
AERA2024/10/02
自民党総裁選の候補者9人のうち6人の最終学歴がアメリカの大学または大学院だということに気がついた。なるほど、今の日本の政治エリートは「最終学歴はアメリカ」がデフォルトになったのだと知った。富裕層では、中等教育からの海外留学がもうふつうである。
どこで高等教育を受けようと、個人の自由だ。他人が口を出すことじゃないと言う人がいるかもしれない。せっかく海外で質の高い教育が受けられるのに、何が悲しくて質の低い日本の大学に行かなければならないのか、と。だがこれは「高等教育のアウトソーシング」であり、それが意味するのは「高等教育の空洞化」である。
国産の農作物よりも安くて質の良い農作物が海外から輸入できるなら、国内に農業がある必要がないというのと同じである。そのロジックが日本の農業の空洞化をもたらした。
だが、「グローバリスト」たちは「必要なものは、必要な時に、必要なだけ市場で買える」わけではないということを忘れている。戦争でもパンデミックでも円安でも、「必要なもの」はいきなり入手不能になる。それはコロナの時の医療資源の枯渇で思い知ったはずではなかったか。
教育も医療もエネルギーも農作物も「それなしでは集団が生き延びてゆけないもの」である。そういうものは自給自足が原則である。たしかに困難な目標ではあるが、「それなしでは生きてゆけないもの」は自給自足を目指すべきなのだ。
この四半世紀、日本の大学の学術的な生産力は目に見えて衰えた。為政者自身が日本の高等教育を世界最高レベルのものにして、子どもたちが海外に出る必要がなくなる日が来ることを別に願っていないのだから当たり前である。
ハーヴァード大学の学費は年額5万6550ドル(約800万円)である。生活費を入れて子ども一人に毎年1千万円仕送りできる家の子どもしかアイヴィー・リーグに留学できない。それができる富裕層たちは「日本の大学のレベルがどうなろうと俺は知らんよ」と思うだろう。そういう人たちが今教育政策を起案しているのである。亡国の兆しと言う他ない。
※AERA 2024年10月7日号
水曜日のごみ収集車の運転手が店先で車を止めてシイタケを全部買っていった。
去年もそうだったので待っていたのだ。
去年食べたのがすごく美味かったので・・・
ありがとうございます。
さて、載せる写真を撮っていなかった。
今日も栗拾い三昧。
「東京新聞」社説 2024年9月30日
東京大学は20年間据え置いてきた授業料を、2025年度の学部入学生から20%、約11万円値上げして年間約64万円とする。大学経営の厳しさは理解するが、その原因は教育への公費支出の少なさにある。国は将来を支える人材育成にこそ財源を振り向けるべきではないか。
授業料値上げ分の使途は、学生の履修状況を確認するシステムの強化、海外留学のための奨学金などだという。反対する学生が2万7千筆超の署名を集め、抗議集会を開いてきた。
大学は学生への支援策として、授業料全額免除の対象を現在の世帯収入400万円以下から600万円以下に広げる。900万円以下から600万円超の世帯は出身地などに応じて減免するが、具体的な基準を示しておらず、きめ細かく支援すべきだ。
全国に86ある国立大学の授業料は、国が標準額(53万5800円)を定める。04年の独立法人化後、国は運営費交付金を13%減らしたため財務状況が厳しさを増している。物価高や人件費増が厳しい経営状況に追い打ちをかけており、国立大学協会は6月、国などに窮状を訴える声明を発表した。
国立大は私立大に比べて授業料が安く、裕福な家庭でなくても進学しやすい教育環境にある。各地域で人材を育成する中核的な高等教育機関という役割も担う。
各大学も授業料値上げに踏み切れば、しわ寄せは多くの家庭に及ぶ。東大に安易に追随しないようクギを刺しておきたい。
大学経営の厳しさは、教育に対する公費支出の少なさが一因だ。経済協力開発機構(OECD)が今月公表した報告書では、日本の公費に占める教育費の割合は8%で加盟36カ国中、下から3番目。
特に、高等教育の公費割合は37%と加盟国平均68%を大きく下回る。日本は、高等教育無償化をうたう国際人権規約を批准しながら誠実に履行していない状況だ。
気候変動や少子化など山積する地球規模の課題を解決するためにも、人材育成にこそ予算を投じるべきではないか。防衛予算を野放図に増やしている場合ではない。
園のようす。イヌサフラン
ヤーコンの花
のぶどう