士が沖縄の女性をレイプして罪を問われても、逃げられるような状況の中で今日まで来てしまった。

 辺野古に行く前日、勝連(かつれん)城跡でやっていた「世界のウチナンチュー」という企画展を観た。貧困にあえぐ沖縄の人々が、本土をはじめ世界各地へと移民し、出稼ぎに行った史実が展示されていて、とても学びのある内容だった。貧しい農家の少女たちが、那覇の遊郭へ売られていったことにも触れられていた。しかし、その説明は「農村の少女たちが首里・那覇あたりに下女奉公や遊郭に流れていった」という一文だけだった。一方で、移民となって苦労した男たちの話は、一人ひとりの経験がパネルで展示されていた。移民者の苦労談も大切だが、貧困や女性差別という社会構造の中で、自らの性を売らざるを得なかった女性たちの話が「流れていった」の一言で片付けられていたのが印象的だった。

 政府は沖縄の人々を踏みつけるようなことを続けているが、基地のある社会では女性や子どもの人権は軽んじられる傾向にある。性売買の被害に遭う少女や女性たちについて、「自ら好きでやっているのだろう」「無知な子どもたちが気軽に足を踏み入れているのだろう」と語りながら、女性を買うことを正当化する人は多い。力のある者が権力や金で女性を支配し、性暴力をふるい、自分の物のように扱うことは戦後77年経った今でも続いているのだ。

 辺野古に行った日、私はその足で沖縄県庁前で開催されたフラワーデモ(性暴力の根絶を掲げるデモ)にも参加した。沖縄で共に怒り、痛みを分かち合い、時に涙の時間を共有しながらも声を上げ続けるみなさんと時間を過ごさせてもらった。私たちが集い、語り合い、声を上げることを嘲笑う人はこれからもいるだろう。それでもこうして時間を共にして、つながり、怒りや痛みを分かち合うことは現状を変える力になる。この輪を広げていけば、「痛いものは痛い! 踏みつけるな! と言っていいんだ」と思う人や、「あれって暴力だったんだ」と気付ける人も増えていくだろう。

抗議者を「過激」扱いする攻撃の手口

 米兵に母親を殺され、基地建設に反対する住民が書いた看板を、「汚い文字」とリポートしたひろゆき氏。この地では米兵によって家族や友人を殺されたり、レイプされたりという経験が多くの人にある。だからこそ「沖縄にこれ以上基地を作らせない!」「二度と戦争をさせない!」「これ以上誰も殺させないし、これ以上レイプさせない!」といった想いで闘い続けているのに、そんなみなさんのことを「カジュアルだ」などと鼻で笑う人たちに、私は腹の底から怒りが湧いてくる。人が殺されているのに、性暴力をふるわれ続けているのに、どうしてそんなことが言えるのかと……。

 沖縄の人々はこんな痛みを、これ以上の痛みを、これまでもずっとずっと受け続け、それでも立ち上がり、声を上げ続け、行動し続けてきた。そのことを思うと、こうした運動を冷笑し、沖縄に基地を押し付け、沖縄の人々の生活や尊厳を奪おうとする人たちを黙らせるには、この問題に無関心を装おうとする本土の人たちの目を開かせるには、ただこの運動を続けること――行動し続けるしかないと、私も辺野古で座り込んだ。

 私もColaboの活動の中で、日々さまざまな攻撃を受けている。デマや誹謗中傷、殺害予告やレイプ予告も日常茶飯事だ。そんな時、今日も行動を続ける沖縄のみなさんの闘いを思い出し、辺野古の新基地建設反対運動の中でも歌われ続けてきた「座り込めここへ」や「沖縄今こそ立ち上がろう」をよく口ずさんでいる。沖縄のみなさんの存在や闘いは、私たちにも力を与えている。

 私はSNSなどで、ネトウヨから、人権擁護を謳った支援活動をしている人から、政治家からも「政治的な活動をしている」「過激だ」などと言われることがある。しかし、それらは全て私たちの抗議の声を矮小化するためのものだ。暮らしの中で政治に関わらないことはないし、おかしいのは政治のほうであり、そのことは指摘し続けなければならない。

問題を矮小化しようとする人たち

 先日、あるメディアからの取材で「ひろゆき氏の発言の何が問題か?」と聞かれた。内容が事実に反していたり、侮辱的な発言だったりとすべてが問題だったが、それ以前に「辺野古で座り込みする人々を冷笑するためにやってきたこと自体が問題だと思う」と私は返答した。

 ひろゆき氏は、自身の発言の影響力を知りつつ「座り込みの定義は?」などと問題の本質から外れたことをあえて言ったり、現地で抗議行動を続ける住民を挑発してマイクまで奪おうとしたりした。そうして怒らせた抗議者の姿を拡散し、さも過激な人たちであるかのように印象付けることや、座り込み抗議の背景から視聴者の興味をそらし、抗議の声や沖縄の民意を小さく見せて問題を矮小化すること、それこそが彼の目的だったのではないか? ひろゆき氏は沖縄への差別意識も隠すことなく発言しているが、基地を沖縄に押し付けてきた政府や本土の責任をないものとしたいのではないか?

 踏みつけられている人たちの声を小さなものにしようとする、こうした攻撃は自身の加害者性に向き合わず、構造的な暴力から目を背けたい人の常とう手口だ。昔から権力者たちによって繰り返されてきており、私たちColaboに対しても同様の攻撃は絶えない。今回のことも、そういう効果を見据えた行動なのではないかと私は考えている。そして、そのような人を「論客」として起用してきたメディアの責任も大きいと思う。

相手を尊重しない人との「対話」は困難

 しかし、こういう出来事が起きると、弱い立場に置かれている側に「対話」を促す人が少なからずいる。自分たちは中立のつもりなのだろうが、そうした行為は加害している強者側に立つものであることも理解してほしい。対話は互いを尊重する姿勢があって、初めて成り立つ。端から相手を下に見ていたり、自らの正当性を主張するために呼び出して挑発したり、粗探しをしたり、わざと的外れな発言をしたり、事実を歪曲して攻撃したりといったことを繰り返している人との間では対話は成り立たない。

 今回、ひろゆき氏の辺野古訪問を企画したインターネットテレビ局のABEMAは、よくそうした番組を制作し、例えばフェミニストを叩くため「対話」を促して呼び出すようなこともやっているので、私は何度依頼があっても出演を断ってきた。

 こうした攻撃者による「議論という名のもとの暴力」に惑わされ、冷やかしで辺野古を訪れる人たちも増えている。抗議を続ける人々は、そんな人たちにも誠意ある姿勢を崩さず、「なぜ活動するのか」「何が起きているのか」を丁寧に説明して理解を求めている。しかし、抗議理由などすでに語られ続けてきたことだ。知ろうとしてこなかった、不勉強で無責任な私たちが悪いのに、いつまで声を上げてきた人たちに問題を押し付けるのか、身を削らせるのかと思わざるを得ない。

 私たちは、自身の加害者性や当事者性から目を背けたい人の詭弁に惑わされず、構造的な暴力や差別を認識し、それを変えるためにどうしたらよいのかを議論し、みなが問題の当事者として責任のある行動をすべきだ。そうした姿勢もなく、座り込みで抗議する人たちの「やり方」を批判し、「リベラルは排他的だ」「運動のアップデートが必要だ」などと上から目線で主張を繰り広げたNPO理事長も批判の的となっている。自身の加害者性に向き合えないために、「もっとうまくやれ」「そんなんじゃ共感されない」「本気じゃないだろう」「カジュアルだ」などとそれらしく語り、抗議行動をする側に問題があるかのように印象付けることは、沖縄に基地を押し付け、沖縄の人々の暮らしや民意を無視する政府や構造を温存することに加担しかねない。

 私たちはそうした構造と、踏みつける側のやり口を知り、考えていかなければならない。


3年前の記事である。

仁藤夢乃“ここがおかしい”第33回辺野古ゲート前でこぼう抜きされる

2019年09月27日 | 社会・経済
 今日はいろいろ用事があって畑にはいかない予定だったがビニールを降ろした中に「オカワカメ」がそのままだったことに氣付き掘り出しに行った。上部のツルは枯れていたが株はまだ生きていた。よかった!これを失えばこれで終わる可能性があった。来年につないだ。(写真がない)


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2 コメント

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Unknown (nerotch9055)
2022-11-09 22:30:46
こんばんは!
ひろゆき氏の今回の辺野古訪問は、怒りを通り越して悲しくなりました。
現地まで行って、短い時間の事象だけであの発言は、勘弁して欲しい。
なぜ、沖縄県民の側からの視点で、見ることができないのか。
本当に、悲しいです。
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こんばんは。 (mooru)
2022-11-09 22:51:38
悲しいことです。「いいね!」する人がたくさんいたらしい。この国はどこへ行くのでしょう?
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