日刊ゲンダイ 2023/04/29
小林節慶応大名誉教授
40年も前から自民党の改憲論議と付き合ってきた私が、一番悩まされた点は、自民党の改憲マニアたちが「憲法とは何であるか?」を正しく理解しようとしないことである。
英米の法律家なら、誰でも座右に置いているブラック法学辞典(BLACK's LAW DICTIONARY)の憲法(constitution)の項には次のように書かれている。
「憲法は、国家の基本法で、国家生活において従うべき基本原則を定め、政府を組織し、政府に権限を配分しかつそれらを限界付けており、全ての権威は国民に由来する。憲法に反する政府の行為は全て無効である」
要するに、憲法は、主権者国民の最高意思として、国家権力(つまり政治家以下の公務員)を拘束する規範で、憲法に反する公の行為は全て無効である。これが世界の常識で、それ以外の「憲法」などあるはずがない。
にもかかわらず、自民党の改憲論者の中には、上記の定義の「一部だけ」を取り上げて、憲法には、国家に「授権」するものと国家権力を「制限」するものがあり、「自分は前者の憲法観を採る」などと議場等で公言する者も多い。つまり、憲法は単に「権力者に権力を授けるもの」だと言う。
だから、自民党の2012年改憲草案は、「国民が憲法を尊重し」「権力者がその憲法を擁護する」(102条)などと書いてあり、その国民が守るべき憲法で、国民に日の丸と君が代を尊重しろと命じ(3条)、国防に協力することを求めている(9条の3)。
これでは、憲法が国民を縛る刑法と同じで、実質的には憲法ではなくなってしまう。
今、国会では、自民、維新、国民民主の改憲派3党で3分の2以上の議席がある。しかも、衆参の憲法審査会で着実に議論を重ねている。だから、改憲の発議が国会の専権である(憲法96条)以上、今年、国会が改憲発議を決定することは十分にあり得る。
しかし、最終的な決定権は国民投票に委ねられている(同96条)。
憲法による拘束を煩わしいと感じている権力者たちが提案してくる改憲案は、前述のように「改正」と称する「改悪」である可能性がある。だから、主権者国民としては、賢明に対応すべき時が迫っている。
前回の記事にもあるように現、岸田内閣は自民、公明、維新、国民民主の力を借りて「なんでもあり」な状態にある。「防衛」から「先制攻撃」へ、憲法を実質的に変えてしまった。最後の砦は「憲法」、そして「反共」である。
先ほど札幌から帰りました。R275はまだ緑も少ない中でピンクの桜が目を引きます。今日、江部乙には行っていませんが圃場の桜は咲いたかな?楽しみです。それにしても早い。まだ4月。
昨日朝の蕾。