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国葬反対、反戦、脱原発にLGBTQ差別抗議…デモのうねり今も 若者に当事者意識 議会の外から政治変える

2022年09月26日 | 社会・経済

「東京新聞」2022年9月26日

<民主主義のあした>
代々木公園で行われた「さようなら戦争 さようなら原発 9・19大集会」で、安倍元首相の国葬反対などを訴える参加者=9月19日午後、東京都渋谷区で

代々木公園で行われた「さようなら戦争 さようなら原発 9・19大集会」で、安倍元首相の国葬反対などを訴える参加者=9月19日午後、東京都渋谷区で

 安倍晋三元首相の国葬が閣議決定された7月以降、東京をはじめ各地で、国葬に抗議するデモや集会が開かれている。新型コロナウイルス禍で外出自粛や密回避を求められ、交流サイト(SNS)などインターネット上での意思表示が盛んになった今も、実際に集まる従来型のデモは健在だ。ただ参加者は、比較的高齢の人たちが目立つ。

 一方、若者が中心となる動きもあった。性的少数者(LGBTQ)への差別に反対し、東京・永田町の自民党本部前で行われた7月のデモは、20代の人たちが呼び掛けた。中心となった海外出身の若者は「選挙権のない自分が社会をよくするには、デモしかない」と意義を強調する。

 昨年10月の衆院選と今年7月の参院選を経て、岸田文雄政権は2025年まで大型の国政選挙がない「黄金の3年」を手にしたという見方もある。デモや集会を通じて為政者に声を届けつつ、こうした運動を将来世代につなげる重要性を指摘する識者も少なくない。

【関連記事】「今すぐ行動しないと…」15歳が訴えた 東京で400人、世界気候アクションに集う若者の「切迫した思い」

◆「無関心でいいはずない」「何かが起きていると気付くきっかけに」

 「初めて参加したが、人が多くてびっくり。でも同世代の人がいない。情けない」。19日、代々木公園(東京都渋谷区)と周辺で行われた国葬中止などを求める集会とデモ。台風の影響による悪天候にもかかわらず1万3000人(主催者発表)が参加したが、若者の姿はまばらで、千葉県流山市の男子大学生(23)はさみしそうな表情を浮かべた。

 新型コロナウイルスの流行が始まった2年ほど前、行動自粛を求めつつ補償も検査もきちんとしようとしない状況に不満で「政治はひどい」と感じたという。

 だが、友人と政治の話をしても「はぐらかされる感じ」という。「忙しくて政治に目が向かないのは分かるが、これから何十年と生きていく私たちの世代がこういう問題に無関心でいいはずがない」と話す。

 それ以降、交流サイト(SNS)で考えを発信してきたが、収まらない。「こういう場所に来て、訴えよう」と思ったという。

 一緒に参加した宇都宮市の男子大学生(21)もデモは初めて。渋谷駅周辺を行進していると、若者の冷たい視線が気になり、ばかにするような言葉を浴びせる若者グループもいたという。

 自分でも「旗を掲げて、表に出てきて、強い言葉で『反対』を表明する。言葉は悪いが昭和の闘い」と思う。それでも「こんなに多くの人が反対しているんだ、何かが起きているんだと気付いてもらうきっかけにはなる」と感じた。27日の国会正門前の集会にも参加するつもりだ。(加藤益丈)

◆仲間と連帯 政治はすぐには変わらないが、つながりは生まれる

自民党本部前で抗議の声をあげるアンドロメダさん=東京都千代田区で

自民党本部前で抗議の声をあげるアンドロメダさん=東京都千代田区で

 「LGBTQは病気ではありません」

 参院選さなかの7月4日夜、東京・永田町の自民党本部前。会社員の「アンドロメダ」さん(28)=活動名、東京都=はマイクを握り、訴えた。同党議員が多数参加する「神道政治連盟国会議員懇談会」の会合で、同性愛を「後天的な精神の障害、または依存症」などと表現した冊子が配られたことに抗議するデモだった。

 「差別をやめろ」などと書いたプラカードを手にした人たちが、歩道上に長い列を作った。SNSの中継を通じ参加した人もいた。デモを初めて企画したアンドロメダさんは「怒りや悲しみの発散と同時に『こんなに仲間がいる』と連帯を示す意味もあった」と話す。

 メキシコ生まれのカナダ育ち。日本の大学に留学後、日本企業に就職した。「日本は法的にはLGBTQに差別的。選挙の投票権がない自分が、この社会を良くしたいと考えた時、デモしかなかった」という。

 2018年夏、LGBTQを「『生産性』がない」と表現した杉田水脈みお衆院議員への抗議デモに参加。虹色の旗がはためく様子を見て「こんなに怒っている人がいる。日本でもデモはできる」と思ったという。

 その経験が今回につながった。ネットで冊子の差別的な表現を知り「間違った情報で絶望する人がいる。『ダメだ』と言わないと、差別を許すことになる」と思った。SNSに「デモやろうよ」と記すと、友人らが手伝うと名乗り出た。

 当日。登壇者が涙ながらにプライベートな話や思いを伝えた。その一人、トランスジェンダー当事者の浅沼智也さん(33)は「若い人や外国ルーツの人など初めてデモに参加した人が多かったと思う。自分たちの人権問題と考える人が増えていると感じる」と語る。 

 アンドロメダさんも手応えを感じている。「政治はすぐには変わらない。でも、数年前のデモに希望を見いだした自分のような人間が数年後、デモをするかもしれない。つながりは生まれると思う」(奥野斐)

◆為政者に直接声を届け、時には震え上がらせる~五野井郁夫・高千穂大教授(政治学)
インタビューに答える高千穂大の五野井郁夫教授=東京都新宿区で

インタビューに答える高千穂大の五野井郁夫教授=東京都新宿区で

 2010年代以降、暴力的でなく、高齢者や女性、若者を含む多様な人々が参加するデモが各国で登場した。中東の民主化運動「アラブの春」や、香港での雨傘運動が代表的だ。ツイッターなどのSNSが普及し、運動のメッセージや手法が世界に拡散されるようになった。新自由主義が行き詰まり、「選挙だけでは変わらない」と考えた人々が「反乱」を始めた側面もある。

 日本も11年の東京電力福島第一原発事故を機に、変わった。昔のデモは暴力的で悲壮感があったが、脱原発デモにはお祭りのようなムードがあった。政治に関心はあるが、デモに参加した経験がない人も足を運んだ。世論に押され、民主党政権は将来的な「脱原発」の目標を掲げた。政治家や、彼らと利権でつながる一部の人だけでなく、議会の外にいる人にも政治を変える力があると証明した。

 首相官邸や国会議事堂の前で、週末に小規模なデモが行われ始めたのも、画期的だった。SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)らによる安全保障関連法への抗議や、待機児童の解消を求める親らのデモの舞台にもなり、政治家に市民の声を聞かせた。これらと並行し、ヘイトスピーチへの抗議や性暴力・性差別への反対など、各地で多様なデモが行われるようになった。

 市民の声が強まると、政府も一定の配慮を迫られる。政府の判断で検察幹部の定年を延長できるようにする検察庁法改正案は、ツイッター上で抗議が広がり、廃案になった。安倍晋三元首相の国葬を巡っても、当初は1967年の吉田茂元首相と同等の規模・形式を目指したとされるが、弔意表明を求める閣議了解を見送るなど、後退してきた。

 2025年夏まで国政選挙がない可能性が取り沙汰されている。仮にしばらく選挙がなくても、有権者はデモなどを通じて為政者に直接声を届け、時には震え上がらせることもできる。民主主義社会における有権者は、外野や観客ではなく、ボールを持つ為政者に勝負を挑めるプレーヤーなのだ。(聞き手・大野暢子)

◆疑問や違和感 声出せる社会に~富永京子立命館大准教授(社会運動論)
インタビューに答える立命館大学の富永京子准教授=東京都千代田区で

インタビューに答える立命館大学の富永京子准教授=東京都千代田区で

 今年の年始、民放ドラマで、市民のデモが主人公らを突然取り囲み、一方的に主張を浴びせる場面があった。昨年12月、NHKで放送された東京五輪を扱うドキュメンタリーでは、匿名の男性に話を聞く場面で、お金をもらって五輪反対デモに動員されたとする、虚偽の字幕がつけられた。

 なぜデモと負のイメージが結び付けられたのか。2019年にインターネット上でデモへの年代別の意識を調査したところ、60代が最も好意的に捉えていたのに対し、年代が下がるにつれ「迷惑」「偏っている」などの評価が増えた。

 背景にあるのは「怒り」を過剰に忌避する風潮と、「社会は平等であり、努力は報われるはずだ」というかりそめの空気感だ。政治に危機感を抱く人や、自分の力ではどうしようもない理不尽な目に遭った人が立ち上がったのに、「政治や社会のせいにするのは筋違い」「文句を言うのはわがままだ」とみる人がいる。

 では、疑問や違和感をやり過ごすのが正解なのか。安倍晋三元首相の国葬を例に考えたい。1967年に吉田茂元首相の国葬が行われた時、抗議する人々がいたと伝えられている。こうした声がなければ、安倍氏の国葬を「おかしい」と感じても、そう言いづらい。

 声を上げずにいると、政治に問題があっても、違和感さえ抱かなくなるだろう。今の世代が声を上げておけば、将来の世代も同様の事態に際し、疑問や違和感を表に出せる。こうした社会を維持できることが、デモの意義だ。不当に傷つけられ、怒る人に「そつなくかわす力」を求める社会は、やはりおかしい。

 社会運動の規模や成果を評価し、「失敗」と決めつける声もあるが、社会運動の影響は多面的で、すぐに分かるものではない。デモの規模や成果、どれくらい継続したかで価値を測ろうとする必要はない。小さな声だからといって意味がないわけでもなく、誰がやってもよい。たった一人のブログや、シュプレヒコールも行進もしない小規模な運動が、共感を集めて政治を動かすこともある。(聞き手・大野暢子)


今日は何も言うまい。



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