セクハラ発言は「Sキャラ」のちょっかいなのか 加害男性の高笑いに「被害」を実感した
AERAdot 2022/02/16
作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、組織におけるセクハラや性暴力について。
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2月10日、東京高裁で性暴力事件をめぐる控訴審で逆転勝訴の判決が出された。一審では性暴力が認定されなかったが、二審では原告の主張が認められたのだ。
ひどい事件だった。
原告は、川崎市にある会社の取締役である男性上司から2年半にわたって性暴力を受け続けた女性だ。会社の飲み会で意識がなくなるまでアルコールを飲まされ、その帰りに性的暴行を受けたのがはじまりだった。その後も、深夜にわたるまで飲み屋を連れ回されたり、男性の自宅に連れていかれたりなどする日々が2年半にわたり続いた。抵抗しようにも解雇をちらつかされ、従うしかない状況だった。女性は心身の健康を損ない会社を辞めざるを得なくなったが、その後も電車に乗れないなどのPTSDのために長期にわたって失職状態が続いている。
一審の判決は最悪だった。裁判官は、女性が会社を「自主退職している」ことと、最初の性被害から長期にわたる性的行為があったことをもって、「男女関係にあった」としたのだ。
二審の判決が素晴らしかったのは、事件を被害者の視点で捉えなおしたことだった。一審では長期にわたった被害をもって「男女関係にあった」と決めつけたが、二審では長期にわたったことの悪質さも含め、性暴力を認定したのだ。また、事実を把握していたにもかかわらず全く対応しなかった会社の管理責任も問うた。
今年大詰めを迎える性犯罪の刑法改正では、地位や関係性に乗じた性暴力の刑罰についても審議されている。就活中の女性が性被害にあったり、知的障がいを持つ人が施設職員から性被害を受けたり、教師からの性被害にあったり、上司からの性被害にあったり……、立場を利用し、相手が訴えるはずがないと考え、性交を強いる暴力がある。この裁判の支援者によると、加害男性の会社はこの判決を「不思議な判決だと感じた」とコメントしたという。加害者側は本当に「わからなかった」のかもしれない。女性の尊厳を守り、敬意を払って、共に働くことがどんなことなのか。性暴力がどういうものなのか。
地位・関係性を利用した性暴力についての意識をアップデートしていかなければいけない組織は、日本中に山ほどあるのではないか。決定権を持つ女性が社内におらず、安い使い捨ての労働力として女性を考えているような組織であればなおのことだ。
先日、私の会社が某イベントに出展したときのことだ。他の出展社の男性が近寄ってきて、スタッフに「お姉さんも、バイブ使ってるの?」と聞いてきたのだった。健康に関する商品を扱う数百社が集うビジネスライクなイベント会場でのできごとである。そういう時は一切相手をしないと私たちは決めていて、そのスタッフも「そういう質問には答えません」と言った上で、「そのような発言はセクハラにあたるからやめたほうがいいですよ」と注意してあげたそうだ。立派な振る舞いだと私は思う。が、その男性(50代半ばくらいか)は、彼女がそう言ったとたんに激高したという。何を注意されたか、ではなく、女に注意されたことが気にくわなかったのだろうか。「そんな態度でやってけると思ってんのか?」と声を荒らげたそうだ。
その報告を受けた私は、イベントの主催者に安全に仕事をするために環境を整えてほしいという旨を伝えた。
それからが大変だった。私のクレームがどう伝わったのかは不明だが、さらに激高した男性がまた威嚇しに来てしまったのだった。主催者側の人に来てもらったが、男は大きな声を出し、私たちを侮辱し続けた。「セクハラされたくないなら、こんなもの(ドイツから輸入した女性向けのトイ)売ってんじゃねーよ」などという男性の挑発に、残念ながら私は乗ってしまい「謝れ!」「気持ち悪いよ!」と男に向き合ったが、私が怒りを見せると今度はハハハハハと高笑いするのだった。怒っても、冷静に対処しても、何をしても私たちが「勝つ」ことも、「気が済む」ということもなかった。それが被害にあう、ということなのだろう。
繰り返すがビジネスの場である。もちろんそれがどんな場であっても男の振る舞いは許されるものではないが、やはり衝撃を受けた……日本の企業、どうなってますか?
その後、主催者側の人もいろいろとフォローしようとしてくれたのだが、つくづく日本の企業はきちんとしたセクハラ研修を受けておらず、問題に対応する能力が欠けているのではないかと感じるものだった。以下はこの日、私たちが主催者側にかけられた言葉の一部だ。
「あの人(私たちを怒鳴った男性)はSキャラで有名なんですよ」
「ふだんはおもしろい人なんですけどね」
「現場を見てないので、私たちは何も言えませんね」
「これからは、ちょっかいを出さないように注意しときますから」
男性だけでなく女性もそんなふうに私たちを「慰め」ようとし、「戒め」ようとし、そしてただひたすら頭を下げてきた。私たちはその度に、「謝るのは皆さんじゃないし、そもそも皆さんに謝ってほしいのではなくて、対応を考えてほしいんです」と伝えたが伝わらないようだった。「もう、ちょっかいを出さないように注意しときます」と言われたとき、あまりに残念だったので私は、「ちょっかいじゃなくて、ハラスメントです。ハラスメントを軽く捉えないでほしいです」と伝えた。すると、その男性の顔色が一瞬で変わり、いらだちが伝わってきた。何が悪いかわからないまま、頭を下げてくれていたのだろう。そしてこういうやりとりをすればするほど、加害者が問題化されず、声をあげる被害者側が「めんどうくさい人」になっていく空気も生まれてくる。ああ、やりきれない。
同一労働同一賃金の原則が守られず、多くの女性たちが男性よりも低賃金で働かされている。決定権行使の場に行けば行くほど女性の姿は少なくなり、わずかに残った女性たちも、女性の立場をよりよくすることよりも、男性に同化する道を選んでしまいがちだ。それが生き残る道、とでもいうように。でも、当たり前のような顔をして女たちの人生を潰す、そんな組織に未来はあるだろうか。
だから組織は本気で学ばなければいけないのだと思う。「キャラだから」とセクハラを放置せず、「どっちの言い分も聞かなくちゃわからない」と泣いている被害者を戒めずに、セクハラや性暴力について学んでほしい。そっちから見たら「ちょっかい」だったり「からかい」だったりするかもしれない。そっちから見たら「恋愛」かもしれない。けれど、こちらから見たらそれは「性暴力」なんだよ。そんな声に耳を傾け、今回の高裁判決のようなアップデートがこれからの組織には求められるはずだ。誰もが安心して自分の尊厳が損なわれることなく働ける、当たり前の社会であってほしいのだ。
■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表
いよいよ今季の農作業が始まった。まずはミニトマトの種をまいた。まだ寒いので温度管理が難しい。急な日照りが恐ろしい。