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なぜフジ社員の労働組合加入が急増してるのか 「社長と対等に話せる」元TBSアナ小島慶子さんが語る労組

2025年02月03日 | 生活

AERAdot  2025/02/03

藤崎麻里

 社員からも大批判に晒され、出口の見えないフジテレビ問題。怒号飛び交う10時間超のやり直し記者会見ではフジ社員自らが厳しい質問を経営幹部に向けた。その憤りを集約できるのが労働組合の機能だ。「時代遅れ」「面倒くさい」と思われがちな労組が、「社員代表」として経営再生にどう立ち向かえるのか。「変わる労組」の役割を渾身の取材で追った『なぜ今、労働組合なのか』(藤崎麻里著、朝日新書)から一部紹介する。

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 10人に8人は労働組合に入っておらず、身近な存在でもない。そんな日本のいまの風潮のなか、フリーランスのエッセイスト、メディアパーソナリティーとして活躍する小島慶子さんは、労働組合は「手のうちにある権利として使えば、働く環境をカスタマイズできる方法」と話す。

 当時、東京放送(現・TBSホールディングス)のアナウンサーとして働いていた小島慶子さんが、労働組合の執行部に入ったきっかけは、入社6年目のとき。先輩からの声かけだった。

「毎週水曜の昼休みに出ないといけない会議があるのだが、ちょっと仕事で出られない。俺のかわりに来週から出てくれない?」。13階のその部屋にいったところ、労働組合の部屋だった。開かれていたのは労働組合のミーティング。先輩から引き継ぎ、執行委員をやることになった。今でいう、ワークライフバランスや福利厚生にかかわる改善を担当していた人が執行委員を外れ、それを担当することにした。

 テレビが全盛期のキー局の女性のアナウンサーだ。いわゆる花形の職種で、会社員とはいえ、人気商売とみなされる。「アナウンサーなのに、なんで組合活動?」。社員の仲間に、そう言われたこともある。「(労組といえば)面倒くさいと思われるかもしれない。でも、私は元々万人受けするアイドル路線ではなく、生意気だと思われていたから今更イメージを気にする必要もないやと思った。それより、自分の働く環境を自分でカスタマイズできるって楽しくない?と。もうこれは性分ですね」

タクシーの運転手に怒声を浴びせられた

 東京放送の場合は、ユニオンショップと呼ばれる、入社したら誰もが自動的に組合員になる仕組みだった。給与明細を見ると毎月一定の額が引かれている。最初は、なんだろうな、としか思っていなかった。後に組合費だとわかった。ただ振り返ってみれば、労組とのかかわりの原体験は、入社1年後の1996年にあった。

 TBSビデオ問題が発生した年だ。TBSに対して、オウム真理教が89年、坂本堤弁護士のインタビュー素材を放映前に見せるように要求し、局内でそれを見せ、その後に坂本弁護士一家の殺害事件が発生したという問題だ。それが明らかになって、TBSが認めたのは96年になってからだった。国会でも問われるほどの大きな社会問題となり、当時、小島さんがタクシーに乗って、会社へと行き先を伝えるだけで、運転手に怒声を浴びせられたほどだった。

 そのとき労組から、経営陣に社員の意見を伝えようとアンケートがまわってきた。小島さんも、再発防止策、責任のあり方など、書き連ねた。アナウンサーの世界に入ったのは、1995年4月。1月に阪神淡路大震災があり、3月には地下鉄サリン事件が起きた直後だった。日本は平和で安全だ、と言われてきたことが幻想だったことに気づいた。

「個人的なことは政治的なこと。半径2メートルから社会を変えることもできる」

 当時、入社直後の女性アナウンサーだった小島さんが求められていたのは、いわゆる〝若手女子アナ〞の役割。深夜番組で催眠術にかかったふりをして性的な質問に答え……という仕事もあった。学生時代から抱いていた社会への問題意識は、十分にいかせず、世間で求められる女性アナウンサーへのイメージとのギャップに葛藤していた時期でもあった。

 一方で、労組の執行委員として制度作りに取り組めば、誰かの暮らしを楽にできる確かな実感がもてた。「当時はテレビ番組を1千万人が見ていた時代。社員の中で組合活動に関心がある人はほとんどおらず、制度を変えても、組合のおかげだと思う人なんてめったにいない。でも確実に誰かの助けにはなるでしょう。カメラ越しに1千万人に『おはようございます』というよりも、はるかに世の中に関わっている気がした。かなりやりがいを感じていました」

 社員という立場だけだったら、「雇ってもらっているのだから、会社の言うことを聞かないといけない」と思っていたかもしれない。でも、労組の執行委員という立場は小島さんにとって大きな意味があった。「労組は、株式会社東京放送とは別の法人格をもつ組織。その執行委員として、社長や役員と交渉できる。対等に話ができるって、なんてステキなんだろうと思っていました」

 数少ない女性社員にアンケートをとった。悩みの多くが、出産後に元いた職場に戻れないなどのいわゆる「マミートラック」や育児との両立の問題だった。育児と両立をしやすいように、制度を変えられないか。会社に掛け合っても、はじめは「(困っている)当事者が少なすぎる」といわれた。それならば仕事と家庭の両立で、男性でも悩んでいる人はいないだろうか。ランチ会を開いてみると、意外と多く集まった。

 女性だけではなく、男性にも困っている人がいる。そう提示したら会社が前向きになった。「幹部には、女性の声の周波数が聞き取れず、男性の声だけが届くのか?と腹立たしかったですが、動かせるものは動かそうと思って会社と交渉しました」。そうやって交渉の末、1日単位でしか取得できなかった看護休暇を半日単位に変更したり、心身の不調後に復帰した人たちの対応策を検討したりしていった。

「個人的なことは政治的なこと。半径2メートルから社会を変えることもできる」。そう思っている。だから誰かに困りごとがあれば、一人の問題とせず、どう解決できるかを考えた。小島さんは、もともと強い使命感があったわけではないが、気が付けばやりがいを感じるようになった。ただ、気になっていたこともあった。「組合には経営陣と『闘う』のが好きな人もいた。私は男性が机をバーンとたたいたり、怒鳴ったりするのを見るのは苦手で。時折、様式化しているのではないかと感じることもありました」

組織を超えた横のつながりを感じた

 トイレの横の掲示板には、いつも労組の貼り紙があり、古めかしい字体で、ゲキを飛ばすような文体のメッセージが綴られていた。あるとき、労組内の会議で、こう伝えてみた。「(貼り紙の)あの見た目で『怖い、風変わりだ』って思っている人たちもいる。配られても読まない。昔ながらのスタイルをやめて、イメージを変えましょう」

 まずは、一般的なお知らせのように、読みやすいフォントに変えること。赤・青・黒に「!」を多用する従来の怒りのスタイルから、イラストも入るなど親しみやすいビジュアルにするよう提案した。「ちょっとの工夫で、印象が変わる。労組の紙と気づかずにうっかり読んじゃう人を増やしましょう」。そう呼びかけた。日本の放送局では1960〜70年代に激しい労使対立の歴史がある。それを継承する伝統的なスタイルの変更に、意外にも強い難色を示す人はいなかった。

 小島さんは、労組の機能が重要だからこそ、今も思う。「労働組合にマイナスイメージを持つ人も少なくないのは、知識不足に加えてコミュニケーションがうまくいっていないからでは。昭和感のある労組のスタイルは、敬遠されがち。裾野を広げるために、フォントを変えるところからでも始められる」。

 その後、会社を辞めてフリーランスになり、当初はTBSの関連会社の所属タレントとして専属契約を結んだ。その後、大手芸能事務所を経て、現在は個人事務所で活動している。日本でフリーランスとして働く人々には、職能団体などの声をあげる仕組みが十分にあるわけではない。搾取される人を減らすためにも、労働条件を交渉できる場が必要だと痛感している。「御用組合」と揶揄される日本の労組だが、会社員だった頃、組織を超えた横のつながりの意味を感じた。

「社風によっては、組合活動をやっている人は、変わり者扱いされることもあるかもしれない。わたしたちの労組は日本民間放送労働組合連合会(民放労連)に加盟していたが、労組間の横断的なつながりがあると、課題を共有する仲間に出会えるし、学びも多い」。社員と違い、フリーランスは職を失うリスクが高く、立場も弱い。働く人の横のつながりがあれば、自身を守る術も増える。


今、日本の底が割れている要因に「労組」に参加する人が減少していることにも起因すると思うのだ。
おまけに闘わない労使協調路線が大手を振っている。
巨大な「内部留保」にも手をつけず。

まずは自分が働く環境を変えることである。
そして自分が働く会社を変えること。
それが日本を変える。
若者は困っている。
手を差し伸べてほしい。

立春にふさわしい天気になっています。